柄崎将寿
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| 柄崎将寿 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 茨城県 |
| 生年月日 | 1982年12月27日(43歳) |
| 身長 | 165cm |
| 体重 | 48kg |
| 血液型 | O型 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
| 所属厩舎 |
美浦・尾形充弘(2001年 - 2005年) 美浦・フリー(2005年 - 2012年) |
| 初免許年 | 2001年3月1日 |
| 免許区分 | 平地・障害 |
| 騎手引退日 | 2010年12月20日 |
| 通算勝利 |
1105戦33勝(中央) 15戦1勝(地方) |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 2024年1月1日(2025年開業) |
| 経歴 | |
| 所属 | 美浦T.C. |
柄崎 将寿(つかざき まさとし、1982年12月27日 - )は、茨城県出身の元騎手・元調教助手・現調教師。
競馬学校17期生として石神深一・大沢辰也・大庭和弥・川島信二・小坂忠士・田中亮・難波剛健・平沢健治・蓑島靖典と同期になり、美浦・尾形充弘厩舎での研修中には全盛期のグラスワンダーを一ファンとして近くで見ていた[1]。
卒業後の2001年3月に研修を受けた尾形厩舎からデビューし、同3日の中山第1競走3歳未勝利・カリーノカフェ(14頭中8着)で初騎乗[2] [3]、4月10日の浦和第8競走ツイントップ特別・バトルサンサシオン(12頭中11着)で地方初騎乗[4] [5]を果たし、4月21日の福島第4競走3歳未勝利・ヒルノランカスターで初勝利[3] [4]を挙げる。秋の新潟ではカブトヤマ記念・ヒダカビギン(13頭中12着)で重賞初騎乗[6]を果たし、福島では11月18日に初の1日2勝[7]を挙げるが、初年度の8勝が最終的には自己最多となった[8]。
2年目の2002年にはJRAの開幕レースとなった1月5日の東京第1競走3歳未勝利をマイサニーカフェで勝利し[1]、2月2日の東京第2競走3歳新馬では父が管理するフジノマドンナ[9]で初の新馬勝ち[7]を挙げた。
2005年にはテンイムホウで東京ダート1300mの新馬を中団待機から直線坂上で抜け出して勝ち[10]、以後も同馬の主戦騎手として全42戦中35戦で手綱を執り、5勝も全て柄崎の騎乗で挙げたほか、柄崎も重賞騎乗の9回中8回は同馬とのコンビ[6]であった[11] [12]。NHKマイルカップが行われた5月8日の若鮎賞(500万下)[13]では中団でレースを進めて直線で大外を突いて差し切り[14]、初芝の同馬で初の特別勝ち[11] [15]を挙げる。2006年には千葉日報杯(1000万下)を好位から伸びて4頭によるゴール前の大激戦を制し[16]、久々の重賞騎乗となった福島牝馬ステークス[6]では直線入口で素早く抜け出した2年目鮫島良太のライラプスを3年目吉田隼人のロフティーエイムと共に追ったが、ゴール前の懸命の追い比べの末にアタマ、クビ、クビの激戦で13番人気ながら4着と健闘[17]。重賞初騎乗馬のヒダカビギン[6]も父の管理馬[18]であり、9回全てが父子での挑戦となったが、結局この4着が最高に終わった[6] [19]。父は定年前のインタビューで「せがれに重賞タイトルを獲らせてやれなかったこと」を悔いが残ることとして挙げ、「惜しかった。親父の弟子だった田中剛、菊沢隆徳には自厩舎の馬で重賞を獲らせてあげられたんで、何とかせがれにもと思ったんだけどね」と懐かしげに振り返っている[19]。2007年には河北新報杯(1000万下)を11番人気で人気のビービーガルダンを抑えて[20]初のメイン勝ち[15]を挙げ、市川ステークス(1600万下)を12番人気で勝利[11]。OP入り初戦の尾張ステークス[11]ではステキシンスケクン降着による繰り上がり3着で人気のカノヤザクラに先着し、3連単3,381,520円の大波乱を起こす[21]。2008年にはヴィクトリアマイル(18頭中16着)で唯一のGI騎乗[6]を果たすなど、引退時のコメントでも「印象に残っている馬は、テンイムホウです。5勝させてもらい、GIにも出させてもらったので、本当に感謝しています。」と語っている[22]。
2008年1月26日の中山第3競走3歳新馬では単勝119.9倍の13番人気テングジョウで粘り込みを図る3番人気アンクレットブーツとの競り合いをクビ差制し、3連複401,660円の高額配当となった[23]。6月16日の盛岡第8競走アンバー賞・デーワンハートで地方初勝利[24] [5]を挙げ、11月16日の福島第12競走相馬特別をヒシアケボノ産駒の茨城産馬オオヒメで勝ったのが[25]最後の勝利[15]となった。
2010年12月19日の中山第12競走中山ウインタープレミアム・シルクプラチナム(16頭中15着)が最後の騎乗[26]となり、翌20日付で現役を引退[3]。
引退後は柄崎厩舎の調教助手となる[27][28]。その後、2012年1月に和田正一郎厩舎へ、さらに2016年7月に古賀慎明厩舎へ移籍し、それぞれ調教助手を務めた[29]。
2023年12月7日、5回目の挑戦となった2024年度の新規調教師免許試験に合格した事がJRAより発表され、親子3代で調教師となる。2024年1月1日付で調教師免許が発効となり、当面は技術調教師として活動[30][31]。
2025年3月5日付で厩舎を新規開業した(貸付馬房数12馬房)[32][33]。厩舎カラーは騎手時代に所属していた尾形厩舎の白と青を継承[34]。初出走は同年3月9日、中山2Rでマジョッコピロコの15着[35]。同馬に騎乗したのは競馬学校同期の石神深一の息子深道であった。同年3月23日中山3Rの3歳未勝利をメモリアカフェで1着。述べ4頭目の出走での初勝利となった[36]。6月18日には川崎競馬場で行われた第61回関東オークスを厩舎に初勝利をもたらしたメモリアカフェで重賞初出走させると単勝1.6倍の1番人気に応えて優勝し、重賞初勝利を飾った[37]。
騎乗成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 2001年3月3日 | 2回中山3日1R | 3歳未勝利 | カリーノカフェ | 14頭 | 4 | 8着 |
| 初勝利 | 2001年4月21日 | 1回福島1日4R | 3歳未勝利 | ヒルノランカスター | 12頭 | 3 | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 2001年10月20日 | 3回新潟7日11R | カブトヤマ記念 | ヒダカビギン | 13頭 | 13 | 12着 |
| GI初騎乗 | 2008年5月18日 | 2回東京8日11R | ヴィクトリアマイル | テンイムホウ | 18頭 | 17 | 16着 |
| 年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001年 | 8 | 8 | 5 | 183 | .044 | .087 | .115 |
| 2002年 | 7 | 14 | 10 | 243 | .029 | .086 | .128 |
| 2003年 | 3 | 13 | 9 | 211 | .014 | .076 | .118 |
| 2004年 | 1 | 6 | 3 | 96 | .010 | .073 | .104 |
| 2005年 | 4 | 2 | 3 | 69 | .058 | .087 | .130 |
| 2006年 | 4 | 4 | 1 | 86 | .047 | .093 | .105 |
| 2007年 | 4 | 1 | 2 | 56 | .071 | .089 | .125 |
| 2008年 | 2 | 1 | 1 | 76 | .026 | .039 | .053 |
| 2009年 | 0 | 1 | 1 | 53 | .000 | .019 | .038 |
| 2010年 | 0 | 1 | 0 | 31 | .000 | .031 | .031 |
| 中央 | 33 | 51 | 35 | 1105 | .031 | .078 | .110 |
| 地方 | 1 | 0 | 1 | 15 | .067 | .067 | .133 |