江戸期は浦部村新田であり、下総国印旛郡のうち。印西領に属す。浦辺村新田とも書く。享保改革期の幕府の年貢増徴政策の一環として、延享・寛延期に推進された流作場新田の1つ。当新田は浦辺村の村請によって開発された。はじめ反高場で、水深1尺までを開発対象とされたため葭畑・芝畑などが中心であった。明和5年にの新田検地により高請され成立。幕府領。「元禄郷帳」には見えず、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに87石余。明治22年永治村の大字となる。[3]。
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 永治村大字浦部村新田になる[3]。
- 町村制施行し浦部村、小倉村、和泉村、白幡村、浦幡新田、浦部村新田、高西新田、平塚村が合併し永治村が発足。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町浦部村新田になる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市浦部村新田になる。