武蔵川部屋
From Wikipedia, the free encyclopedia
2003年11月場所中に現役を引退して、以降は旧武蔵川部屋(2010年以降は藤島部屋)付き親方となっていた15代武蔵川(第67代横綱・武蔵丸)が、2013年4月1日に力士2人と床山1人を連れて藤島部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を再興した[1]。部屋の施設は2012年12月に閉鎖された中村部屋の建物を借り受けている。
2013年8月29日には17代雷(元小結・垣添)が藤島部屋から移籍して部屋付き親方となったが、2020年9月28日に入間川部屋へ再転籍した[2]。
また九州場所の際に使用する宿舎は中間市にあり、宿舎の誘致は市長を3期務めた松下俊男が発起した[3]。名古屋場所での宿舎は名古屋市中区大須の萬松寺である。
所在地
師匠
旧・武蔵川部屋
12代時代
- 1931年に12代武蔵川(元幕下・鴨緑江)が当時の中川部屋の師匠である7代中川(元幕内・鬼鹿毛)が亡くなった後に、残された弟子たちを引き取る形で武蔵川部屋を創設した。三熊山が幕内に昇進したものの、1933年に12代武蔵川は武蔵川部屋を閉鎖し、三熊山を含めた弟子は鏡山部屋へ移籍した。
14代時代
- 14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が、1981年8月に5人の弟子を率いて、出羽海部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を創設した。2010年9月30日に14代武蔵川は部屋の師匠の座を部屋付き親方である18代藤島(元大関・武双山)へ継承。継承の際年寄名跡は交換しなかったため、武蔵川部屋は藤島部屋へ名称を変更した。
→「藤島部屋」を参照