清本拓己

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カタカナ キヨモト タクミ
ラテン文字 KIYOMOTO Takumi
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1993-06-07) 1993年6月7日(32歳)
清本 拓己
名前
カタカナ キヨモト タクミ
ラテン文字 KIYOMOTO Takumi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1993-06-07) 1993年6月7日(32歳)
出身地 岐阜県関市
身長 169cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 FC OK’DELESUN
ポジション MF
背番号 18
利き足 右足
ユース
2009-2011 日本の旗 関商工高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012 オランダの旗 SBVエクセルシオール
2012 オランダの旗 フェイエノールト
2013-2015 日本の旗 FC岐阜 47 (0)
2014-2015 日本の旗 Jリーグ・U-22選抜 4 (0)
2016-2018 日本の旗 大分トリニータ 58 (12)
2019 大韓民国の旗 江原FC 0 (0)
2019-2021 日本の旗 藤枝MYFC 30 (6)
2022-2023 日本の旗 FC大阪 13 (1)
2024 日本の旗 アヴェントゥーラ川口
2025- 日本の旗 FC OK’DELESUN
通算 152 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

清本 拓己(きよもと たくみ、1993年6月7日 - )は、岐阜県関市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

Kリーグ時代の登録名は清本ハングル: 키요모토)[1]

プロ入り前

5歳の時に下有知サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、中学時代はF.C.フォレスタ関ジュニアユースに所属[2]関商工高校では入学直後からレギュラーとなり、2年時に岐阜県新人大会で優勝。3年時、岐阜県G1リーグで14試合14得点を挙げ得点王となり、岐阜県ベストイレブンにも選ばれた[3]

関商工の監督とフェイエノールトの育成責任者であるステンリー・ブラードが親しかったことから、2011年夏にオランダへ渡り、フェイエノールトのアカデミーの練習に参加。コーチのロイ・マカーイらから指導を受け、ドリブル重視だったプレーの幅が広がった[2]2012年1月に再度練習参加した際、練習試合でゴールを決め評価を高めた[2]。その後SBVエクセルシオールに正式に選手登録。6月、19歳になったところで、プロかアマチュアのチームのどちらかと契約しなければならない年齢となり、フェイエノールトのアマチュアチームと契約してプレーしたが、トップチーム昇格はかなわなかった[2][4][5]

プロ入り後

2013年の地元のFC岐阜トップチームセレクションに合格し、岐阜に入団[6]2014年7月、Jリーグ・アンダー22選抜に選手登録された[7]

2016年大分トリニータ期限付き移籍。同シーズンはJ3リーグでのプレーとなったが、開幕戦より右SHのポジションでスタメンを獲得し以後シーズンを通してポジションを守り切り計27試合で先発出場。Jリーグ初得点を含む7得点をマークし大分のJ3優勝、J2昇格に貢献した。同年末に開催されたJリーグアウォーズにおいてはMYアウォーズのJ3リーグ部門ベストイレブンに選出された[8]

2017年、大分に完全移籍。開幕から2節連続で途中交代から出場機会を得ていたが、3月6日に行われたトレーニングマッチにて負傷。右膝前十字靭帯損傷と診断され全治約8か月の大怪我となった[9]。一時は「シーズン終了までに間に合わないのではないか」という思いを持ちながらも[10]諦めずにリハビリを続け、シーズン終了前に怪我を完治させた[11]。監督の片野坂知宏の「リハビリしているところを見てきたし、選手たちもわかっている」という判断の元、最終的には片野坂の独断[10]によりシーズン最終節のホーム・ロアッソ熊本戦で第2節以来のベンチメンバー入り。0-1のビハインドで迎えた後半39分に岸田翔平との交代で259日ぶりに公式戦復帰を果たすと、その1分後に川西翔太のクロスをジャンピングボレーで合わせ、1-1の同点となるゴールを記録[11]。その後後藤優介がPKで勝ち越し弾を決め2-1となり逆転勝利を収め、清本は当試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。最終的に同年の出場時間数は16分間となったが、同年の1得点あたりの出場時間はリーグ最少であった[12]

2018年は主に途中出場によりリーグ戦26試合に出場。第8節・京都戦では後半43分に決勝点となるゴールを奪い[13]、ホーム最終戦の第41節・金沢戦ではフリーキックのキッカーを務め鈴木義宜の得点をアシストする[14]などJ1昇格を果たしたチームにおいて活躍を見せたが、シーズン終了後契約満了により大分を退団した[15]。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[16]

2019年1月、Kリーグ1江原FCに移籍[17]。同年7月31日に藤枝MYFCへ完全移籍により加入すると発表された[18]2021年11月30日、契約満了による退団が発表[19]。 同年12月10日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[20]

2022年7月13日、FC大阪への加入が発表された[21]。しかしJ3開幕前の2023年2月に右膝前十字靭帯断裂で全治7ヶ月~8ヶ月の怪我を負った[22]。2023年をもってFC大阪を退団[23]

2024年アヴェントゥーラ川口に所属するが[24]、1年で退団[25]

2025年FC OK’DELESUNに移籍。選手と並行して、母校の関商工高校サッカー部のコーチを務めている[26]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013岐阜25J2100-00100
2014220-10230
2015150-00150
2016大分15J3297-10307
2017J231-0031
2018264-10274
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2019江原15K100-3030
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2019藤枝34J392--92
2020143--143
20214171--71
2022FC大阪43JFL111--111
202327J320--20
通算日本J2 765-20785
日本J3 6113-106213
日本JFL 111--111
韓国K1 00-3030
総通算 14819-6015419

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2014J-22-J30000
20154040
通算日本J3 4040
総通算 4040

タイトル

クラブ

大分トリニータ

個人

  • J3リーグMYアウォーズ ベストイレブン:2016年[8]

脚注

関連項目

外部リンク

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