津川イネ

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生誕 (1875-04-03) 1875年4月3日
日本の旗 日本 徳島県麻植郡[注釈 1]木屋平村森遠
(現在の美馬市木屋平森遠)
死没 (1986-05-21) 1986年5月21日(111歳没)
徳島県美馬郡木屋平村谷口
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
つがわ イネ
津川 イネ
生誕 (1875-04-03) 1875年4月3日
日本の旗 日本 徳島県麻植郡[注釈 1]木屋平村森遠
(現在の美馬市木屋平森遠)
死没 (1986-05-21) 1986年5月21日(111歳没)
徳島県美馬郡木屋平村谷口
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
著名な実績 存命人物のうち日本最高齢
(1984年2月10日 - 1986年5月21日)
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津川 イネ(つがわ イネ、1875年〈明治8年〉4月3日 - 1986年〈昭和61年〉5月21日)は、長寿日本一であった徳島県女性

1875年、徳島県麻植郡木屋平村森遠集落で農林業を営む津川国三郎・マス[注釈 2]夫婦の長女として生まれる[2]

9歳の時、村に小学校が設立され[注釈 3]入学したが、入学時の生徒はイネただひとりだけだったという[4]

永らく独身を貫いていたが、39歳の時に15歳年下の男性(婿養子)と結婚。当時としてはかなりの晩婚であった[5]。その後数人の子どもが生まれたが、二男一女を除いて夭折した[3]。また、1945年には次男と孫(長女の息子)が戦死している[1]

75歳頃まで、木綿の入手が難しかったこともあり、現在徳島県那賀郡那賀町木頭でしか織られていない、太布織っていたという[6]

その後、1972年に同居していた長男一家とともに山間部の森遠集落から村中央部の木屋平村谷口へ転居した[7]

106歳ごろまでは、当時の自宅から2kmほど離れていた森遠集落の元の畑で農作業をしていたが、同年秋に腰を痛めてからは農作業こそしなくなったが、毎日30分の散歩を欠かさずしていたという[8]

111歳の時、報道陣から長生きの秘訣を聞かれ「みんなが大事にしてくれるから長生きできた。元気なのはよく働き、食べ物の好き嫌いがないから。」と答えている[9]。一方で、2019年に取材を受けた孫はヨモギが苦手であったと述べている[8]

存命中は泉重千代の長寿記録が認定されており、1986年2月21日に泉が死去したことにより長寿日本一となったとされていたが、泉の長寿記録は2012年に取り消されており、実際には大熊モムが1984年2月10日に110歳と29日で死去した時点で108歳の津川が長寿日本一となっていた[10]。その後、111歳の誕生日となった1986年4月3日に誕生祝賀式と名誉村民証授与式が行われた[11]。 5月13日ごろから体調を崩し、1986年5月21日午後8時42分に心不全のため111歳と48日で死去[12]。 津川の死後、東京都在住の女性が最高齢と報じられたが、戸籍ミスで10歳若いことが判明した[13]。その後に最高齢とされた藤沢ミつも後の調査で年齢に疑義が生じ、現在では竹原セキが最高齢とされている。

なお、同人の死去に際しては6月5日に村民葬が行われている[12]

脚注

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