民主改革の会
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党史
前史
2026年1月中旬、高市内閣の解散報道を受け立憲民主党と公明党の衆議院議員は民主改革の会の前身となる中道改革連合を結成した[1]。 その後中道は第51回衆議院議員総選挙にて大敗、選挙前の172議席から49議席に激減した。この49議席の内28議席を比例区で優遇された公明党出身議員が占め、対して立憲民主党出身議員は21議席と立憲出身議員のみ大きく減ることとなり、落選した立憲出身議員や、当選した議員からも批判の声が上がった[2]。これに立憲・公明間の政策の相違点も加わり、衆議院の動きに取り残された立憲民主党の参議院議員や地方議員、地方組織からは中道改革連合への合流に反対する意見が多数を占めるに至った[3]。その間、中道、立憲、公明間では合流協議が進められたものの、最終的に合流の見送りが決定された。さらに9月に入ると中道の解体に拍車がかかり、中道改革連合は渡辺創衆議院議員を除き全議員が離党し、公明党出身議員は公明党に復党、立憲民主党出身議員は新党を結成することが中道内で了承された[4]。
党名
中道改革連合を離脱して立憲民主党出身議員の新党を結成することが決まって以降、「民主党」「民主の会」など「民主」を含んだものが支持を集める一方、「改革の会」なども取り沙汰された[5][6][7]。その後も様々な案が浮上し、「民主フォーラム」や「新民主党」などの意見も出たが、既存の党名に類似したものは認められない可能性が高いという総務省の説明もあり、9月14日には執行部からは「民主改革の会」「民主改革フォーラム」の2つが提示された[8][9]。翌15日には「新民主の会」か「民主改革の会」の2つから絞るとして小川淳也代表と階猛幹事長に一任され、「民主改革の会」にする方針を固めた。[10][11][12]。