放駒部屋
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松ヶ根部屋
1987年(昭和62年)7月場所に現役を引退し、以降は二子山部屋の部屋付き親方となっていた年寄・9代松ヶ根(元大関・若嶋津)が、1990年(平成2年)2月18日に内弟子2人を連れて二子山部屋から分家独立して松ヶ根部屋を創設し、千葉県船橋市に拠点を置いた。
1999年3月場所に新十両へ昇進した若孜を最初として一時期は4人の関取を擁したが、2006年11月場所に春ノ山が引退したのち関取不在が続いた。2010年5月場所で松谷(現・松鳳山)が新十両へ昇進し、松鳳山は2013年1月場所で部屋初の三役力士となった。
2013年1月28日に閉鎖された二所ノ関部屋から10代二所ノ関(元関脇・金剛)ら年寄3人・行司1人・床山1人を受け入れた。2014年11月24日に片男波部屋から18代放駒(元関脇・玉乃島)と11代二所ノ関(元幕内・玉力道)が移籍して部屋付き親方となった[1]。
二所ノ関部屋
2014年12月1日、9代松ヶ根と11代二所ノ関が名跡を交換し、同日付で部屋名は二所ノ関部屋に改められた[2]。「二所ノ関部屋」は二所ノ関一門を代表する部屋の名前であり、2013年1月に旧二所ノ関部屋が閉鎖されて以降、一門内では二所ノ関部屋の復活を望む意見があったことが、この部屋名改称につながった[3]。部屋名変更に伴い、松ヶ根部屋に所属していた12代二所ノ関を含む年寄5人と松鳳山ら所属力士12人・行司2人・呼出2人・床山2人は引き続き二所ノ関部屋の所属となった。部屋の施設も引き続き松ヶ根部屋のものを使用した。
放駒部屋
2021年(令和3年)12月24日に12代二所ノ関の停年(定年)退職を翌月に控え、部屋付きの18代放駒が二所ノ関部屋を継承した[4]。これに伴い部屋名を同日付で放駒部屋と改め[4]、旧二所ノ関部屋の関係者は片男波部屋に転属した床山1人を除き全員が放駒部屋の所属となった[4]。12代二所ノ関は同日付で荒磯部屋師匠の16代荒磯(元横綱・稀勢の里)と名跡を交換し、17代荒磯として放駒部屋の部屋付き親方となり、荒磯部屋が新・二所ノ関部屋として活動する[4]。放駒部屋発足直後は千葉県船橋市の旧二所ノ関部屋を拠点としたが[5]、東京都足立区へ移転を計画して新築工事を進めた[6]。
2022年4月9日に東京都足立区六町に新築した新しい部屋で土俵祭りを行い、後援会関係者らを招いて部屋開きを行った[5]。

