龍岡親義公所
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| 龍岡親義公所 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 概要 | 華僑の複合姓による氏族団体組織 |
| 起源 | |
| 創立 | |
| 本部 | https://www.lungkongwf.com/ |
| 協会数 | 約150 |
| 会員数 | 約300万人 |
| 活動地域 | アジア、南北アメリカ他 |
龍岡親義公所(りゅうこうしんぎこうしょ、拼音: 、英: Lung Kong Tin Yee Association、ルン・カン・ティン・イー・アソシエーション[1])は、海外で暮らす華僑のコミュニティ共同体のひとつ。中国の歴史小説『三国志演義』に登場する劉備、関羽、張飛の三人の義兄弟に趙雲を加えた四兄弟を共通の先祖と仰ぐ、四姓(劉・関・張・趙)による氏族団体組織[2][3]。
1662年、清代の広東省開平市に四姓の氏族が外敵から土地を守るため団結し、『三国志演義』の故事「桃園の誓い」の精神と祖先崇拝を目的として『龍岡古廟』を建立したことに起源を持つ[4]。その後、19世紀末からアメリカへ渡った華僑が四姓同胞を助け合う相互扶助組織を結成し、世界各地へ進展・発展した[5]。
現在、本部を台湾に置き、アジア、南北アメリカ、ヨーロッパなど世界各地に約150の協会と約300万人以上の会員が存在し、世界的大規模な華僑の団体となっている[6]。
相互扶助組織として
伝統的に華僑社会の「三本柱」の一つとされる一族協会は、中国の明・清代に故郷を離れた商人や官僚のために、同郷人組織が設立した「会館」を起源とする[7]。

役員たち(1900年頃)
19世紀半ば以降になると、広東省や福建省からの移民が海外に持ち込み、現地の事情に合わせて地縁・方言ベースから、血縁や姓を基盤とする一族協会へと変化した。これらは会員への相互扶助と保護を提供するとともに、儒教の価値観(孝行、忠誠、調和)を教え込み、一族の連帯を維持する重要な役割を果たした。特に一族の規則や家訓は宋代の新儒教にルーツを持ち、その思想を継承している[7]。
複合姓の道徳共同体
一族協会には同姓・血縁による祖先崇拝、伝統行事の遵守、紛争仲裁などの機能があり、宗祠(祖先の廟)、公所(公共の場所)など様々な名称が使われているが、複数の姓が歴史的な繋がりや「義兄弟」の関係によって団結した複合姓協会も存在し、『龍岡親義公所』は後者に該当する[8]。これらは単なる互助会ではなく、血縁の絆と儒教的価値観を基盤に、中国人が異郷の地で文化的・精神的アイデンティティを維持し、「道徳共同体」を形成する上で極めて重要な役割を果たしてきた[9]。
歴史沿革
龍岡古廟と四姓氏族

『龍岡親義公所』(英: Lung Kong Tin Yee Association、以下、龍岡協会)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて設立された複合姓の一族協会であり、劉、関、張、趙の四姓の連帯を促進することを目的として組織された。この同盟は、元末明初に成立した歴史小説『三国志演義』(後漢時代末から三国時代にかけて記された歴史書『三国志』を基とする)における、蜀漢初代皇帝・劉備(161年 - 223年)、配下の関羽(? - 219年)、張飛(? - 221年)および趙雲(? - 229年)の「桃園の誓い」の故事にちなんだ義兄弟の関係に由来する(後節)[10]。

1662年に広東省開平県水口鎮龍岡村で、四氏族が建立した古廟にその祖先を遡る[11]。龍岡の名は、清朝康熙初期の『広肇通志』「龍岡古廟記」によると、「この土地は雲山から山脈が起こって珠海へと気が連なり、とぐろを巻くように起伏し、その勢いは蟠龍のようである。中央の小さな岡は、まるで龍の頭が空に向かいそびえ立つかのようである。(中略)そのため、この地を『龍岡』と名付けた」[注釈 1]とある。この土地は劉姓一族に属していたが、龍脈をめぐって近隣の他姓一族が狙っていたため、劉関張趙の四氏族が集い、団結と崇拝を目的として、岡の上にそれぞれの祖先とする劉備ら四兄弟と諸葛亮の神像を祀る『龍岡古廟』[14]を建造し、侵略を断念させた[15]。寺院が建てられると近隣遠方から人々が供養に訪れ、人気を博したという[4]。
龍岡協会の誕生まで

シアトル(1886年)
この地の人々が海外へ出て生計を立てるようになったのは清朝末光緒初期で[15]、19世紀末から20世紀初頭にかけて世界中で起こった中国人移民のうち、アメリカ合衆国での龍岡協会は他の中国系グループ同様、カリフォルニアでのゴールドラッシュや大陸横断鉄道の建設と深く絡み合っている[16]。

中華街と龍岡協会
社会的な敵意・差別のため、中国人移民の大半はサンフランシスコのチャイナタウン(中華街)に留まることを余儀なくされ、これにより多くの異なる移民グループが姓・方言・出身地域・職業などに基づいて任意団体を形成し、龍岡協会も他の移民協会と同様、仲間を援助し、新参者の新天地での定住を支援して、主流社会で中国文化を促進することが設立当初の目的であった[17]。1876年、同地に開平の古廟と同じ『龍岡古廟』が建立されると、連帯、崇拝、強化を目的として、世界中の中国人移民コミュニティで『龍岡古廟』をモデルとした、多くの複製が作られていった[16]。
1895年にはサンフランシスコに『龍岡会館』と『睦親会』(後の名義会)が誕生し、前者は会合場所の提供と会員への社交活動の促進、中国から新しく到着した仲間の援助といった、友愛的活動に従事した。後者は仲間を不当な敵意から守るために結成されたが、1906年に発生したサンフランシスコ大地震により、寺院とすべての歴史的記録は完全に破壊されてしまう。そのため、1910年にストックトン街に新しい「龍岡ビルディング」を建設し、そこを『龍岡会館』の本拠地とした。1924年以降は、グラントアベニュー924番地の「名義ビルディング」に本拠地を置いている[17]。
全米での進展と発展

その後、会員の一部はアメリカ各地域に移動し、「龍岡」、「睦親」、「名義」、「四兄弟」といった名で四姓の同族会やグループを組織した。1928年、ロサンゼルスで連帯を示す「龍岡友愛大会」(後節)が初めて開催され、サンフランシスコの『龍岡会館』と『名義会』は合衆国の「龍岡」および「名義」を統括する『龍岡親義会館・全米本部』として統合されたが、1986年に『龍岡会館』は復活している[17]。

(1978年)
1948年、ニューヨークに『美洲龍岡親義総公所』の設立と「第2回友愛大会」が開催され、南北アメリカ大陸すべての「龍岡」および「名義」の本部として正式に確立。1951年、サンフランシスコで「第3回友愛大会」が開催され、すべての同族会とクラブの名称を『龍岡親義公所』に統一するという決議を採択した[17]。ただし、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークにはそれぞれ『名義寄廬』、『名義軒』、『名義倶楽部』といった名称がある[18]。協会は二重の内部構造を持ち、「龍岡公所」(旧:龍岡廟)は四姓祖先の肖像を祭り、祖先崇敬を示す場所、「親義公所」はクラブ的な娯楽・親睦の場として機能する[19]。
東南アジア古城会館

(深圳博物館展示)
東南アジアの龍岡協会の起源は、アメリカのサンフランシスコよりも古く、その背景にはアヘン戦争(1839~42年および1856~60年)や太平天国の乱(1851~64年)による中国国内の不安定な政治状況がある。多数の中国人が東南アジア、特に中国系住民が居住するマレーシア、シンガポール、インドネシアへ渡ったが、なかでも生活状況が特に悪化した広東省と福建省の中国南東部からの流出が顕著であった[20]。

最初に組織された四姓の同族会は、1873年にシンガポールで設立された『古城会館』(英: Kucheng Association)で、クアラルンプール、スラバヤ、ヤンゴン、クチン方面などの四姓同族会も、当初は「龍岡」ではなく、すべて「古城会館」であった(名称の由来については次節参照)[21]。現在では、ほとんどが「龍岡会館」(英: Lung Kong Association)」に名称を変更している[20]。一方、インドネシアの龍岡協会は、スハルト大統領(在任期間:1967〜98年)の厳しい統治の間、華僑は自国語での学習・新聞の発行、協会設立を禁止されていたため、民主化された2014年に初めて設立されている[22]。
世界の龍岡親義公所
| 世界各国の龍岡協会と設立年 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| アジア | オセアニア | 南北アメリカ | |||||
| 中国開平 | 1662年 | ベトナム | 1969年 | オーストラリア | ※ | アメリカ | 1875年 |
| 香港 | 1960年 | ミャンマー | ※ | ヨーロッパ | カナダ | 1902年 | |
| 台湾 | 1960年 | ボルネオ | 1962年 | イギリス | 1960年 | メキシコ | 1920年 |
| 金門 | ※ | フィリピン | 1885年 | フランス | 1960年 | キューバ | 1900年 |
| 日本 | 1961年 | マレーシア | 1945年 | スペイン | 1978年 | ペルー | 1900年 |
| 韓国 | 1970年 | インドネシア | 2014年 | アルゼンチン | ※ | ||
| タイ | 1961年 | シンガポール | 1863年 | ||||
| ※資料に「近年設立された」と記されるのみで、設立年不明の地域。 また、資料によっては、設立年の記述に揺れがみられる(例:香港1960年→63年)。[22][23][13] | |||||||
1960年9月、世界各地の龍岡協会を統括する『世界龍岡親義総会』が創設され、香港の『龍岡親義公所』がその本部として機能することになる[22]。1968年には本部を台湾(台北)に移転し、現在、世界に約150の協会と約300万人以上の会員が存在し、海外華僑総人数の7分の1を占める、世界的大規模な華僑組織のひとつとして発展した[24]。
各協会は互いに独立して運営され、『美洲龍岡親義総公所』の傘下には米国とカナダに約15の協会、ラテンアメリカにはメキシコ、ペルー、キューバそれぞれ一つずつ協会が運営され[13]、オーストラリア各地にも拡大した[22]。日本では1961年、横浜に『京浜龍岡総会』が成立している[25]。
独自性と精神
義侠的結合

龍岡協会は、一族協会として血縁の連帯、祖先の教え、という形で一連の儒教的価値観を固守することによって強化された「道徳共同体」で、他の非一族協会と大きな違いを示している[22]。さらに龍岡協会は異姓・異派という、血脈的には無関係な[13]、武侠精神による義侠的結合であって、共同利益的結合ではないことが強調されるように、擬制的兄弟関係の上に成立する「四姓連合団体」というユニークな存在といえる[26]。
次の「桃園結義」「古城取聚」の精神、劉備の遺訓、忠義親愛・精誠団結・合群互助を目的として章程を遵守し、品行端正な者は個人会員として加入が認められる[27]。
桃園と古城

100年以上の歴史を通じ、龍岡の「道徳共同体」は四氏族の祖先を団結させる共通の記憶、すなわち「桃園の誓い」(桃園結義:後漢末、政治が乱れ、農民の反乱である黄巾の乱が起こると、朝廷は反乱を鎮圧するために志願兵を募った。劉備・関羽・張飛もその志願者で、彼らは酒場で意気投合すると、桃園にて義兄弟の契りを結んで三兄弟になったとする故事[28])と、「古城聚義」(西暦200年頃、曹操に敗北後、散り散りになった義兄弟たちが古城で再会し、趙雲も合流して正式に劉備の仲間になる故事[29]を指し、龍岡協会ではこれを含めて四人が義兄弟になったとする[注釈 2])の精神を「教え」として繰り返すことで、構築・強化されてきた[31]。
「桃園の誓い」や「古城聚義」は正史『三国志』には見られず、『三国志』を基にした歴史小説『三国志演義』での虚構(フィクション)であるが[30]、四氏族の子孫による「桃園の誓い」の記念と再現は強固な共同体の連帯感を生み出すのに役立ち、劉備、関羽、張飛、趙雲のように同じ血筋を持たなくとも、彼らのように義、忠誠、仁愛、知恵、勇気、国家への奉仕という価値観(龍岡精神)を共有することで、会員間での「兄弟」の連帯を強化している[32]。
劉備の遺訓

劉備の塑像
「龍岡精神」に加え、正史に記される劉備の遺言を「教え」として崇敬、神聖化している[22]。
努めよ、努めよ。いかに小さな悪事であっても行うことなかれ。いかに些細な善行であっても怠ることなかれ。ただ徳と知恵のみが人の心を掴むことができる。 — 『三国志』巻三十二「先主伝」《諸葛亮集》息子劉禅へ宛てた遺言
「いかに小さな悪事であっても行うことなかれ。いかに些細な善行であっても怠ることなかれ」[33][34]は、宋代の新儒教思想家の一人・朱熹によって彼の家訓に取り入れられたことで、清が終焉するまでの数世紀の間、大衆的な儒教の教えに多大な影響を与えた。龍岡協会の綱領、歌、規約、系図、会報、その他公式機関は、子孫を教導するために主要な儒教的価値観を集合的に制度化し、忠(忠誠)、義(正義)、仁(仁愛)、勇(勇気)、四つの価値観をパンフレット、記念品、規約にも明確に記している[22]。
協会の職能
| 四姓先賢の生誕日 | 記念日 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 劉備 | 農暦正月19日 | 張飛 | 農暦8月8日 | 龍岡日 | 新暦4月4日 | 各公所が紀念大会を行う |
| 関羽 | 農暦6月24日 | 趙雲 | 農暦9月9日 | 世界友愛大会 | 3~4年ごと | 世界各地の異なる都市で開催(次節参照) |
四姓先賢(劉備、関羽、張飛、趙雲)の祭祀的団体として機能し、祖先の四兄弟を「四先賢」として祭祀する[13]。四先賢の生誕日[35]には連歓会、演劇、青年部の演舞が展開される。相互扶助の機能としては、教育では龍岡中小学の経営、国語教育、奨学金制度を利用することができる[36]。また、龍岡協会の政治的見解は国民政府側に立ち、反共の意識を明確にしているとされる[25]。
世界友愛大会

龍岡協会は他の多くの一族協会と同様に、血縁の連帯を示す『世界友愛大会』を3〜4年ごとに世界各地の異なる都市で開催している[22]。
1960年には「第1回龍岡協会友愛大会」が香港で開催され、『香港龍岡親義公所』と『世界龍岡親義総会』の合同創立を祝った。1992年には「第9回龍岡友愛大会」がサンフランシスコで行われ、世界中から四氏族300名以上の参加者が集っている。2006年には「第13回大会」をタイのバンコクで開催。2015年には「第16回大会」が台湾の台北で開催された。2018年には「第17回大会」をニューヨークで開催し、1000名以上の会員が集った。2021年には「第18回世界龍岡親義総会友愛大会」が龍岡協会発祥の地である広東省開平で開催されている[22]。
儀式の詳細
2019年9月22日から4日間カナダのトロントで開催された「友愛大会」では、歓迎夕食会、祖先崇拝の儀式、新役員の選挙、送別晩餐会が行われた。二日目の祖先崇拝の儀式、すなわち「桃園の義兄弟の誓い」の再現がトロントの龍岡協会メインホールで行われ、赤い絹のリボンで縁取られた劉備、関羽、張飛、趙雲の四祖先の巨大な油絵と、両脇には劉備の「教え」の書道が飾られ、供物台には二匹の豚の丸焼きと、供え台の上には大きな青銅製の香炉、二つの花瓶、果物、酒が注がれた杯が並べられた。会員らが龍岡賛歌を歌い終わると、献香、献花、献酒の儀式が行われ、四言詩の形式で四祖先の霊に捧げる弔辞を朗読し、参加者全員による劉備の教え「いかに小さな悪事であっても行うことなかれ。いかに些細な善行であっても怠ることなかれ」を斉唱して締めくくられた[37][22]。
