森田慶一
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県立三重第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年(大正9年) 東京帝国大学工学部建築学科卒業。その後、一旦、警視庁技師となったのち、武田五一からの招聘で京都帝国大学助教授として赴任。
1934年に「ヰトルーヰウスノ建築論的研究」で工学博士。1934年から1936年、古典建築を研究のため、フランス、ギリシアに留学。1936年、京都帝国大学教授。
- 1958年(昭和33年)、京都大学を退官。
- 1950年(昭和25年) 京都府建築審査会委員(1957年まで)。
- 1951年(昭和26年) 奈良県建築審査会委員(1957年まで)。
- 1953年(昭和28年) 京都国立博物館調査員。
1963年(昭和38年)から1979年(昭和54年)まで東海大学教授を務める。1974年には日本建築学会大賞を受賞。
分離派として作品を発表する傍ら、『建築論』や『西洋建築史概説』など自らの思索を開陳すると共に、『ウィトル-ウィウス建築書』(東海選書)の翻訳で建築史に大きな一歩を残した。
後年の著作『建築論』は京大時代の建築概論の講義を発展させた書籍。ほか、『西洋建築入門』に明示されているように、ロマン的本性にも深い共感を懐いている。古典性とロマン性という二元論的対比のなかで建築を統合的に把握しようとするのが建築理念であったという。森田における古典性は硬直したクラシシズムとは無縁であり、深く傾倒されていたオーギュスト・ペレのシャンゼリゼ劇場に関し「そこにあるのはフランス的エスプリで洗練された論理的な古典の厳しさである」と述べ、さらにゴシック大聖堂と対比させながら「建物の骨格に空間の歌をうたわせること、これがペレの全作品に通ずる彼の建築理念である」と言明している。青年期にフランスとギリシアで学び、終生ロマン的古典性を追い求め、青年時代にヴォーリンガーのゴシック論を深く研究していた。
古典建築の研究を通して建築の本源を思索し、その思想を体系化することによって建築論を理論学として確立、建築論-学の創始者であり、その門からは多くの学者を輩出。
晩年入院になった直後に受洗。自らマルコというクリスチャン・ネームを所望したといい、キリスト教文化にも深い関心を懐いていた。

