時津風一門
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時津風一門(ときつかぜいちもん)は大相撲の一門のひとつ。

昭和初期の大横綱である第35代横綱・双葉山を開祖とする、新興勢力である[1]。
1941年(昭和16年)、立浪部屋の第35代横綱・双葉山は、69連勝などの実績が評価されて現役力士のまま弟子の育成ができる二枚鑑札を許可された。双葉山は直弟子10人を率いて立浪部屋から独立して、双葉山相撲道場を設立した。
この時に粂川部屋を開いていた5代粂川(元大関・鏡岩)は、双葉山と同時に大関昇進して仲が良かったことから、5代粂川は自らの弟子全員を双葉山に譲り、自らも双葉山相撲道場の部屋付き親方となった。1943年(昭和18年)5月には、荒汐部屋、甲山部屋、二十山部屋を双葉山相撲道場に糾合した。
双葉山は1945年(昭和20年)11月場所限りで現役を引退、年寄・12代時津風を襲名する。同時に双葉山相撲道場を時津風部屋と改称した。
これに、伊勢ノ海部屋と井筒部屋が、ともに自前の一門を畳んで合流。3系統から成る時津風一門が形成された。ただし、系統別総当たり制の時代には、伊勢ノ海部屋は時津風・井筒系と対戦していた。
時津風部屋系統からは、立田川部屋(現在は閉鎖)・湊部屋(2017年12月一門を離脱し無所属をへて二所ノ関一門へ)・式秀部屋(現在は出羽海一門に所属)・荒汐部屋が独立している。
伊勢ノ海部屋系統からは鏡山部屋が一時期独立していたが、2021年7月に閉鎖されて伊勢ノ海部屋に吸収された[2]。
井筒部屋系統からは、君ヶ濱部屋(1973年に井筒部屋に改称)・陸奥部屋・錣山部屋(2017年12月一門を離脱し無所属をへて二所ノ関一門へ)が独立している。さらに、陸奥部屋からは音羽山部屋が独立している[3]。なお、1973年に君ヶ濱部屋から改称される形で再興された井筒部屋本体は、2019年9月に15代井筒(元関脇・逆鉾)が死去したため、陸奥部屋に吸収されている。陸奥部屋も2024年4月に閉鎖されている[4]。
2016年末、一門の祖である双葉山の出身部屋である立浪部屋から独立した追手風部屋が、伊勢ヶ濱一門と袂を分かって時津風一門に加わった[5]。追手風部屋はこの時点で、不祥事により一時閉鎖の処分を受けていた春日山部屋の力士を預かっており、2017年1月に春日山部屋が中川部屋として再興されたため、追手風部屋も系統の部屋を持つことになったが、2020年7月に中川部屋も閉鎖されている。
時津風一門からの選出理事は、2010年理事選挙では高砂一門と選挙協力したために1人増えて2人となり、2012年理事選挙では高砂一門に譲ったため1人となったが、2022年の理事候補選挙では伊勢ヶ濱一門が2人から1人に減ったため、10年振りに2人となった。
一門所属年寄一覧
2026年3月25日時点
| 役職 | 親方名(太字は総帥) | 現役時代の最高位・四股名 | 所属部屋(太字は師匠) | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 理事 | 伊勢ノ海準人 | 前頭3・北勝鬨 | 伊勢ノ海部屋 | 現在3期目 |
| 追手風直樹 | 前頭2・大翔山 | 追手風部屋 | 現在1期目 | |
| 役員待遇委員 | 勝ノ浦利郎 | 前頭2・起利錦 | 伊勢ノ海部屋 | 理事経験あり(1期) |
| 委員 | 荒汐栄吉 | 前頭2・蒼国来 | 荒汐部屋 | |
| 浦風冨道 | 前頭1・敷島 | 荒汐部屋 | ||
| 枝川秀樹 | 前頭1・蒼樹山 | 時津風部屋 | ||
| 音羽山力三郎 | 第71代横綱・鶴竜 | 音羽山部屋 | ||
| 春日山翔太 | 関脇・勢 | 伊勢ノ海部屋 | ||
| 甲山剛 | 前頭11・大碇 | 伊勢ノ海部屋 | ||
| 立川敏生 | 関脇・土佐ノ海 | 伊勢ノ海部屋 | ||
| 時津風祐哉 | 前頭1・土佐豊 | 時津風部屋 | ||
| 中川憲治 | 前頭14・旭里 | 時津風部屋 | ||
| 年寄 | 北陣聖大 | 小結・遠藤 | 追手風部屋 | |
| 参与 | 鏡山昇司 | 関脇・多賀竜 | 追手風部屋 | 理事経験あり(6期) |
| 高島大造 | 関脇・髙望山 | 追手風部屋 | 理事経験あり(2期)[6] | |
| 立田山裕教 | 前頭1・薩洲洋 | 追手風部屋 | ||
| 陸奥一博 | 大関・霧島 | 音羽山部屋 | 理事経験あり(2期) |