船尾 (印西市)
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小字
小字は以下の通り[4]。
- 町田道添(まちだみちぞえ)
- 町田(まちだ)
- 西根(にしね)
- 中峠(なかびょう)
- 白幡(しらはた)
- 平蔵地(へいぞうち)
- 木戸場(きどわき)
- 中台(なかだい)
- 四反目(よんたんめ)
- 新山(しんやま)
- 向ノ地(むこのち)
- 新坂下(しんさかした)
- 鴻ノ巣(こうのす)
- 向久保(むかいくぼ)
- 船戸(ふなど)
- 楝戸(さいかちど)
- 五反町(ごたんまち)
- 亀田(かめだ)
- 馬場下(ばばした)
- 境田(さかいだ)
- 香奠(こうでん)
- 北谷津(きたやつ)
- 馬場(ばば)
- 油免(あぶらめん)
- 本郷(ほんごう)
- 北台(きただい)
- 坊山(ぼうやま)
- 埜地(やち)
- 神明作(しんめいさく)
- 馬坂(まさが)
- 内野(うちの)
- 西ヶ作(にしがさく)
- バラ作(ばらさく)
- 出口(でぐち)
- 名場塚(めいばづか)
- 小池ノ作(こいけのさく)
- 多々羅田前(たたらだまえ)
- 高花(たかばな)
- 原山(はらやま)
- 割地(わりち)
- 四五右エ門(しごうえもん)
歴史
江戸期は船尾村であり、下総国印旛郡のうち。印西領・印西筋に属す。「各村級分」では幕府・旗本大岡氏の相給、元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」629石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに655石余。なお幕府領分の254石余は、寛文・延宝期に惣深新田が開発された時、同時にもと入会地の惣深野に開発された当村の切添新田である。同新田は延宝4年の検地により高請され、本村高に含められた。同年新田反別下畑50町7反余・屋敷5畝余(草深誌)。安政4年「領分村高帳」によれば、佐倉藩領分は反取で、ほかに夫役永1貫11文・林下苅代永50文と見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。神社は宗像神社など。寺院は天台宗東光院、ほかに観音堂・薬師堂(印旛郡誌)。明治22年船穂村の大字となる[5]。