越田剛史
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | アントン | |||||
| カタカナ | コシダ タケシ | |||||
| ラテン文字 | KOSHIDA Takeshi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1960年10月19日(65歳) | |||||
| 出身地 | 石川県金沢市 | |||||
| 身長 | 182cm | |||||
| 体重 | 78kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| ユース | ||||||
| 1976-1978 |
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| 1979-1982 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1983-1989 |
| 97 | (6) | |||
| 1990-1996 |
| |||||
| 通算 | 97 | (6) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1979 |
| 3 | (0) | |||
| 1980-1985[1] |
| 19 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2007- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
越田 剛史(こしだ たけし、1960年10月19日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック、サイドバック)。
石川県立金沢桜丘高等学校時代は無名の選手であったが、2年次に石川県選抜の一員として参加した国体予選で関係者の目に留まり、日本ユース代表候補に選出された。
筑波大学に入学後は蹴球部に所属し、1年次にユース代表として1979 FIFAワールドユース選手権に出場すると、2年次の1980年には日本代表に選出され、同年12月22日の1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選のシンガポール代表戦でデビューすると、1982年アジア競技大会など、国際Aマッチ19試合に出場した[1]。
大学卒業後の1983年にユース代表時代の同僚の水沼貴史や柱谷幸一、田中真二らと共に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部へ加入。1983年と1985年の天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。
現役時代には身体能力を生かした長身のセンターバックとして期待されたが、クリアミスや攻撃参加した隙を突かれて失点をするなどのDFとしては致命的なミスも多く[2]、日本代表では1985年に同じポジションを務める石神良訓とのポジション争いに敗れると代表からは外れ、所属する日産ではオスカーや佐野達の加入によりサイドバックとしてプレーするようになった。
1988-89シーズンではレギュラーとして、JSLカップ、天皇杯の二冠に貢献。リーグ戦においても16試合にスタメン出場していたが、教員となるためにシーズン途中で退団することを決意。1989年3月22日に行われたJSL1部第16節、三菱重工戦を最後に、郷里の石川県に戻り石川県立盲学校に赴任した。その後は金沢サッカークラブ(ツエーゲン金沢の前身)でプレーを続けた[3]。
引退後は指導者の道へ進み、母校の金沢桜丘高校の監督として長年指揮を執った。現在は北陸大学の教授として教鞭を執る傍ら、Jリーグのツエーゲン金沢のテクニカルディレクターを務めている。2008年には日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得した[4]。
2023年6月1日、ベトナムサッカー連盟のテクニカルディレクターに任命される[5]。
所属クラブ
個人成績
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 19試合 0得点(1980-1985)[1]
| 日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1980 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
| 1981 | 1 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 |
| 1982 | 7 | 0 | 9 | 1 | 16 | 1 |
| 1983 | 6 | 0 | 12 | 0 | 18 | 0 |
| 1984 | 3 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 |
| 1985 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 通算 | 19 | 0 | 31 | 1 | 50 | 1 |
出場
| No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1980年12月22日 | ○1-0 | 川淵三郎 | ワールドカップ予選 | |||
| 2. | 1981年09月14日 | ○2-0 | 森孝慈 | ムルデカ大会 | |||
| 3. | 1982年03月21日 | ●0-3 | 日韓定期戦 | ||||
| 4. | 1982年07月15日 | ●0-4 | 国際親善試合 | ||||
| 5. | 1982年07月18日 | ●1-3 | 国際親善試合 | ||||
| 6. | 1982年11月21日 | ○1-0 | アジア大会 | ||||
| 7. | 1982年11月23日 | ○3-1 | アジア大会 | ||||
| 8. | 1982年11月25日 | ○2-1 | アジア大会 | ||||
| 9. | 1982年11月28日 | ●0-1(延長) | アジア大会 | ||||
| 10. | 1983年02月12日 | △2-2 | 国際親善試合 | ||||
| 11. | 1983年09月04日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○7-0 | オリンピック予選 | |||
| 12. | 1983年09月07日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○10-1 | オリンピック予選 | |||
| 13. | 1983年09月15日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○2-0 | オリンピック予選 | |||
| 14. | 1983年09月25日 | ●1-3 | オリンピック予選 | ||||
| 15. | 1983年10月07日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ●0-1 | オリンピック予選 | |||
| 16. | 1984年03月06日 | ○7-1 | 国際親善試合 | ||||
| 17. | 1984年04月18日 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||||
| 18. | 1984年04月21日 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||||
| 19. | 1985年11月03日 | ●0-1 | ワールドカップ予選 |
指導歴
- 1995年 - 2000年 石川県国体少年選抜コーチ[4]
- 1997年 - 2006年 石川県立金沢桜丘高等学校サッカー部 監督[4]
- 2006年 - ツエーゲン金沢 テクニカルディレクター[4]
- 2007年 - 北陸大学サッカー部 監督[4]
- 2023年 - ベトナムサッカー連盟 テクニカルディレクター