桃園の誓い
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三国志演義
エピソードの概略

所は涿県(たくけん)。
黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない」と声をかけてきたのが身長八尺(約184cm)、豹頭環眼、燕頷虎鬚、聲若巨雷、勢如奔馬(豹の頭にぐりぐりの目玉、燕の顎に虎ひげ、声は雷鳴のように大きく響き、勢いは暴れ馬のよう)という男、張飛であった。劉備が自分がため息をついたのは己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘う。
訪れた酒場で彼らは、身長九尺(約208cm)、髭長二尺(約46cm)、面如重棗、唇若塗脂、丹鳳眼、臥蠶眉、相貌堂堂、威風凛凛(棗のような赤ら顔、唇は油を塗ったようで、鳳凰の眼に臥せた蚕の眉、相貌は立派で威厳ある凛々しい姿)、すなわち関羽と出会い意気投合すると、張飛の屋敷の裏の桃園で、三人は義兄弟の誓いを交わすことにした。

黒牛・白馬を置き、祭壇前で誓いを立てる。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」
三人は、彼らの呼びかけに応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じた。その翌日、人が集まったは良いが軍馬が無いことに気づくが、偶然近くを訪れた馬商人張世平と蘇双に馬や軍資金などを援助してもらう。そして劉備は
三国志平話
『演義』の基になった『三国志平話』上巻にも下記のエピソードがある[4]。

(国立公文書館デジタルアーカイブ)
酒場で出会う三人(右)と、
桃園の誓い(左)
「…張飛は、門のそばに立ちつくしていた時、関公(関羽)が通り過ぎるのを見た。その容貌は尋常ではなく、衣服はボロで、この土地の人間ではないと気付いた。
張飛は進み出て、関公に礼をして尋ねた。「君子はどちらへ行かれるのか、どこの州の者か」。関公は、張飛の容貌もまた、非凡であると見て答えた。「私は河東解州の者です。本県の役人が不公平に民を虐げるので、私はこれを殺し、郷里にいられなくなったので、この地へ避難してきたのです」。張飛は「これこそ大丈夫の志である」として、関公を酒場へ誘った。関公は張飛が粗野な人間ではないと見て、話すうちに意気投合した。龍と虎とが相まみえる日、君臣の慶びの集いの時である。
そこへ、玄徳(劉備)が草履を売り終え、酒場で酒を飲んでいた。関・張の二人は徳公(劉備)の尋常でない容貌、言い尽くせないほどの福相を見て、関公は進み出て酒を勧めると、徳公も二人の容貌が非凡であると見て非常に喜び、辞退することなく杯を受け取り飲み終えた。すると今度は張飛が杯を差し出し、徳公はまた受け取って飲み終えた。張飛は徳公を誘って一緒に座らせ、三杯の酒を飲み終えると、三人はたちまち意気投合し、古くからの友人のようになった。張飛が言う。「もしお二人が嫌でなければ、私の家で一杯飲みませんか」。
二人は張飛の家へ行くと、家の後ろには桃園があり、園内には小さな東屋があった。張飛は東屋で酒を設け、三人は楽しく飲んだ。酒宴の間、三人はそれぞれ年齢を述べ合うと、徳公が最年長で兄、関公が二番目で次兄、張飛が最年少で弟となった。白馬を屠って天を祭り、黒牛を殺して地を祭る。「同日に生まれることを求めず、ただ同日に死ぬことを願う」。三人はともに歩き、ともに座り、ともに寝て、兄弟となることを誓った。」[5]
このことを後に張飛は「桃園結義」と呼んでいる[6]。
柴堆三国
花関索伝
民間での発展
三義廟

『成都武侯祠』内にある、桃園結義を記念して建立された廟。元は四川省成都市中区の提督街に、清代の康熙年間に創建されたが、都市拡張のため、現在の位置に移築された。廟内には劉備・関羽・張飛の塑像が祀られている(→成都武侯祠#三義廟)[11]。
四兄弟

清代に誕生した京劇などの演劇では、劉備・関羽・張飛の3人に加え、趙雲が桃園結義の4人目の兄弟「四弟」と呼ばれている[12]。しかし、彼らがどのような経緯で桃園結義を行い、義兄弟の契りを結んだかについては演目内では描かれていない[13]。
民間伝承においても、彼らを四兄弟とした物語がいくつも存在している。その中のひとつ、河北省正定県に伝わる民間伝承では、劉備一行が袁紹に身を寄せようとして、真定府城南の道端で休憩をしようとした所、劉備は畑に置かれた巨大な鉄製の鍬を見つけて大いに驚き、関羽が試しに持ち上げると、そのあまりの重さに感服する。そこへ鍬の持ち主である趙雲が現れると、その威厳ある風貌に劉備は憧念を抱き、お互いの身上を語り合ったところ、4人は意気投合し、金蘭の契りを結んで義兄弟になった、とある[14][13][注 1]。
講談[16]や小説[17]にもその影響が見え、「四兄弟」とした『三国志演義』の派生作品が現代中国においても複数確認できる[18]。テレビドラマの『三国志 Three Kingdoms』においても、劉備が趙雲を「四弟」と呼び、劉備が曹操に敗北して散り散りになった兄弟と再会した際、4人が桃園の誓いを改めて行い、酒を酌み交わす描写がある[19]。そのほか、アメリカの中華街などに存在する華僑の世界的な氏族団体組織『龍岡親義公所』(英: Lung Kong Tin Yee Association)は、劉・関・張・趙の四姓を義兄弟の契りを交わした共通の先祖と仰ぎ、その古廟は康熙元年(1662年)、中国の広東省開平市に開設された[20][21](詳細は該当記事を参照)。
趙雲が彼らの義兄弟になった経緯は、『演義』で関羽が五虎大将軍に任命された際、老将の黄忠と同列になることに怒った関羽が、趙雲についての言及「子龍(趙雲の字)は我が兄(劉備)に長く仕えたので、私の弟も同然だ」[22]が起源と見られ、さらに『演義』で関羽と張飛にも劣らない忠義を趙雲が示したことから、「桃園の義兄弟に入れてあげたい」という人々の願いが反映され、この呼び名や設定が広まったと考えられている[23]。
関連作品の演出
- 『CR三國志〜英雄集結〜』ニューギン、2015年。
- コーエーテクモゲームス(旧:光栄)の同名シミュレーションゲームのパチンコ版。大当りラウンド中に桃園の誓い演出が登場、上記三国志演義のセリフをそのまま登場させている。
- 『三国志』
- 『CR一騎当千 Survival Soldier 2』高尾、2013年。

