桂枝太郎 (3代目)

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本名佐々木ささき 修市しゅういち[1]
生年月日 (1977-08-28) 1977年8月28日(48歳)
3代目 かつら 枝太郎えだたろう
3代目 桂(かつら) 枝太郎(えだたろう)
本名 佐々木ささき 修市しゅういち[1]
生年月日 (1977-08-28) 1977年8月28日(48歳)
出身地 日本の旗 日本岩手県胆沢郡衣川村[2]
(現・奥州市
師匠 桂歌丸[2]
名跡 1. 桂歌市
(1996年 - 2000年)[2]
2. 桂花丸
(2000年 - 2009年)[2]
3. 3代目桂枝太郎
(2009年 - )[2]
出囃子 串本節[2]
大漁節
活動期間 1996年[2] -
配偶者 大河原あゆみ
所属 落語芸術協会
公式サイト 桂枝太郎 公式サイト

3代目 桂 枝太郎(かつら えだたろう、1977年8月28日[2] - )は、日本落語家である。落語芸術協会マセキ芸能社所属。本名:佐々木 修市[1]

岩手県胆沢郡衣川村(現・奥州市)出身[2][1]。祖父は衣川村最後の村長だった[注釈 1][要出典]

岩手県立岩谷堂高等学校[1]在学中に地元で4代目桂米丸の落語を聞き感動、落語家を志す。米丸はすでに高齢だったため桂歌丸を紹介されて[要出典]、1996年6月に入門した[2]。同年9月、桂歌市で前座入り[2]。のちに歌丸は2010年の著書で「不肖枝太郎が最後の弟子になる。」と言明した[6]

2000年6月に二つ目に昇進して、桂花丸に改名した[2]歌丸の弟子は「歌」の名前が入った高座名となるのが通常で前座名もそれに従ったが、二つ目昇進の際は本人より、歌丸の「丸」の文字が入っているものを希望したとされる。歌丸は「学校の成績がよくなかったから、名前だけでも丸が欲しいのではないか」と判断して「花丸」になった。[要出典]花丸時代には、演芸専門誌『東京かわら版』のインタビューにおいて編集部で自分から全裸になり、その写真が誌面に掲載されたことで歌丸から破門される騒ぎとなった(のち復帰。聞き手は当時編集部員だった佐藤友美(現・編集長))[7][8]

2009年5月1日に真打に昇進して、3代目桂枝太郎を襲名する[2]。岩手県出身の落語家としては初の真打だった[要出典]。本来「枝太郎」は上方落語の桂文枝一門の名跡で、2代目から東京に移っていた。これに関しては、当人は「師匠の歌丸の書籍を読み返してみたところ、食えなくて苦しい時期に先代の枝太郎から割り(給金)を多く包んでもらうなど可愛がってもらっていた。だからこそ、先代枝太郎の最後の弟子だった桂枝八(現・桂歌春)を引き受け、「枝太郎」の名跡を貰いに行ったのではないか」と、義理堅かった歌丸の性格も合わせて推測している[9]

新宿末廣亭で昇進披露を開く。襲名に先立つ4月6日には、新宿京王プラザホテルにて真打昇進披露パーティーが行われ、事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャン南原清隆[注釈 2]が代表して祝辞を述べた。また、真打披露に伴い、同じ奥州市出身の漫画家・吉田戦車が手拭い・寄席の後ろ幕デザインを担当し、ザ・プラン9から寄席の幟が贈呈された。[要出典]

同年、フジテレビ『爆笑レッドザブトン』にて、「レッドザブトン賞」を受賞した[2]

2013年より独演会フェス「三代目枝太郎まつり」を横浜にぎわい座で開催(詳細は後述)。

2015年と2016年に乃木坂46の舞台『じょしらく』で落語指導を実施し[2]乃木坂46から寄席の幟を贈呈された。またこれを契機に乃木坂46の能條愛未が(素人落語家として)弟子になり、「桂枝毛」と命名されたが本人が断ったという。[要出典]

2017年には、BS日テレの『BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸』にて、 歌丸役をつとめた尾上松也をはじめ、笹野高史水橋研二鈴木勝大柳下大などに落語指導をおこなった[2]

2018年5月19日、世界初となる「VR落語会」にゲスト出演し[2]、プロの落語家として初めてVRChatの中で落語を披露した[10]。演目は自身の新作落語である『アンケートの行方』[10]

2025年公開の映画『みんな笑え』では、作品監修を務めたほか、野辺富三、今野浩喜、渡辺哲に落語指導を実施した[要出典]

芸風

古典落語はもとより、自ら創作する新作落語にも意欲的に取り組んでいる。三宅右近に師事し狂言を学んでおり、狂言を題材とした新作も制作している[2]

枝太郎襲名後に先代の得意演目『自家用車』を復活させている。先代の命日のほか、先代が創設に尽力した浅草演芸ホールに出演する際に、先代の墓を訪れている。Twitterでは、先代を芸で追い越すことを目標としている旨を、たびたび綴っている。

代表的な演目

『アンケートの行方』
父と子の、職場と学校で配布されたアンケート用紙をめぐる騒動。
『狂言マック』
狂言師の「和泉」がマクドナルドの店員になるドタバタ。
『ぼくの夏休み』
地方の田舎が舞台の、少年のひと夏の物語。
『自家用車』
前記の通り先代の作。アレンジを施している。
『ユギヤナギ』
東日本大震災後の陸前高田市を舞台に、実際にあった出来事をモチーフに落語化。題名は、歌手松本哲也の歌のタイトルに影響を受けたとされている。
附子
狂言師、三宅右近から習い落語化したもの。
「蚊相撲』
三宅右近から習い落語化したもの。
『銀河鉄道の夢』
岩手県出身の童話作家、宮沢賢治の生涯をなぞる人物伝。縁者に当たる宮沢和樹から許可と助言を得た。

人物

入門以来、横浜市中区黄金町に居住。一方、東日本大震災後は被災地を訪問することが多い。[要出典]

2015年、「“行けないけど頑張って”とパフォーマーに気軽に言うのは止めた方がいい」と書き、Twitterが炎上声優緒方恵美諏訪部順一がTwitterで賛同したが、批判のコメントも多く賛否両論となったばかりか、Yahooニュースのトップになる。友人の西野に相談するも「慣れや。おれ毎日炎上してるもん」と言われ、全く参考にならなかったと話している。[要出典]

素人弟子(落語芸術協会所属ではない)がおり、『豆しば』原作者のキム・ソクウォンが「桂豆太郎」の芸名で一番弟子[要出典]。前記の通り乃木坂46の能條愛未がその後に弟子となっている。

2019年7月2日、三吉演芸場での「桂歌丸一周忌追善公演」に合わせて限定発売された「横浜ウォーカー×崎陽軒 桂歌丸さんの愛した炒飯弁当」では、弁当の中の崎陽軒名物「ひょうちゃん」に歌丸の絵を描いた[11]。歌丸の死後は、歌丸のライフワークであった「はこぶね寄席」「桂歌丸会」を引き継いでいる[要出典]

交友関係

タレントとしてマセキ芸能社に所属しており、キングコング西野亮廣インパルス堤下敦鳥居みゆきなど、テレビタレントとも幅広く交流、共演している。

師匠の歌丸と『笑点』の大喜利で長年罵倒合戦を繰り広げていた6代目三遊亭円楽を「歌丸一門の顧問兼相談役」と呼んで慕い、所属する落語芸術協会のイベント「芸協らくごまつり」内にて2018年に桂歌春ら兄弟子とともに企画した歌丸の追悼座談会や、歌丸一門の落語会において共演するなど最晩年まで交流を続けていた。2022年9月30日に円楽が死去した際には自身のTwitter内で「国立演芸場で達磨の目を書いてもらったばかりなのに」とその死を悼んでいる。[要出典]

ようへいは弟弟子にあたり、落語家廃業後も枝太郎と親交がある[要出典]

「三代目枝太郎まつり」

2013年より横浜にぎわい座で開催している独演会を兼ねた催し。過去のゲストは下記[要出典]

弟子

前座

  • 桂枝ぴょん

執筆

出演

脚注

外部リンク

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