賀川滋子
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江戸時代から続く医者の家の生まれ[1]。93歳で死去した産婦人科医の叔父は80歳を過ぎても診察を行っていた[2][3][4]。
郡山高等女子学校(現・奈良県立郡山高校)卒業を経て[5]、1934年(昭和9年)3月 、大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)卒業[6]。1934年(昭和9年)4月からは大阪市立南市民病院(現:大阪公立大学医学部附属病院)産婦人科で勤務、1936年(昭和11年)4月からは同病院内科で勤務した[6]。1937年(昭和12年)7月に開業を果たした[6]。
太平洋戦争中は大阪市内の病院にも勤務し[7]、86歳まで現役の医師として勤めた[8]。2021年(令和3年)109歳の時には東京オリンピックの聖火リレーで聖火ランナーを務めた[7]。
漢字などの勉強をし、毎朝新聞を読む生活をしている。長生きの秘訣は「一生懸命勉強すること」「好き嫌いなく食べること」を挙げ、「病気にならずにまだまだ頑張りたい」と答えている[9]。
チョコレートが好物であり、毎日板チョコ半分ほどを食べている。食べ過ぎないようにして、まだまだ元気でいたいとも語っている。
113歳となっても、週に3度、介護施設に通い習字やパズルゲームを楽しんでいる[8]。
2022年(令和4年)に奈良県の最高齢者となり[10]、2025年(令和7年)7月29日には廣安美代子の死去により、114歳62日で国内最高齢者となった[11]。
人物
趣味は古典芸能鑑賞[6]。