沖宗敏彦
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広島工業高校時代[2] の2年次の1976年、新潟高校総体ベスト8、国体準優勝(1-4静岡県選抜)、3年次の1977年、岡山高校総体ベスト4進出に貢献した。
その後は川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部に11年所属[3]。望月豊仁、来海章、中村一義、城福浩、岩渕弘幹、沈祥福らとプレー。フィジカルの強さとテクニックに優れた左利きのディフェンダーで、センターバックや左サイドバックをこなした。1979年、U-20サッカー日本代表としてワールドユース日本大会に出場。また日本代表として1981年のムルデカ大会など、国際Aマッチ2試合にも出場した[1]。
近年は宝くじの普及広報を目的とした、ドリームサッカー日本代表OBのメンバーとして各地で試合を行っている。
また、2007年4月設立の神奈川県NPO法人座間スポーツコミュニティ(座間フットボールクラブ)で理事、総監督としてU-13、U-14、U-15を指導し、現在活動中。神奈川県座間市サッカー協会副技術委員長及び中学トレセンも指導を担当し現在に至る。