高知県に生まれる。1952年京都大学工学部建築学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)[2]。清水建設勤務を経て京都工芸繊維大学講師、1962年大阪大学工学部助教授。1967年同大学工学部教授[3]。1992~1997年大阪工業大学工学部建築学科教授。
建築人間工学・群衆安全工学のパイオニアである。大阪大学工学部をメインに41年の長きにわたり教育・研究に従事、建築・都市人間工学領域(講座)を担当[4]。
群集安全工学の高い専門性と見識は、明石花火大会歩道橋事故(2001年7月)の原因究明にあたり大いに発揮し、長年携わったこれらの建築防災計画評定に活かされる[5]。