笠神 (印西市)
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小字
小字は以下の通り[4]
- 新畑(しんばた)
- 細割(ほそわり)
- 鳴戸(なると)
- 埜畑(やはた)
- 八畝(はっせ)
- 下埜畑(しもやはた)
- 下鳴戸(しもなると)
- 下細割(しもほそわり)
- 川向(かわむかい) - 一部が川向となる。
- 南川向(みなみかわむかい)
- 南前(みなみまえ)
- 五斗蒔(ごとまき)
- 下五斗蒔(しもごとまき)
- 東前(ひがしまえ)
- 舟戸(ふなど)
- 根古屋(ねごや)
- 笠神前(かさがみまえ)
- 下池(したいけ)
- 町田(まちだ)
- 作万橋(さくまんばし)
- 界田(さかいだ)
- 須賀前(すかまえ)
- 井谷里(いやり)
- 丸沼(まるぬま)
- 丸沼中通(まるぬまなかどおり)
- 徒越(かちごし)
- 梵天地(ぼんてんち)
- 沖田(おきだ)
- 長町(ながまち)
- 湯賀池(ゆがいけ)
- 中池(なかいけ)
- 馬渡(まわたし)
- 郷(ごう)
- 向辺田(むかいへだ)
- 金剛院(こんごういん)
- 下徒越(しもかちごし)
- 出津(でづ)
- 野原(やわら)
歴史
江戸期は笠神村であり、下総国印旛郡印西領のうち。寛文3年から幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から淀藩領。なお、天明6年印旛沼干拓事業に際し、一時期上知され幕府領となっている。慶長7年に検地が行われ、村高384石余、延宝元年の新田検地で笠神埜原開発分516石余加増、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに901石余。天保14年明細帳によれば、反別125町8反余、ほかに藩御用林1か所2町8反余、白井村・我孫子村の助郷村。なお、享保8年「淀領郷村帳」によれば、本年貢のほかに野手米1石5升・夫役永1貫873文7分・百姓林銭永35文を上納している(田辺家文書)。明暦2年埜地をめぐる小林村との争論で当村百姓3名が極刑となるが、埜地が当村の帰属となり、のち三義人として供養された(印旛郡誌)。神社は愛宕明神・鳥見明神・蘇波鷹明神・笠神宮・熊野権現、寺院は天台宗南陽院・性善院・戒行寺など。明治6年千葉県に所属。明治22年本郷村の大字となる[5]。