鎌苅
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歴史
江戸期は鎌苅村であり、下総国印旛郡のうち。元禄9年頃は佐倉藩領、旗本土屋氏ほか4氏の相給、「各村級分」では旗本杉原氏ほか5氏の相給、「旧高旧領」では佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」270石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに299石余。水戸街道我孫子宿の助郷村。元和4年瀬戸村との境の秣場入会いをめぐり、また享保3年には大廻村との境の橋谷津・寺下谷津の所有をめぐりそれぞれ争論となっている。享保12年山水帳では古山新山合わせて29町余。寛保4年宗門書抜帳では、家数68・人数273。安政5年頃の反別田23町余・畑8町余・新田畑10町余(石橋家文書)。神社は宗像神社、寺院は曹洞宗東祥寺、天台宗円照院、ほかに禅宗新願寺。明治6年千葉県に所属。同20年岩戸尋常小学校分校が開校。明治22年宗像村の大字となる[4]。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 印西市立いには野小学校 | 印西市立印旛中学校 |