梅村魁

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生誕 (1918-03-05) 1918年3月5日
日本の旗 日本東京都
死没 1995年1月31日(1995-01-31)(76歳没)
配偶者 綾子(旧姓:中村)- 中村孝也の娘 [1][2]
梅村 魁うめむら はじめ
人物情報
生誕 (1918-03-05) 1918年3月5日
日本の旗 日本東京都
死没 1995年1月31日(1995-01-31)(76歳没)
出身校 東京帝国大学
配偶者 綾子(旧姓:中村)- 中村孝也の娘 [1][2]
子供 梅村護・梅村坦 [3]
学問
研究分野 建築構造学耐震構造学[4]
研究機関 東京大学
芝浦工業大学
学位 工学博士
主な受賞歴 日本建築学会大賞 (1988年)
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梅村 魁(うめむら はじめ、1918年3月5日 - 1995年1月31日[5][6])は、日本の建築構造工学者。建築構造の研究および東京大学芝浦工業大学で後進の育成にあたる。日本コンクリート工学会第8代会長(1978年-1980年5月)をつとめ[7]、1983年5月名誉会員となる[8]工学博士。東京大学名誉教授。1988年日本建築学会大賞受賞。

1970年から1972年、日本建築学会関東支部 第12代歴代支部長[9]、1979年から1981年日本建築学会 会長[10]、1993年から1995年一般社団法人 日本免震構造協会 初代会長[11][12]を歴任する。

東京出身[5]。旧制静岡県立静岡中学校[13][14]旧制静岡高等学校を経て[要出典]、1941年、東京帝国大学工学部建築学科卒業[15]、そのまま武藤清研究室の大学院学生になった[16]

1943年、東京帝国大学助教授。太平洋戦争末期には武藤清とともに松代大本営の造営に関与した。1949年、論文「鋼筋コンクリート材の耐力に関する研究」で東京大学より工学博士の学位を取得[17]。「鉄筋コンクリート梁の研究」の業績により、1950年度 日本建築学会賞(論文)受賞[18]

1957年12月(39歳)、おもて俊一郎[19]とともにトルコ・イスタンブール[20]、翌年12月まで滞在。イスタンブール工科大学工学部建築学土木工学の学生らに英語で耐震工学の講義をした[21]。この間3週間、英国コールダーホール調査団に合流し、イギリスに渡った[22]

1963年、東京大学教授。1977年、同大学工学部長[23]。1978年、同大学退官、名誉教授の称号を得る。同年、芝浦工業大学教授に就任。1982年9月(64歳)、バルカン地域の地震工学セミナーのためイスタンブールへ赴く[24][25]

1982年12月から1988年3月末、芝浦工業大学理事長[26]
元理事長である梅村魁からの寄付金を基金として、梅村魁記念賞が設けられた[27][28][29]

1995年1月31日、呼吸不全のため死去[5]

著書

脚注・出典

外部リンク

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