金子久
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | ゴルゴン | |||||
| カタカナ | カネコ ヒサシ | |||||
| ラテン文字 | KANEKO Hisashi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1959年9月12日(65歳) | |||||
| 出身地 | 埼玉県与野市 (現さいたま市中央区) | |||||
| 身長 | 179cm | |||||
| 体重 | 84kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| ユース | ||||||
| 1975-1977 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1978-1992 |
| 163 | (23) | |||
| 通算 | 163 | (23) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1979 |
| 1 | (0) | |||
| 1986-1987[1] |
| 7 | (1) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
金子 久(かねこ ひさし、1959年9月12日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代は屈強な体を活かしたセンターバックとして活躍した[2]。
与野市立下落合小学校でサッカーを始める。与野市立与野東中学校[3] を経て、帝京高等学校に進学。古沼貞雄監督の下で1年次の高校総体予選から出場機会を掴みレギュラーへ定着した。
3年次の1977年の高校サッカー選手権では早稲田一男、宮内聡らと共に優勝に貢献[2]。東京都予選から10試合連続無失点の守備の要として活躍したほか、決勝の四日市中央工業戦で決めた豪快なヘディングシュートは語り草となっている。
卒業後の1978年に古河電気工業サッカー部に加入[2]。同年に日本ユース代表に選出されると、1979年のFIFAワールドユース選手権に出場した。しかし所属する古河電工では出場機会が少なく、ベテランの桑原隆の控えに回る事が多かった。1984年に清雲栄純が監督に就任すると転機が訪れ、翌1985年にレギュラーの座を掴むと、スイーパーの岡田武史と共に堅固な守備陣を形成し[2]、2度目の日本サッカーリーグ制覇に貢献、シーズン終了後にはベストイレブンに選出された。
その後も古河の守備の要として活躍、またJSL東西対抗戦メンバーや、日本サッカーリーグ選抜に選出されるなど、日本サッカーリーグを代表するDFの一人であった。
日本代表としては1986年7月25日のムルデカ大会、シリア戦で代表デビュー[2]。同年9月のアジア競技大会や翌1987年のソウルオリンピック予選など国際Aマッチ7試合に出場1得点を記録した[2]。
引退後は指導者の道へ進み、古河の後継であるジェフユナイテッド市原の下部組織のコーチを務めた[2]。その後、クラブを離れたが、2009年よりジェフユナイテッド市原・千葉の運営担当。
エピソード
所属クラブ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1978 | 古河 | 2 | JSL1部 | 0 | 0 | 1 | |||||
| 1979 | 1 | 0 | |||||||||
| 1980 | 14 | 2 | 0 | ||||||||
| 1981 | 13 | 0 | 1 | 1 | |||||||
| 1982 | 12 | 1 | |||||||||
| 1983 | 10 | 1 | |||||||||
| 1984 | 5 | 10 | 1 | ||||||||
| 1985 | 22 | 2 | |||||||||
| 1986-87 | 22 | 5 | |||||||||
| 1987-88 | 20 | 4 | |||||||||
| 1988-89 | 22 | 3 | |||||||||
| 1989-90 | 21 | 5 | 2 | 0 | |||||||
| 1990-91 | 5 | 1 | 5 | 2 | |||||||
| 1991-92 | 3 | 0 | 0 | 0 | |||||||
| 通算 | 日本 | JSL1部 | 163 | 23|||||||||||| | |||||||
| 総通算 | 163 | 23|||||||||||| | |||||||||
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 1試合0得点
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 7試合 1得点(1986-1987)[1]
| 日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1986 | 3 | 0 | 2 | 2 | 5 | 2 |
| 1987 | 4 | 1 | 9 | 0 | 13 | 1 |
| 通算 | 7 | 1 | 11 | 2 | 18 | 3 |
出場
| No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1986年07月25日 | ○2-1 | 石井義信 | ムルデカ大会 | |||
| 2. | 1986年08月01日 | ●1-2(延長) | ムルデカ大会 | ||||
| 3. | 1986年09月28日 | ○4-0 | アジア大会 | ||||
| 4. | 1987年04月08日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○3-0 | オリンピック予選 | |||
| 5. | 1987年04月12日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○1-0 | オリンピック予選 | |||
| 6. | 1987年06月14日 | ○1-0 | オリンピック予選 | ||||
| 7. | 1987年09月18日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○9-0 | オリンピック予選 |
得点数
| # | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1987年09月18日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○9-0 | オリンピック予選 |
指導歴
- ジェフユナイテッド市原:育成普及部
- ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉:宇都宮スクールコーチ