渡部健人

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1998-12-26) 1998年12月26日(27歳)
身長
体重
176 cm
115 kg
渡部 健人
三協グランハーツ #1
西武時代
2022年5月24日 ベルーナドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市旭区
生年月日 (1998-12-26) 1998年12月26日(27歳)
身長
体重
176 cm
115 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 2020年 ドラフト1位
初出場 2021年4月4日
最終出場 2024年9月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

渡部 健人(わたなべ けんと、1998年12月26日[1] - )は、神奈川県横浜市旭区出身[1][2]の元プロ野球選手内野手)。右投右打[3]

プロ入り前

横浜市立大池小学校[注 1]在学時に父の影響でプロ野球を見ていたことがきっかけで、ひかりが丘少年野球部に入り野球を始める[2]横浜市立上白根中学校在学時[4]に中本牧シニアに所属し、全国制覇も経験した[2][3][5]。中学時代は遊撃手として出場していた[6]。シニアの同期には石川達也がいる[7]

中学卒業後は横浜商科大学高等学校へ進学。1年夏からレギュラーとして県大会にも出場していたが、家庭の事情により1年生の2月に日本ウェルネス高等学校東京キャンパス[8]へ転校した[5][9]日本高野連の規定により、転入学をすると1年間公式戦に出られないため、2年生の期間はチームのサポートに徹した[10]。3年の春季大会から出場できるようになり、夏までの4か月間で15本塁打を記録[5]。日本ウェルネス高校では3年夏の東東京大会ベスト16が最高。

進学した桐蔭横浜大学法学部法律学科[11]では1年春から4番打者として出場[5]。4年次の神奈川大学野球連盟秋季リーグではリーグタイ記録の1シーズン8本塁打に加え、リーグ新記録となる23打点を記録した[12]

2020年のドラフト会議埼玉西武ライオンズからドラフト1位指名を受けた[13][14]。西武が野手を1位指名したのは2013年の森友哉以来7年ぶりだった[15]。11月24日には仮契約を結び、契約金1億円プラス出来高払い5千万円、年俸1600万円(金額は推定)という条件で入団した[16]背番号8[17]。なお、同音異字の投手である渡邉勇太朗が同じ球団に在籍しているため、背ネームは「K.WATANABE」となった。

西武時代

2021年の春季キャンプは大学時代に痛めた右肩の状態を考慮されB班スタートとなった[18]。オープン戦終盤には一軍戦への出場機会も得たが[19]、公式戦の開幕は二軍で迎えた。二軍では7試合で4本塁打と結果を残し、4月4日に前日に故障した外崎修汰と入れ替わる形で一軍登録されると[20]、同日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡PayPayドーム)に「7番・指名打者」でプロ初出場初スタメンを果たし、6回表には和田毅からプロ初本塁打を放った[21]。4月19日に登録抹消となったが、二軍では本塁打と打点の2部門でイースタン・リーグトップに立つ活躍を見せ[22]、6月24日にフレッシュオールスターの出場選手に選出された[23]。球宴当日は「4番・一塁手」で先発出場し、4打数1安打だった[24]。4月以降の一軍昇格は果たせなかったが、ルーキーイヤーは二軍でチーム最多の90試合に出場し[25]、16本塁打・64打点でイースタン・リーグの2冠に輝いた[26]。オフに現状維持の推定年俸1600万円で契約を更改し[27]NPB AWARDS 2021のファーム表彰式ではリーグ選考の「優秀選手賞」、スポーツニッポン選定の「新人賞」、ベースボール・マガジン社選定の「ビッグホープ賞」を受賞した[28]

2022年は二軍で97試合に出場したが、打率.184、10本塁打に留まり、一軍出場はなかった。

2023年は、中村剛也の戦線離脱や山川穂高の謹慎処分が重なり、5月27日に同年一軍初昇格すると同日のオリックス戦で4番打者として先発出場した。6月8日の中日ドラゴンズ戦(ベルーナドーム)では、2年ぶりとなる本塁打を放つなど好調をキープするも7月1日のソフトバンク戦で走塁中に左脚内転筋を痛め、翌2日に出場登録を抹消された[29]。同年は57試合に出場し、打率.214、6本塁打、25打点を記録[30]。12月1日、400万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改した[30]

2024年は、一軍で11試合に出場し打率.030(33打数1安打)に終わった[31]。11月26日、350万円減となる推定年俸1250万円で契約を更改し、合わせて背番号が66に変更されることが発表された[32]

2025年は、二軍で54試合に出場し打率.201、4本塁打、23打点の成績だった[33]。この年は一軍での出場はなく[34]、10月1日に球団から戦力外通告が発表された[35]。11月12日に12球団合同トライアウトに参加し、石川直也からシート打撃の第1打席で本塁打を放ち、参加選手中唯一の本塁打となった[36]が、以降は当たりが全く出ず7打数で2三振を喫した[37]

西武退団後

渡部自身はトライアウトでのアピールに成功した感触だったものの、トライアウト後はNPB球団はおろか、独立リーグや海外のプロチームからも連絡はなかった。NPBでの現役続行を目指し、12月から母校・桐蔭横浜大学でトレーニングを継続していた中で、松本直晃から、松本がコーチを務める予定の岡山県岡山市社会人野球新規参入チーム・三協グランハーツのオファーを受けるが、NPB球団以外でのプレーを想定していなかったことと、岡山に土地勘がなかったことを理由に回答を保留する。1週間ほどの熟考の末、アマチュアでのプレーからプロへ戻ることを目標に同チームへの加入を決断した[38]2026年から同チームの母体である総合建設業・三協クリエイトの正社員として雇用され[38]、同チームでプレーを継続する[39]

選手としての特徴・人物

恰幅の良い長距離砲で、大学時代には「ハマのおかわりくん」と呼ばれていた[13][12]。NPBでの公称は115kgの体躯ながら、50m走で6秒1を記録する脚力も持つ[40]

母親はフィリピン人[6]

愛称はフルネームにちなんだ「ベッケン」と呼んで欲しいと西武入団時に語っている[41]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2021 西武 617161100142000010070.063.118.250.368
2023 5720919217411306722521011105632.214.273.375.648
2024 11383301000100001500180.030.158.030.188
通算:3年 7426424118431307772721011705882.178.246.320.566
  • 2025年度シーズン終了時

年度別守備成績



一塁三塁
























2021 西武 15011.833202001.000
2023 4536434429.9908612011.000
2024 9576041.000115011.000
通算 5542640534.94111719021.000
  • 2025年度シーズン終了時

記録

初記録

背番号

  • 8(2021年 - 2024年)
  • 66(2025年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI