桑田佳祐
日本のシンガーソングライター (1956-)
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桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年〈昭和31年〉2月26日[1] - )は、日本のシンガーソングライター[8]。ロックバンドサザンオールスターズのバンドマスター、ボーカル・ギターを担当[1]。
| 桑田 佳祐 | |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | 桑田 佳祐 |
| 別名 | 別記を参照 |
| 生誕 | 1956年2月26日(70歳)[1] |
| 出身地 |
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| 学歴 | 青山学院大学経営学部除籍[2] |
| ジャンル | |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1977年 - |
| レーベル |
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| 配偶者 | 原由子 |
| 事務所 |
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| 共同作業者 | |
| 公式サイト | SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE |
| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2012年 - |
| ジャンル | 音楽 |
| 登録者数 | 72.1万人 |
| 総再生回数 | 6億4078万2238回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2026年2月9日時点。 | |
神奈川県茅ヶ崎市出身[1]。所属事務所はアミューズ[9]。所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント[10]、所属レコードレーベルはタイシタレーベル。
妻はサザンオールスターズのキーボード・ボーカル担当の原由子[8]、姉は作詞家の岩本えり子[11]。
1978年のデビュー以来多くのヒット曲をリリースし、バンド・ソロの両方で活躍している。また、被災地支援やエイズ啓発などの社会的貢献も行っている[12][13]。
概要
1978年にサザンオールスターズのボーカルとしてメジャーデビューを果たし、1987年に「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロ活動を開始した。サザンとソロ活動を交互に行い、ソロとして「波乗りジョニー」「白い恋人達」「明日晴れるかな」などがヒットしている[14][15]。オリジナル・アルバムは1988年に『Keisuke Kuwata』、1994年に『孤独の太陽』、2017年に『がらくた』など計5枚、ベスト・アルバムは2002年に『TOP OF THE POPS』、2012年に『I LOVE YOU -now & forever-』、2022年に『いつも何処かで』など計4枚、ミニ・アルバムは2021年に『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』が発売されており[3]:168,174,176[16][17]、3時代および5年代[注釈 1]でアルバム首位の記録を持つ[18]。
楽曲制作を始めた当初は歌詞の意味に特段のこだわりはなかったが、活動が続くにつれてファンや周囲の反応から心境が変化していき、洗練されたものになっていった[19]:79[20][21]:8。1980年代にはKUWATA BANDで全編英語詞のアルバムにも挑戦したが、1990年代以降は日本語を前面に押し出した作風に方向性を転換し、「月」や「東京」など、文学性と日本情緒をたたえた作品を発表。年輪を重ね、歌詞の世界は陰影を濃くしていった[22]。Apple Musicからは「『がらくた』の時期には極めて洗練された日本語ポップスの境地へと到達している」と評されている[23]。また、後述にもあるように当初は海外のロックやソウルミュージックの影響が強いソングライティングや歌唱法で知られていたが、次第に日本の伝統芸能や歌謡曲に対する研究の成果が現れ、そういった日本的な要素を積極的に取り入れるようになった[23]。振り幅の広さもあって楽曲・音楽性・功績はジャンルを問わず広範なミュージシャンから高く評価されている[24][25][26][27]。
楽曲のテーマは幅広く、ラブソング、エロティックな楽曲、生まれ育った茅ヶ崎および日本への強い愛情が表れた楽曲、世界平和などのメッセージが込められた楽曲、反戦歌、プロテストソング、応援歌、コミックソングやナンセンスな楽曲などが存在しており[28][29][30][31][32][13]、茅ヶ崎および日本への愛情や誇りを持つ姿勢に関しては「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」という言葉を始めとした生まれ育ったことへの感謝の念や日本人としてのアイデンティティを語ったり[33][34][35][19]:52、古より伝わる日本語の美しさや日本の文化の大切さを説く言動をしたり[36][37]、国旗日の丸の掲揚および国歌「君が代」の歌唱といった行動をライブでとったこと[注釈 3][45][41]、さらには「東京VICTORY」「歌えニッポンの空」「神様からの贈り物」といった楽曲を制作したことでも表れている[43][46][47]。
世界平和を希求したり[48]、「蛍」や「鬼灯」に代表される戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲を発表したり[49][50]、「漫画ドリーム」という楽曲を北朝鮮による日本人拉致問題や新疆ウイグル自治区騒乱の被害者の心情に深く寄り添う内容に変えて歌うなど政治的で且つ思慮深い側面が存在するほか[51][52]、エイズ啓発運動であるアクト・アゲインスト・エイズへの参加や、東日本大震災を含む様々な災害の被災地復興支援活動を行っており[注釈 4]、2022年には同級生のアーティストらと制作した楽曲「時代遅れのRock'n'Roll Band」で収益の一部をセーブ・ザ・チルドレンに寄付するなど、音楽活動を通して社会的貢献を行っている[6][54][57][13]。
トークの軽妙さも特徴の一つであり、ラジオパーソナリティとしても活躍し[58]、ユニークな名言及びいわゆる迷言や、思想・哲学が発せられている[59]。
人物
音楽性
哲学・信条
自身について桑田は「僕は、男っぷりや人間性、社会性は他のミュージシャンに負けているかもしれない」と謙遜したうえで、これだけは譲れないアイデンティティとして音楽活動を行っている旨を述べている[79]。自身の音楽観について「言い訳が許されない音楽っていうのが一番正しい」と述べており、それは自身にとってはポップスであるとしている[80]。また、桑田は「楽曲というのはその時々の気分を反映したもの」といった持論を述べている[81]。
桑田は「やはり僕は日本人。いくらロックに憧れても、僕らは発祥地たる西洋の人たちと同じにできないじゃないですか。それより日本人には日本人のボディサイズに合った歌があって、僕は何とかそれを見つけたい」「僕の中にあるのは、当然、日本人の情緒そのもの」といった発言を度々行っている[35][19]:214。また、ビートルズなどの外国の文化への影響を受けている旨や日本的情緒を自身の音楽に積極的に取り入れていきたいことを語った上で「みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ」と発言したこともある[19]:52。
サザン・ソロ含め、桑田の楽曲の作風は和洋折衷なものが多く、その理由については「和洋折衷というのが一番好き」と語り、サザンの活動の方向性についても「我々は日本のドメスティックバンドだという、ある意味誇りを持ってやってるつもり。“純洋楽”を目指すだけだと少し恥ずかしくなって、どこかで自分のお里の方に落とし前をつけたくなる。かといって和ばかりだと渋すぎるから、和と洋をうまく橋渡ししたい。スパゲティナポリタンであろうという思いはあります」と形容する発言を行っている[82]。
桑田は生まれ育った茅ヶ崎市への強い愛情を持っており、2000年にサザンとして行った『茅ヶ崎ライブ』では「茅ヶ崎に生まれて良かったです!!」と感謝の言葉を述べた[83][84]。2006年に『ap bank fes '06』に出演した際には「自分の中だけの原風景があるんです。それが『ふるさと』でね。僕のふるさとは茅ヶ崎なんですよ。そこの沼や池の匂い、そして街の肌触りとか、母のぬくもりがずっと心の中に残り続けていて。そういう母性や匂いを作品にしていくこととか、そういう気持ちがエコロジーなんだと思うんです」という思いを語り[85]、実際に後年には茅ヶ崎での少年時代の思い出を歌ったソロ名義の楽曲「MY LITTLE HOMETOWN」やサザン名義の楽曲「歌えニッポンの空」が発表された[86][46]。また、東日本大震災発生から一週間後に放送された自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」と発言した[34]。
自身のソロライブ『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』『I LOVE YOU -now & forever-』では「月光の聖者達」を歌唱した際にバックモニターに日の丸が掲揚された[39][45]。また、サザンの楽曲「東京VICTORY」の歌詞にも「Rising sun[注釈 10]」という言葉を用いている[43][44]。後者の理由については「戦場にもっていくとか、Show the flag[注釈 11]じゃなくて(中略)スポーツとか音楽とか映画とか文化的なもので日本の国旗がたなびく感じ」「”金メダルを獲りました! “とか”頑張れ~!“的な、そんなイメージもあるんですよね」と説明している[43]。
ソロ名義の「しゃアない節」「鬼灯」[注釈 12]やサザン名義の「蛍」などのように反戦や平和への願いを込め、戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲も存在しており[91][50][49]、桑田は「歌を歌うこともある意味語り部のようだと思う」と語ったことがある[92]。桑田の反戦を訴える姿勢は祖母や満州からの引揚者だった父の影響によるものである。桑田は「戦争なんて悲惨なことはもう二度とやるもんじゃないというのは、ともかく親父から刷り込まれました」と語っている[93]。
実際に起きてしまった事件を憂い、被害者の心情に寄り添う側面もある[51]。例として「漫画ドリーム」という楽曲を北朝鮮による日本人拉致問題や新疆ウイグル自治区騒乱といった事件をテーマにした歌詞に変えて歌ったことがあり、特に拉致問題に触れた「漫画ドリーム07」では「守られるべき国民が拉致されて30年 『国交正常化』などという美談で事実を風化させるなよ」「総理!! 公約通りにやらんかい!!」[51]、ウイグルでの事件に触れた「漫画ドリーム09」では「紅の旗がなびく 巨大帝国の象徴(シンボル)が!! かの国の統制と弾圧の下 涙溢る民族(たみ)」「『新疆』という意味[注釈 13]…これすら、妙だろ!?」などと歌っている[52]。
日本の音楽シーンで長く活躍していることについて桑田は「好きな音楽を(2010年の時点で)32年間続けてこれたのは自分の才能とかじゃなく、スタッフやファンのお陰である」「自分は優秀なミュージシャンじゃない。(ファンやリスナーは)自分の手癖を愛してくださってるんじゃないかな」と語っており、福山雅治や平井堅がこのことを証言している[95][96]。また、ドラマ『Sweet Season』(TBSテレビ)の内容に合わせて「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」の歌詞を書き下ろす際の打ち合わせで「僕は(音楽の)天才じゃないから、ただ(音楽が好きだから)人の三倍は努力するけどね」と発言した逸話も残っている[97]。オファーしたプロデューサーの貴島誠一郎は桑田の姿勢を「桑田さんは努力する才能がある『努力の天才』なのかもしれませんが、そういう意味では『桑田佳祐は長嶋茂雄と同じだ』と思いました」と高く評価した[97]。
公の場ではギャグやジョークで笑いを誘う場面が度々見受けられているが、これについて桑田はライブを音楽だけで構成すると間が持たないことを語っており、「思わずふざけてしまって、それがウケちゃったりとかして、ウケてると思うとまたやりたくなったりする」ともコメントしている[98]。また、『ROCKIN'ON JAPAN』(2011年3月号)でのインタビューでは自身の矜持として「俺はもうねえ、死ぬまでサービス精神しようと思うんですよね(笑)」「矢沢永吉が矢沢永吉であるように、中島みゆきが中島みゆきであるように、 山下達郎が山下達郎であるように、僕はやっぱり、桑田佳祐を張りたいな、っていうかね」といった思いを語っている[99]。
ファンや観客への呼びかけとして『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』の終盤のMCで「諦めないで 何事も 無理しないで 何もかも 人生を楽しんでください」と発言したほか[39]、ライブのエンディングで「みんな死ぬなよ!」「頑張ろうな!」と叫びエールを贈ることも多い[100][101]。特に「死ぬなよ!」といった発言に関しては少なくとも2001年に開催された『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』のころから行っており、ビートルズのメンバーであったジョージ・ハリスンの訃報が報じられた当時の世情が影響していたと推測されている[102]。また、自然災害の被災者へのお見舞いの言葉をライブのMCや替え歌で発信したり、「今年こそはひとりひとりが幸せになれよ」「子供たちの未来と大事な命を守りましょう!!」「元気にいこうぜ!!アナタもアタシもこの国も」といったメッセージを送ったりするなど、国民の生活に寄り添う発言を度々行っている[103][104][105][106][107]。
楽曲制作
音楽活動においてソロ・サザンを問わず、メンバーやスタッフとの連携を大切にしており、ライブのリハーサルの際には誰よりも早くスタジオに入り、一人一人に挨拶をして回ることが語られている[108][109]。レコーディングの際には作ってきた歌詞がついていないメロディのみの曲をギターで弾きながらメンバーやスタッフに聴かせ、各自がコード、リズムパターン、フレーズ、各楽器の音色などを確認し、練習中に投げかけられるメンバーからの質問に丁寧に答え、桑田からもアレンジについての気づいた点を伝えていくなど、綿密な打ち合わせを行っている[110]。この作業で桑田の頭の中にあるメロディをメンバー各自が共有し、演奏に向けたイメージを膨らませていき、アレンジにアクセントを付けながら曲の特徴を出していく[68]。桑田は「曲作りは総力戦です。サザンのメンバーはもちろん、スタッフも、曲作りのきっかけになり得る。誰かの鼻歌や雑談から曲が膨らむのも、よくあること。サザンというのは五人のことじゃなく、数十人のスタッフをひっくるめた総称ですよ」と発言している[79]。制作のモチベーションが上がるきっかけはクライアントやスタッフからの依頼があり、締め切りが明確に存在してからであるといい、自身の立ち位置を「職業作家」と語っており、タイアップ先のコンセプトや内容に合わせて制作することもある[111][112][113]。近年はコンプライアンスにも配慮しており、レコード会社やマネジメントの若いスタッフに相談を持ちかけることがある[114]。
ソロとサザンの違いについて桑田は「やってる途中でよくわからなくなってきた」と述べており、ソロのほうが「逆に匿名性が高い」「フェイクしやすい」と述べている[115]。またインタビューで「サザンはサザンの楽しさがあるんですが、ソロは課外授業的な楽しさがあるんですよ」「サザンがあるからこそ、ソロが美味しいのかな」と語ったり[116]、「自分にとってサザンは家庭・家族みたいなものであり、言わばサザンの楽曲はその子供たち。一方、ソロの曲は愛人の子供みたいなもの」と例えたり[117]、武藤敬司とグレート・ムタとの違いを引き合いに出したりしたこともある[118]。また、ソロ活動については「でも僕はずっと仲間とやってきてますから、ソロだけどソロじゃないな、って思うんですけどね」とも発言している[119]。桑田は音楽において名義は重要かつ雄弁に方向性を指し示すものであり、音楽のモチベーションを高める最大の要素であるという持論を語っている[120]。妻の原は桑田のソロとサザンの違いについて聞かれ「ソロ作品は、サザンという名前に縛られず、より自由に私的に音楽表現を楽しんでいるように思います」「その時々の桑田の精神状態でしたり、時代背景が思い出されますね」「素晴らしいミュージシャンの方々との出会いもあって、刺激され新しい扉を次々に開けて、切なくも自由奔放に歌うソロ作品が大好きです」と語っている[121]。
歌唱法はジョー・コッカーや前川清から影響されており[122][123]、シンコペーションを多用している[124]。学生時代にダミ声が流行しており桑田も声を潰そうと思って声質をより近付けるため、ウイスキーを飲み自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続けるといったことを行っていた[122]。なお、これとよく似た都市伝説として「歌声をしゃがれさせるためにウォッカでうがいをしていた」という内容のエピソードが語られることも多いが、この件については桑田本人が「まったくでたらめです」と語り否定している[125]。アマチュア時代および活動初期は日本語と英語のダブルミーニングの歌詞や早口な歌い方を取り入れていた[126]。この歌いまわしは「桑田節」「桑田語」と形容されることがある[127][128][129][13]。桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたことが、テレビの音楽番組において歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒であるといわれており、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために音楽番組での字幕スーパー表示を行ったとされる[130]。桑田はかつての自身の表現方法への反省の弁を語ることがあり、近年は楽曲によって自覚的に前述の手法を取り入れたり、明解な日本語で歌詞を書いて丁寧に歌ったりするなど、表現を使い分けている[131][132]。この変化に関しては「日本人歌手としての自覚が強くなった」と語っている[22][133]。また、英語や早口な歌い方を用いない美しく明解な日本語の歌詞の楽曲を制作した例では原由子に提供した「花咲く旅路」「京都物語」「旅情」などがあり[134][135][136]、桑田は原の歌声の魅力を「日本の原風景を感じさせる要素がある」と考えている[137]。
楽曲の制作はほとんどが作曲した曲に詞を当てはめる「曲先」で行うが[19]:79、楽曲によっては作詞から先に行う「詞先」の場合もある[138]。作曲はギターを弾きながらメロディを口ずさむアナログな方法で行われており、パソコンを使う作業の大半はスタッフに任せている[139]。このギターを弾きながら行われる作曲作業の際にサビの歌詞の断片が口をついて出てくることがある[140]。その代表的な例として「エロティカ・セブン」「マンピーのG★SPOT」が挙げられている[140]。また、「イヤな事だらけの世の中で」はサビの歌詞とメロディの断片が同時に浮かび、そこから逆引きして楽曲を書いていった[141]。アイディアが浮かぶタイミングは一人で車を運転しているときや仕事先に向かう移動中など、何かを考えながら動いているときが多い。常にICレコーダーを携帯しており、思いつくと録音を行っている[139]。曲作りに関する持論として「狙うとダメなんですね」と語っており、桑田が言うには狙って曲を作った時期も存在したが、そういった曲に関しては「そういうときの作品は今思うと……どの曲とどの曲とは言いにくいけれど、やっぱりダメだな、と」と振り返る発言を行っている[142]。また、2025年に『日曜日の初耳学』(毎日放送)に出演した際には「企み始めるとバレる。でも、意図しないものは強い。純粋無垢で企みがない時は、それなりのものを作ってきた」とも語っている[143]。
レコーディングは作曲作業と事実上並行する形で楽曲の断片をスタジオに持ち込むところから始まっており、テンポを決めて「クリック」と呼ばれるガイド音を作成したのち、ギターやシンセサイザーを弾きながらイメージを模索し、1つの楽曲としての骨格が見えてきたら仮歌を吹き込み、気になった箇所を歌い直す作業を繰り返していき、桑田の頭の中にある理想のメロディに近づけるために慎重かつ丁寧に突き詰めていく[144][145][146][147]。この制作方法は通称「桑田スタイル」と言われている[146]。以後も各楽器を録音し、作詞をした後にボーカルやコーラスを録音していき、楽曲の完成形を模索する[147]。原由子や坂本冬美などの女性歌手に楽曲を提供する場合は最初に桑田自身のキーで楽曲を作り、レコーディング時にその歌手と共にキーを調整していく[148][147][149]。桑田は楽譜を読めず、サザンのメンバーで楽譜を読めるのは原のみである[注釈 14]。ICレコーダーが普及する前は楽譜やコード譜などは原が書いていた[150]。ICレコーダーの普及後は編曲や全ての楽器を桑田が担当した「MUSIC TIGER」「素敵な未来を見て欲しい」のように原を頼らない形での楽曲制作やレコーディングが不定期ながら行われることもあった[151][145][152]。現在はコード譜に関しては桑田も書けるようになっており、レコーディングに向けたリハーサル合宿では桑田がコード譜をホワイトボードに書き、歌詞がついていない状態のメロディを歌い、それに合わせてメンバーが演奏していき、アレンジを模索していく[148]。また、原由子に提供した「夢をアリガトウ」のレコーディング時には作者である桑田がサポートメンバーの片山敦夫に原のキーに合わせた際のコード進行のイメージを予め伝える場面が記録されている[147]。コード進行が分かるようになってからも、テンションについては原に考えてもらっている[144]。
先述の通り楽曲の歌詞に関しては出身地である茅ヶ崎市やその周辺都市を取り上げた作品も多く、これについて桑田は「地元愛かもしれないけど、自分の原風景みたいなものがいまだに愛しくて。それを歌にするっていうのが、一番自分にとっては気楽な真実なんだなと思いますね」と発言している[153]。 かつては「自分もアメリカ人やイギリス人みたいになりたい」「いつかなれるんじゃないかって本気で思ってた」と考えるほど海外のロックに憧れており[154]、1980年代にはバブル景気などの影響も相まって「日本人のポップスやロックが、海外でも通用するんじゃないか」という期待が湧いたこともあり、全編英語詞の楽曲を制作したり、外国人のレコーディング・エンジニアを起用したり、海外のアーティストとコラボレーションするなどの活動を行っていた[注釈 15]。しかし、海外に出向いての活動を経験すると自信を失ってしまったといい、「向こうの流儀を真似しているようでは、太刀打ちできないのは当然」と思うようになったと明かしている[157]。次第に欧米人になれるわけがないと気づき「やっぱり、自分では日本語しか操れないってことが、逆にそれは強い武器になると思うんだ」「だからこそ自分がロックっていう枠組みに向かっていくときには、逆に日本人の良さを出したいというか、和の感じで勝負したいなと思うんです」「日本人として、日本の皆さんに楽しんでもらえる、日本語としてのポップスを作ろうと思った」「あくまで国内で、いろんな世代に向けて発信する良さもあると思うんですよ。例えば歌舞伎とかお相撲とか花火とか、そういう日本の情緒感を持った、日本人が日本人のためにやる芸能やお祭り事の面白さがわかるようになったのも、お客さんやスタッフのおかげです。昔はロックやポップスはアメリカやイギリスに通じなきゃダメだと思っていたんだけど、我々は日本ローカルの重要性に気づけてから、少し気が楽になりましたね」と方針転換をし、日本語の歌詞や日本の文化の良さを重視した和洋折衷な作品を目指すようになった[158][154][159][160]。日本語で歌詞を書くことについては「日本語ならではのエモーション、情念みたいなものが出やすいと思います」と語っており、例えば奥村チヨの「恋の奴隷」に関しては「今だとありえないような曲ですからね。だけど、道徳と不道徳が歌のなかで相まみえるのは、すごくいい世界だなと思うんです」と述べている[144]。また、2013年のインタビューでは「古来、百人一首や万葉集の頃から、日本語には言い回しや隠れた言葉の裏読みといった、通信機能や暗号のような楽しさがある。たとえば"き"という言葉があるとしたら、それは気や木や記と、イントネーションひとつでいろんな意味へと変換できる。いい歳をして、そんな日本語の凄みにようやく開眼したところなんですよ」と語っている[161]。1998年と2018年にそれぞれ発売されたサザンのベスト・アルバム『海のYeah!!』と『海のOh, Yeah!!』を聴き比べた際に、前者を「英語と日本語を融合させようとあれこれ格闘している跡が見てとれます」、後者を「やっぱり日本語を大切にして歌いたいという気持ちが、全面に出ていますね」と自己分析した[157]。高瀬康一はアルバム『ROCK AND ROLL HERO』への批評文において「西洋の音楽への憧れと、自分の中に流れる日本人の血との折り合い。そんな全ての日本人アーティストが思い悩む課題を、桑田佳祐は完璧にクリアしたと言っていいかも知れない」と評し[162]、小林克也も2017年のインタビューで桑田のことを「日本人の洋楽コンプレックスを解放してくれた男」「明治や大正の文豪に連なる人」と評価している[70]。桑田はインタビューで最近の音楽にハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズが持っていた演芸の要素が乏しいことを嘆いており、日本人のお祭り騒ぎの血や海外の表現を模倣する楽しさをメインストリームで表現することの大切さを語っている[163]。
タイトルについては「名曲に名タイトルあり」「ポップスはタイトルがすべてである」といった言葉を名言と述べており、あまり悩むことなく付けられたタイトルほど楽曲の出来栄えと共にはまり方がよかったとしている[164]。日本人の造語感覚が大いに発揮されているのが邦題であるといい、ピンク・フロイドの「原子心母」(Atom Heart Mother) やニール・ヤングの「孤独の旅路」 (Heart Of Gold) といった邦題を称賛している[165]。以前は作曲家としての自分と作詞家としての自分の棲み分けが微妙であったが、現在は作曲作業とは別に作詞するという作業があることに神聖さと喜びを感じていると述べている[21]:10。
音楽ルーツ
幅広いジャンルの音楽やミュージシャンの影響を洋邦や年代を問わず受けている。10代のころから広範な洋楽を聴き、桑田自身が言うには「咀嚼じゃなく丸呑み」するように吸収してきた[166]。学生時代に影響を受けたアーティストは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、デヴィッド・ボウイ、リトル・フィート、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、レオン・ラッセルなどがいる[167][168][169][166][170]。また、サザンとしてのデビュー後も、ビリー・ジョエルやレディオヘッドなど様々なアーティストから影響を受けた[171][172]。特にビートルズから受けた影響は大きく、姉やピアノを弾いてハモり方を桑田に教えた友人の影響もあり、高校一年の頃には全ての楽曲を覚えていたという[173]。サザン名義の「Young Love(青春の終わりに)」や、ソロ名義の「踊ろよベイビー1962」「本当は怖い愛とロマンス」など、ビートルズを意識した楽曲も制作している[167][3]:180[174]。また、奇しくもジョージ・ハリスンが死去した日に開催された『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』の中で「音楽を教えてもらったのはビートルズでした。僕が今日ここ(パシフィコ横浜 国立大ホール)にいられるのも、ビートルズのおかげなんです」といった発言をしている[175]。自著では、種々の音楽をビートルズを基準に聴いていると述べており、ビートルズは「人生の道標」としている[176]。メディアなどではジョン・レノンからの影響を受けた側面が語られる頻度が多いが、実際はポール・マッカートニーから受けた影響も大きく、桑田は「ビートルズは本当はポールが一番好き」「ポール・マッカートニー派」といった旨を度々語っている[177][178]。無人島に1枚だけアルバムを持っていくとしたらポールの『マッカートニー』であるといい、中でも「ジャンク」と「恋することのもどかしさ」が好きである[179]。また、ポールの「ラム」が世界で1番好きなアルバムとも語っている[180]。亀田誠治は桑田の音楽性について「桑田さんの中にはジョン・レノンとポール・マッカートニーの両方が存在してる気がするんですよ」「いわゆるジョンのディープな精神性と、ポールのポップな音楽性。その両方が絶妙にブレンドされてる」と指摘している[108]。また、このころの桑田は『TBS歌のグランプリ』などの1960年代当時の流行の歌謡番組も欠かさず観ており、美空ひばり、石原裕次郎、欧陽菲菲、辺見マリの楽曲を全部知っていたというほど歌謡曲にも熱中していたが[181]、それを本人が言うには「馬鹿だったから」という理由により当時は周囲に言えなかったことを明かしており、自身が年齢や音楽的なキャリアを重ねたことで「だから今はもう自信を持ってね、歌手として日本人として声を大にして歌謡曲のファン、申し子であることをカミングアウトできるんです(笑)」という心境に至ったことを2007年のインタビューで語っている[182]。2019年にリリースされたBlu-rayボックス『平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦 三部作コンプリートBOX大衆音楽クロニクル』の特典のブックレットのインタビューでは「日本の歌謡曲は実に偉大じゃないかと。誇るべきものであって、決して侮れないし、これからもう一度学ぶべきじゃないかって。かつての昭和40年代、50年代、遡って昭和30年代もそうですけど、その時代の歌謡曲や演歌を集めて聴き始めた時に、全部が自分の身体に沁み込んでいる、血肉になっているじゃないかと。まあ、歳をとればとるほど(笑)気付かされるんです」と語っている[183]。また、吉田拓郎、加山雄三、筒美京平、すぎやまこういち、宮川泰の作品やフィラデルフィアポップスにも影響を受け[184][185][186][187][188]、それらは後の演奏や作曲などの音楽活動の下地になっている[167]。特に吉田拓郎から受けた影響は大きく、桑田が作曲を始めた動機は1972年に富士フイルムのCMソングとして使用されていた「HAVE A NICE DAY[注釈 16]」を聴いたことによるものだった[184]。また、桑田は「拓郎さん目標に、憧れて音楽やってきた人、私もそうですけど、いっぱいいます」「おとこ気とかカリスマ性という感じの人じゃなくて、もっと細い、甘酸っぱい、手の届きそうな、頼りになる兄貴のような人物でして。拓郎さん、私もファンでございます。(中略)私は高校1年の時ですよ、『元気です。』『人間なんて』…その風を真正面に受けて、夢を見せてもらいました」などとも述べている[189]。加山雄三は桑田の楽曲に自身からの影響を感じ「似てるな?」と指摘したことがあり、これに対して桑田は素直に「マネしてます」と答えたため、「それで良いんだよ」と進言している[190]。また、桑田はすぎやまこういちの才能や人柄への敬意や思い入れの深さを度々語っており、すぎやまがパーソナリティを務めたラジオ番組を愛聴していたほか[187]、すぎやまが作曲した「君だけに愛を」「学生街の喫茶店」「恋のフーガ」「銀河のロマンス」を『ひとり紅白歌合戦』でカバーしている[191][192]。特に「学生街の喫茶店」に関しては「ものの見事に完成されたプログレッシブ・ロックなんだよね」と高く評価する発言をしている[193]。また、文部省唱歌、沖縄音楽などの影響も受けており、度々そのイメージを楽曲に取り入れている[194][195][196]。先述の通り1990年代後半にはレディオヘッドに傾倒し「01MESSENGER 〜電子狂の詩〜」「世界の屋根を撃つ雨のリズム」などの当時のサザンの楽曲に影響を与えている[197][198]。ほかにも尾崎紀世彦[188]、内山田洋とクール・ファイブ[199]、ザ・ピーナッツ[21]:206、ハナ肇とクレージーキャッツ[21]:329、宇崎竜童[200]、藤圭子[201]、浅川マキ[199]、弘田三枝子[202]、中島みゆき[203]、坂本九[204]、森繁久彌[35]、加藤登紀子[35]、小林万里子[205]、岡林信康[133]、野坂昭如[133]、早川義夫[206]などのミュージシャンにも影響を受けた。このように様々なミュージシャンからの影響や要素を音楽性に取り入れていくことについて桑田はインタビューの中で「模倣とか妄想とか。この喋り方だって、誰かを真似しているわけだしね。それは最近、しょうがないと思って。オリジナリティってないんですよね、自分のなかに」「自分らしさを訴えていくのは苦しい。好きな人がいっぱいいるというのが幸せ」といった旨を語っている[207]。また、桑田は多くの同世代や若手のシンガーやミュージシャンの才能や歌唱力を分け隔てなく認めている[208]。さらに彼らからも桑田の才能や歌唱力が熱くリスペクトされており、その人望の厚さゆえに交友関係は非常に幅広い[209][210]。
社会を風刺したり世相を憂う趣旨の楽曲も多数存在するが、特別な意図を持って制作していたわけではなかった旨がインタビューで語られており[154]、桑田は「正直、そこまで社会に対して問題意識を抱いていたわけじゃなかった。ジャーナリスティックな視点でロックやポップスを描くようなトレンドがあって、自分もそこに乗っかっていた。(風刺をテーマにした楽曲を制作し始めた1980年代)当時はエポックな出来事を描写するのも当たり前の風潮だったから、目に映る出来事をただただ歌にしていましたね」[50]、ビクターのスタッフは「桑田さんは、ミュージシャンである前に一人の日本人だということを昔からよく言っていたので、今の日本の置かれている状況を感じ取って、特別に意図的ではなく、自然な感じで作っていると思うんですよね。桑田さんはあくまで音楽の表現者であり、世の中に対して直接政治的な動きは全くしないでしょうから」という見解を示している[211]。実際に桑田が公の場所で歌以外の手段を使って政治的な言動を行うことは非常に稀であり、先述のビクターのスタッフは「一人の日本人としての責任や自覚をしっかり持っているということだと思います」と評している[211]。これについて桑田は2015年にSWITCHのインタビューで「そもそも風刺というのは人を過剰に傷つけるものではあってはならないと思うんです」「僕は何かのデモや運動の先頭に立って旗を振りたいわけじゃない。ただ、それでもおかしいことはおかしいと思うものだし、たまたまそれがきっかけで音楽が生まれたのなら、それを歌えない空気も、そこで歌えない自分も僕は嫌なんです」と語っている[212][213]。また、明治時代に流行した「オッペケペー節」については強烈に世相を皮肉ったものであり、このような反骨精神や滑稽と風刺の精神が肝心であるといい、闇雲に正義を振りかざせばいいわけではない趣旨を述べている[214]。2021年にYahoo! JAPANのインタビューを受けた際には風刺をする上での『似合う』/『似合わない』や、ビートたけしと明石家さんまを比較した上での芸風やキャラクターによる政治的な発言の『向き』/『不向き』、直接的な政治批判を否定的に捉え、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の示唆的な表現を評価した上での『上手い』/『下手』といった分析を行っている[215]。また、先述の通りソロ名義の「しゃアない節」「鬼灯」[注釈 12]やサザン名義の「蛍」などのように反戦や平和への願いを込め、戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲も存在している[91][50][49]。こういった楽曲の歌詞を社会性やジャーナリスティックな視点で評価する考えや、第三者から曲解されることに対して桑田は「よくそう言われるけど、僕の場合、曲に社会性を持たせようなどと最初から決めて作ったことはほとんどなくてね。書き始めの段階では、自分でも歌詞がどんな方向に転ぶかさえ分かっていない。意味合いやメッセージなんていうものも、シャッフルと偶然の掛け合わせで結果的に生まれるものだったりする。物事をどんな立ち位置から描くのか。それは映画でも絵画でも描いている過程で鮮明になるんじゃないかな? そんなストーリーを、極端な曲解は困るけど自由に感じてもらえたらいいと思う」という見解を示している[50]。
ベース、ドラム、ピアノ、キーボードなどバンドで必要な楽器は、一般に披露することは滅多にないが、一通り演奏できる。ごく一部のソロ作品のレコーディングでは桑田が全ての楽器のパートを担当した楽曲もある[216][217]。特にベースを弾くことについてはかなり細部までこだわりがあることが語られており[218]、原由子に提供した「夢をアリガトウ」のレコーディング風景にスポットを当てた『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』2009年7月19日放送分第12回 「夢のような企画」では、自分が納得するまで余念なくベースのフレーズを追求し弾き続ける桑田の姿が放送された[147]。スライドギターのボトルネック奏法によるソロプレイをレコーディングやライブで度々行っている[19]:87[219]。
視聴者や観客を冗談[注釈 17]や物真似[注釈 18]および扮装[注釈 19]で笑わせることを重要視している[228][229][225]。また、自身のことやこれまでの音楽活動を自虐的に語り、制作した楽曲やアルバムの反省点を述べたり[230]、過去の言動やパフォーマンスに行き過ぎた部分があった場合には自らの非を認めることもある[231][232]。音楽活動の中で一番好きなのはライブのメンバー紹介で、あの時間だけは永遠に失いたくないと語っているが[233]、一方、音楽活動の中で一番苦手なのはライブであり、ライブという団体競技が性分に合わないことや段取りの大変さ、体調に対する心配などを述べている[234]。
カバーしたい楽曲はあると桑田は公言しており、自身の冠番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』やライブ『ひとり紅白歌合戦』にてジャンルやキャリアを問わず洋邦幅広い楽曲のカバーを行っているが、カバーアルバムは制作しないとコメントしている[235][236]。一方で『ひとり紅白歌合戦』『THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜』のようにカバー曲をメインとした映像作品は存在している[237][238]。また、藤代冥砂から「消えゆく日本の古い歌、民謡などを桑田さんの声でカバーアルバムとして後世に残してほしいのですが、実現の可能性は?」と質問された際には、「いいですねェ」と前向きな反応を示し、企画が実現する可能性を「期待を込めて70パーセントぐらいでしょうか?」と肯定的に述べていた[239]。
自身が制作した楽曲の中で好きな楽曲は「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」「SEA SIDE WOMAN BLUES」「イエローマン 〜星の王子様〜」「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」「ゆけ!!力道山」「悲しみはブギの彼方に」「 (The Return of) 01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 <Album Version>」「100万年の幸せ!!」と語っている[240][169][241][242][243]。また、桑田が考える日本の三大名曲として植木等の「ハイそれまでョ」、笠置シヅ子の「買物ブギー」、藤本二三吉の「祇園小唄」を[244]、世界で一番好きな楽曲としてミーナ・マッツィーニの「砂に消えた涙」やヒデとロザンナの「愛の奇跡」を挙げている[245][246]。愛唱歌としてビートルズの「イン・マイ・ライフ」を挙げており[247]、先述した通り、無人島に1枚だけアルバムを持っていくとしたらポール・マッカートニーの『マッカートニー』であるといい、中でも「ジャンク」と「恋することのもどかしさ」が好きである[179]。
エピソード
主な別名・変名
桑田特有の遊び心・おふざけは数多くの変名にも反映されている。代表的な例は以下の通り[248]。
- 嘉門 雄三 - かもん ゆうぞうと読む。由来は英語の「COME ON(カモン)」と、桑田と同郷で敬愛する加山雄三から。1981年のライブ「嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!」などで使用した。嘉門の名前は後に元落語家でシンガーソングライターの鳥飼達夫に譲っており、鳥飼は現在も芸名を嘉門タツオと名乗っている[249]。
- 桑竹 居助 - くわたけ いすけと読む。名前の区切りを変えたぎなた読み。漢字は当て字である[250]。1988年のRCサクセションのアルバム『COVERS』の収録曲「バラバラ」「サン・トワ・マミー」や1995年の世良公則のアルバム『Do (動)』の収録曲「あと2分の永遠」「PASSION」など、親交のあるミュージシャンのアルバムにゲスト参加した際などに使用した[250]。
- JOHN PAUL MacLENNON - ジョン・ポール・マッカレノンと読む。名前の由来はビートルズのメンバーのジョン・レノンとポール・マッカートニーを足して割ったものである。1988年の泉谷しげるのアルバム『吠えるバラッド』の収録曲「果てしなき欲望」にスライドギター奏者として参加した際に使用した[248][251]。
- 夷撫 悶汰 - いヴ もんたと読む。名前の由来はフランスの俳優イヴ・モンタンより[252]。1996年のAct Against AIDSライブ『夷撫悶汰レイト・ショー』で使用した[253][248]。
- 古賀 紅太 - こが こうたと読む[254]。名前の由来は桑田がCMソングを担当した「コカ・コーラ」のもじり[248]。2001年、シングル「波乗りジョニー」のMVなどで使用した[255][248]。
- 波乗亭 米祐 - なみのりてい べいすけと読む[256]。2016年および2017年に落語を披露した際に使用した。初出はNHK『SONGS』2016年12月1日放送分[257][256][258]。
- 稲川ジェーン・フジオカ - 名前の由来は怪談の語り手の稲川淳二、桑田が監督を担当した映画『稲村ジェーン』、ディーン・フジオカの3種類を組み合わせたものである[228]。2017年のLIVE TOUR 2017『がらくた』のツアー本編で映し出された映像で使用した[228]。
- 紫苑 小煉 - しおん こねりと読む。名前の由来は俳優のショーン・コネリーより。他の歌手に楽曲提供する際に使用する予定のペンネームであるが、現時点では実現には至っていない。この名前はグレタ・ガルボをもじったペンネームである呉田軽穂を松任谷由実が使用していることがヒントになっている[259]。
- 夏 螢介 - なつ けいすけと読む。田内洵也の楽曲「深川のアッコちゃん」を桑田がリアレンジ・プロデュースする形で新録した際に使用した名義で、このバージョンのトラックのタイトルも「深川のアッコちゃん (produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE)」となっている[260]。『うたコン』や『ミュージックフェア』に田内が出演した際には、桑田もこの名義でVTRでのコメントを出したが、姿は生成AIで作成されたものであり、それに桑田が声を当てる形をとった[261]。
ラジオ・パーソナリティとして
ラジオ・パーソナリティとしての評価も高く、特に『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では自然体なトークや、楽曲制作の裏話、生歌などを繰り広げている[262]。同番組では度々ユニークな名言及びいわゆる迷言を発しており、先述した思想や語録の一部は番組の中で発せられたものも含まれている[59]。桑田は本番前からメモ書きなどの用意周到な準備を綿密に行い、アドリブでのトークを時間内に終わらせるように気を配っている[263]。また、ラジオでのトークに関して『オールナイトニッポン』については「気さくな兄貴風の語り口で人気を集めた」と後年に評され[264]、『やさしい夜遊び』については「噺家のような桑田節で、放送コードギリギリのワードを巧みに操り番組を盛り上げる」とPOPEYE 2020年11月号で紹介されている[58]。
楽曲と同様にエロティックな要素のある発言も多く見受けられており、当初は言葉が出なかった時や、シリアスな生歌や話題の後に照れくさくなると放送禁止用語を唐突に発言することもしばしばあったが、現在はトークのスキルが上がったこともあり、番組内でそういった発言をする頻度は減少傾向にある[263]。
ボウリングへの関心
桑田は学生時代、父に教えてもらった影響からボウリングに傾倒する[265]。憧れていたプロボウラーとして岩上太郎を挙げており、特に学生時代は岩上のフォームの真似を教室で披露したりもしていた[266]。プロボウラーを目指していた時期があり、マイボールを保持しアマチュア公認の試合に出場していた[122]。大人に混じっての公式戦では優勝しトロフィーを獲得。40年以上経過した2017年には実物を発見し写真で公開した[267]。当時は毎週4ゲームずつ投げ、平均の点数は220点ほどあった。また、ボウリング場でアルバイトをしていた経験があり、レーンにオイルを引くなどして、客が来ない早朝には練習もしていた。しかし、ボウリングのレーンの規定などが変わってからフォームが決まらず、そこでプロボウラーになることを諦め、音楽に関心が移っていった[122][265]。
2016年に親交のあった矢島純一プロに還暦祝いとしてマイボールをプレゼントされて以降はボウリング熱が再燃し、週に一度スタッフと10ゲーム以上プレーしている。その実力は年を重ねても衰えず、1年後の2017年には279点[注釈 20]という高記録を達成した[268]。同年には自ら編集長に就任し『Sports Graphic Number』のボウリング特集号『Number PLUS 桑田佳祐×ボウリング特集』(文藝春秋、ISBN 9784160082311)を製作している。
2019年以降は自身の名を冠したボウリング大会『KUWATA CUP』を開催[269]。テーマソングも担当し、「日本ボウリング競技 公式ソング」として日本ボウリング機構から認定されている[269][270]。
その他
- 野球選手では長嶋茂雄を敬愛している。青学時代には長嶋の引退試合を青山の喫茶店で見ており、一つの時代の終わりを感じたのと同時に長嶋の人生と桑田自身の人生を比較し、人目をはばからず号泣したと語っている。この思い出を基にサザン名義で「栄光の男」を制作している[273]。
- プロレスのファンでアントニオ猪木を敬愛している[118][274]。1982年に音楽番組「ザ・ベストテン」で初めて対面し、生放送中に得意技のコブラツイストをかけてもらった[275]。また、猪木はサザン名義の「太陽は罪な奴」のミュージック・ビデオにも出演した[276]。桑田はソロ・サザンを問わずライブ終了後に「1、2、3、ダーッ!」を観客と斉唱するのを恒例にしている[注釈 21][277][118]。2025年には猪木と元妻の倍賞美津子をモデルにした「ミツコとカンジ」がサザンの楽曲として発表された[278]。また、猪木以外にも団体や派閥を問わず様々なプロレスラーとの交流もあり、1989年には前田日明と『週刊プレイボーイ』(集英社)内で「平成元年大対談!! 前田日明VS桑田佳祐」と題した対談企画をした経験があり、桑田は前田について「あの人、頭良いんだよね」「前田さんのYouTube面白いんだよね」と称える発言をしており、YouTubeチャンネルの動画を全て見ている旨を語っている[279][280][注釈 22]。
- お笑いや演芸が好きであることも知られており、自らもファンの笑いを誘う発言をステージでするほか[220][281][282]、タモリ、ビートたけし、明石家さんまのいわゆるビッグ3全員に楽曲を提供した唯一のミュージシャンでもある[283][注釈 23]。また、内村光良(ウッチャンナンチャン)、爆笑問題、さまぁ〜ずを始めとしたお笑い芸人や演芸関係者との親交も深い[231][287][288]。
- 落語のファンであり、それが高じて2026年にはテレビアニメ版『あかね噺』のオープニング曲「人誑し / ひとたらし」及びエンディング曲「AKANE On My Mind〜饅頭こわい」を書き下ろし、提供している[289][290]。それ以前にも桑田は2016年および2017年に架空の落語家『
波乗亭 米祐 』に扮して落語を演じた経験がある[257][256][291]。また、親交があった桂雀々は、生前に桑田の落語を演じる才能を高く評価する発言をしており、『波乗亭米祐』名義で独演会を開催することや新作落語を制作することを桑田にリクエストし、「影響力のある米祐師匠ですから、もっと多くの人に落語の面白さを広めて欲しいと願います」と持ち上げている[292]。 - 歌舞伎に対して興味を持っている[293]。桑田は十八代目 中村勘三郎のファンであり、十八代目 勘三郎もサザンのファンであった。十八代目 勘三郎が特発性両側性感音難聴での療養をした際に桑田が手紙でエールを送ったことをきっかけに、双方の間では間接的な交流があった[294][295]。2012年の全国ツアー『I LOVE YOU -now & forever-』ではオープニングで歌舞伎を意識した演出[注釈 24]が取り入れられた[296]。また、サザンファンを公言している四代目 中村梅玉とも京都で出会ったことをきっかけに意気投合し、交流がある[297]。サザンの楽曲「恋のブギウギナイト」では歌舞伎の声ネタを意識したSEがラスサビ前の間奏で取り入れられている[298]。
- 能楽に対しても興味を持っており、サザンの楽曲「通りゃんせ」にも鎌倉薪能をモチーフとした歌詞が登場するほか[299]、70歳の誕生日を迎えた2026年2月26日に公開されたティザー映像では宝生能楽堂で撮影が行われ、黒いジャケットを身に纏い、足袋を履いた桑田が舞台に上がり、プロの能楽師から所作に関する丁寧な指導を受けた上で座礼を行っている[300][301]。
- 神社仏閣への参拝に肯定的で、御霊神社を含む鎌倉市のエリアを気に入っており、楽曲のモチーフにすることがある[302]。先述した「通りゃんせ」の歌詞には若宮大路の一・二・三の鳥居を登場させている[299]。また、桑田は参加経験こそないが、地元茅ヶ崎で夏に開催される浜降祭を始めとした伝統行事や神事への敬意を表しており、「MY LITTLE HOMETOWN」や「歌えニッポンの空」などの楽曲でその思いを込めている[303][304][305]。2017年のソロライブツアー『がらくた』で「MY LITTLE HOMETOWN」を演奏した際はバックモニターの神輿の映像とSEに乗せて桑田も担ぐ仕草をし、会場を盛り上げた[306]。
- 映画館とスーパーマーケットに行くことを好んでいる[307]。また、島田洋七は漫才ブームのころにコンビニエンスストアでインスタントラーメンや弁当、お茶を手にした桑田と偶然遭遇し会話をしており、これがきっかけで桑田の人柄に好印象を持ち、サザンのアルバムを購入し車の中で好んで聴くようになった[308]。
- 福岡県を拠点に活動するサザンのトリビュートバンドであるKAWAMURA BANDの楽曲「君のメロディ」は、オリジナル曲でありながらも桑田の楽曲の作風を忠実に再現したものであった[309]。同楽曲はボーカルであり作詞作曲を担当した河村和範の実家である『カワムラ家具』のCMソングに起用され、そのクオリティの高さゆえ事情を知らないサザンファンの視聴者から「サザンの新曲か!?」と問い合わせがサザンの公式ファンクラブ「サザンオールスターズ応援団」に殺到した[309]。桑田はこれをきっかけに河村と対面し、労いの言葉をかけた[309]。
- 『桑田佳祐のやさしい夜遊び』ではトークの中で桑田が気に入っている本や直近に読んだ本を紹介する場面も度々あり、向田邦子、角田光代、太田光(爆笑問題)、村田沙耶香、果ては石原慎太郎や曽野綾子など、キャリアやイデオロギーを問わず幅広い作家の本を読んでいることが語られている[注釈 22]。また、桑田を特集した「BRUTUS」2011年3月1日号で『三島由紀夫の来た夏』(著:横山郁代)を感銘を受けた本の一つとして紹介したり[310]、映画版『永遠の0』や三代目 桂春蝶の新作落語『明日ある君へ ~知覧特攻物語~』の内容に共感し、相手側からのオファーを受け、いずれもテーマソングを提供するといった側面も存在する[49][311][312][313]。他にも漫画も好んでおり、特に弘兼憲史『黄昏流星群』を気に入っている旨を明かしている[注釈 22]。一方の弘兼もサザンや桑田のソロを含めた楽曲のファンであり、カラオケでもよく歌うことを公言している[314]。
- 有料配信でのバラエティ番組やドラマの鑑賞を好んでいる[315]。また、好きなサスペンスドラマや映画を見たうえで、プロットを楽曲の歌詞のアイディアに応用することもある[316]。アダルトビデオ鑑賞も趣味の一つであり、それを題材にした楽曲も制作されている。MVや雑誌で多くのAV女優と共演したほか、村西とおる監督の型破りな半生を描いた配信ドラマ『全裸監督』をNetflixで視聴したことも語っている[317][318][319][315]。
- サーフィンに関しては『稲村ジェーン』制作時は全くやっておらず[320]、1993年に37歳を迎えてから本格的に始めた。パドルサーフィンも好んでいる[79]。
- 料理が得意。自身の著作に本格的なカレーのレシピを掲載したこともある[321]。レコーディング中は鍋料理をよく作る[322]。また、サッポロ一番塩らーめんが好きでありよくコンビニで購入するといい、麺を自ら茹でて、切った野菜を乗せて食べることも公言している[323]。スタッフに手料理を振る舞ったこともあり[324]、桑田が言うには「喫茶店風ナポリタン」をよく作る[325]。
- 先述したサッポロ一番塩らーめんのエピソードでも分かるように、ラーメンが好物である[323]。中学生時代には同級生[注釈 25]の家族が経営していた中華料理店のサンマーメン[注釈 26]と中華丼を好んで食べていた[329][330]。他に好きな食べ物では、2016年3月26日に『桑田佳祐のやさしい夜遊び』の企画で宮城県女川町を訪れた際に現地の飲食店「女川海の膳 ニューこのり」で食べて気にいったクジラの刺身などが挙げられる[331]。
- 食用きのこメーカーや識者の間では桑田はエリンギを日本の食卓に広めた人物と言われており、エリンギの人工栽培が開始された1993年当時は知名度も低く生産も伸びなかったが、桑田が『ミュージックステーション』2000年11月3日放送分でエリンギ料理にハマっていることを公言し、実物をポケットから出した場面が放送されると、エリンギの出荷量が一気に10倍になるなどの反響を呼んだ[332][130][333][334]。
- かつてはヘビースモーカー[注釈 27]だったが、1999年10月から禁煙[336]。定期検診に通い、スタッフにも人間ドックへ行くことを勧める、暴飲暴食をしないなど、2010年の闘病以前から健康には気を使っていた[337]。闘病後も経過検査の結果を『桑田佳祐のやさしい夜遊び』で語ることがある[338]。
- 愛妻家として知られており、自身のラジオ番組で「女の人の意見とかね、女の人の顔色うかがうっていうのは、これ基本ですね。生きる上で」といった発言をしている[59]。2010年夏の食道がんの早期発見は、妻の原や幼なじみの医療関係者などを始めとした周囲の行動の結果であることが語られている[339]。そのため桑田は病状の発覚直後に出演した自身のラジオ番組で「今後は原由子には頭が上がらないでしょう」と感謝の念を発言した[339]。
家族・親族
- 父方の先祖は明治初期に小倉(現:福岡県北九州市)の城下町に住んでいた[注釈 28]。曽祖父が40代で早世した影響により桑田家は息子達が中心となり満州に渡っている。桑田家は祖母の実家にあたり、祖父は満州に働きに来ていた鹿児島の農家の次男であった。満州にいた時期に離婚したことにより、祖母は父を連れて桑田家に戻り、終戦後に北九州[注釈 29]に引き揚げて来た後に上京している[340]。桑田は父方の先祖のことを「めちゃくちゃイビツで家系図が枝垂れ桜みたいに一方向に傾いてる(笑)」と語っている[342]。
- 母方の先祖は昭和初期に東海道沿いで『太田屋百貨店』という百貨店を経営していた。当時の百貨店の写真は茅ヶ崎市の歴史写真集『保存版 ふるさと茅ヶ崎』(郷土出版社)に掲載されている[340]。桑田は母方の先祖のことを「かなり真面目で家系図がきれいなシンメトリックになっている」と語っている[342]。
- 父は上京後は映画好きだった影響からしばらく日本劇場で働いていた。その縁により当時映画製作が盛んだった茅ヶ崎市に移り住み、妻(桑田の母)と出会っている[340]。その後も湘南の地方新聞の記者[343]、パシフィックホテル茅ヶ崎への勤務[344]、茅ヶ崎市の映画館(大黒館。後に茅ヶ崎国際劇場と改名[345][19]:12)や小田原市の西洋料理店「grill KONOMI」(グリル木の実)の雇われ支配人[343]、妻と二人三脚でのバー経営[346]と数々の職業を転々とした。また、真偽は明確ではないが小津安二郎の運転手をやっていた時期があることも示唆されている[315]。なお、父は桑田と同様に歌が上手いことで有名だったことが語られており、父の真似をして歌っていたことが桑田が歌手を志すきっかけになったといわれる[344]。
- 母は父とのバー経営の後に平塚市で割烹の経営をした[347]。
- 姉のえり子とは腹違い(異母姉弟)であると桑田は述べている[348]。
- 著名な親戚として、石黒ケイ(歌手、女優)がいる。桑田はかつて「POPEYE」で担当していた連載『桑田佳祐のC調Interview』の第14回で石黒と対談したことがある[349]。
来歴
生い立ち・学生・アマチュア時代
1956年2月26日、神奈川県茅ヶ崎市にて生誕した[350]。
1962年に茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に入学した[350][351]。小学生時代から将来の夢として漠然と歌手になることを考えていたが、先生によっては通用しないと思い、建築家や弁護士になりたいと答えていたこともあったという[325]。5・6年生のころに入浴中に父の勧めで当時流行していた歌謡曲を歌い、「上手いね」と褒められた経験があり、それを後の音楽活動における原点として挙げている[352]。また、このエピソードは同郷の先輩の加山雄三も父を介して知っており、度々紹介することがある[344][353]。 ジョン・レノンのファンであった姉の影響もあり、ビートルズなどの洋楽にも親しんだ[354]。
1968年に茅ヶ崎市立第一中学校に入学した[350][355]。当時は野球部に所属しており[356]、エースだった。同じ野球部にいたことがきっかけで宮治淳一との交流ができている[357][355]。このころから教壇でコンサート会場さながらに歌い皆を楽しませており、また黒板消しをマイクに見立てて前川清のものまねをするなど、エンターテイナーの片鱗を見せている[358][359][注釈 30]。登校前の早朝には学校のすぐ隣にあったパシフィックホテル茅ヶ崎でボウリングを行っていた[361]。
1971年に鎌倉学園高等学校に入学した[350][362]。当時は友人と2人で「ボウリング部」を名乗りトレーニングや練習をやっていた[361]。また、これまで交流がなかった小中学校の同級生とも音楽を通して交流が生まれ、互いの家に出入りして楽器を鳴らしながらビートルズなどを2人で歌ったことが、桑田にとってギターやピアノを覚えるきっかけになった[363]。3年生になった1973年に宮治からのオファーにより神奈川県立鎌倉高等学校の文化祭(鎌倉高校祭)のロック・コンサートに出演、ビートルズの「マネー」とエルヴィス・プレスリーの「ブルー・スエード・シューズ」を披露した[364]。これが桑田が人前で演奏した初めてのステージであった[365]。本人によると3年生の時のみ勉強に集中しており、英語と日本史と国語を勉強していた。特に英語と日本史は自己採点の結果パーフェクトだったという[366]。
1974年に5校の入試を受験した結果、最初に合格の通知の電話が来た青山学院大学に入学した[366][350]。大学の音楽サークル「BETTER DAYS」(ベター・デイズ)に所属し[367]、本格的にバンド活動を開始。「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など、頻繁にバンド名の変更やメンバーチェンジを繰り返していたが、1976年ごろから宮治の命名により自身のバンドに“サザンオールスターズ”の名を使用した[365]。
1977年にサザンとして『EastWest '77』に出場し、桑田はベストボーカル賞を受賞、デビューのきっかけをつかむ。このころの桑田は音楽のプロになる気はなかった[368]といわれるが、一方で軽い気持ちで「作詞家になる」と父に告げていたとも語っている。父は自身の経験から学生時代の桑田に喫茶店の学校に行ってバーテンダーの勉強をすることや自衛隊に入隊することを勧めていたという。これについて桑田は「今思うと、親父は僕のことをよく考えてくれていたんだなと思いますね」「いつも⼼配かけたこと、今では本当に済まなかったと思っています」とインタビューでこのことを振り返った際に述べている[369][370]。
メジャーデビュー
1978年6月25日にビクター音楽産業より、サザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューを果たした。
1979年に桑田は青山学院大学を除籍となった[2][350]。
1980年に発売したサザンの3枚目アルバム『タイニイ・バブルス』に収録されている原由子のボーカル曲「私はピアノ」が評判となり、1981年に桑田によるプロデュースで原が「I Love Youはひとりごと」でソロデビューを果たした。1982年に桑田と原は結婚をした[3]:10,19-24。後に2児が生まれる[371]。また、1982年に中村雅俊に提供した「恋人も濡れる街角」が50万枚近くの売り上げを記録し[372]、1983年にはアミダばばあ & タケちゃんマンに提供した「アミダばばあの唄」が35万枚を売り上げた[注釈 31][285]。
KUWATA BAND結成、ソロデビュー
1986年から原が産休に入るため、サザンは活動を休止した[374]。桑田は同年1月に結成したKUWATA BANDとして活動をした。活動期間は1年であり、シングル4作もヒットした。唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切収録せず、全曲新曲の全英語詞アルバムになった[3]:11,48,54-55。同年と1987年の12月24日には自身が企画・出演した特別番組『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ系列)が放送され明石家さんま、松任谷由実、忌野清志郎らと共演した[375]。
1987年4月から1か月半の間、サザンメンバーの松田弘と共に渡米。現地でダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」をレコーディングする[376]。
1987年10月には「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビューした。小林武史と藤井丈司が楽曲制作に参加し、プログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開。1988年には桑田・小林・藤井の共同プロデュースで1枚目アルバム『Keisuke Kuwata』を発売した。発売後は再びサザンとしての活動となった[3]:11,48,54-55。
サザンの活動と並行して、1989年9月から自身が監督と音楽を務めた映画『稲村ジェーン』の撮影を開始し、同時に映画の楽曲のレコーディングも開始した[377]:10。映画は1990年9月に公開され、賛否両論はあったが、配給収入は18.3億円を記録し、同年の日本映画配給収入年間4位にランクインした[378][379]。1991年に入り、7月にサザンとして「ネオ・ブラボー!!」を発売後に桑田は小林を迎え、SUPER CHIMPANZEEを結成し、9月に「クリといつまでも」を発売した[3]:12。
アコースティックでの制作、エイズ啓発チャリティー
1993年7月、桑田はサザンとして発売した「エロティカ・セブン」のヒット直後に再びソロ活動を始動させた[3]:78。第2期ソロ活動では小倉博和との共同作業を行い、10月には3枚目シングル「真夜中のダンディー」をソロで発売した。11月に札幌厚生年金会館で行われた泉谷しげるの奥尻島救済コンサートに参加[380]、12月にアクト・アゲインスト・エイズの一環でAct Against AIDS '93に出演するなど、チャリティー活動も行った[381]。
1994年2月に母が心筋梗塞により60歳の若さで死去。このことは当時の作風に影響を与えている[382][21]:53 - 59。8月には4枚目シングル「月」を発売し、9月には2枚目アルバム『孤独の太陽』を発売した。アルバムは前作とは異なり、楽器本来の音に着目したアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線を展開した[21]:53 - 59。10月末には5枚目シングル「祭りのあと」を発売。12月にはAct Against AIDS '94に出演し、年末には年越しライブを開催した[3]:12。
1995年に入り、1月に小林武史によるプロデュースでMr.Childrenとコラボしたチャリティーシングル「奇跡の地球」を発売。半年間による期間限定販売であったが、170万枚以上を売り上げ、全ての収益金が「Act Against AIDS基金」に充てられた[383][384]。4月からは現在も放送しているラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』が開始した。5月からはサザンとしての活動を再開した[3]:12。1995年も引き続きAct Against AIDS '95に出演した。1996年以降は桑田が単独でアクト・アゲインスト・エイズの一環したライブを開催した[3]:13。
ポップとロックの展開、フェスとの関わり
2000年10月にサザンの活動と並行して、桑田はフジテレビ系列で自身の冠番組となる『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』が開始し、11月にはパシフィコ横浜で『Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング』も開催された。2001年に入り、桑田は完全にソロ活動に移行した。同年7月発売の6枚目シングル「波乗りジョニー」が110万枚、10月発売の7枚目シングル「白い恋人達」が120万枚を記録し、夏と冬のポップソングがヒット[385][3]:14,72,82,171。11月にパシフィコ横浜で『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』を開催し敬愛するビートルズのナンバーを演奏した[386]。12月にはクリスマスコンサートを開催するなど精力的に活動した[3]:14,72,82,171。
2002年に入ると、斎藤誠・片山敦夫らサポートメンバーで結成されたTHE BALDING COMPANYとの共同作業を行い、前年に発売したポップ作品とは異なり、バンド形態の本格派ロック路線を展開した。8月には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002」に出演[387]。9月には6月に発売した8枚目シングル「東京」を収録した3枚目アルバム『ROCK AND ROLL HERO』を発売した[3]:14,72,82,171。12月にはベストアルバム『TOP OF THE POPS』を発売し、前年の楽曲はこちらのアルバムに収録された。このベストアルバムは170万枚を記録して、ソロ名義として最大ヒット作品となった[388]。なお、11月から12月にかけて全国ドームツアーを開催している[3]:14。
2003年以降はサザンが25周年を迎えることもあり、再びサザンとしての活動を再開した[3]:14,72,82,171。2004年3月に父ががん性腹膜炎で死去。葬儀・告別式では桑田が喪主として挨拶を行い、生前に父が好んでいた黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」を生ギターで歌った[337][389][352]。
2006年8月26日・27日、浜名湖ガーデンパークにてフェス『THE 夢人島 Fes.』が開催された。きっかけは桑田が「無人島でフェスを開催できないのか」と提案したことが実現した。出演者はアミューズの後輩である福山雅治・BEGIN・ポルノグラフィティ・ONE OK ROCKなど、また桑田と交流がある加山雄三・Mr.Children・GLAYなども参加した[3]:86。同年11月から12月にかけて、桑田は『Act Against AIDS 2006 「星条旗よ永遠なれ!? 〜私のアメリカン・ヒーローズ」』を開催している[3]:15,88。
2007年4月に桑田が本格的にソロで活動することが発表され、5月に9枚目シングル「明日晴れるかな」を発売した。オリコンで1位を獲得し、着うたではミリオンセラーとなり大ヒットした。その後、8月発売の10枚目シングル「風の詩を聴かせて」と、12月発売の11枚目シングル「ダーリン」も共にオリコン1位を獲得。11月から12月末にかけて、年越しも兼ねてソロでライブツアーを開催した[3]:15,88[390]。2008年はサザンが30周年を迎えることもあり、再びサザンとして活動を始めた[3]:87。また、ソロとしては同年3月に沖縄県石垣市の石垣市民会館で『桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』を開催した[391]。
食道癌の治療、震災復興チャリティー、ソロ25周年
2008年5月、年中いっぱいでサザンが無期限活動休止をすることを発表し、8月にライブ『真夏の大感謝祭』を開催した[3]:15,88。10月に桑田の音楽性に影響を与えた姉が膵臓癌で亡くなっている[392]。11月に桑田はソロで『Act Against AIDS 2008 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』を開催し、2009年以降からは本格的にソロ活動を再開した。桑田は4月から9月まで、『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(レギュラー第2期)に出演した。番組が終了と共に10月から2010年10月に発売予定の4枚目アルバム『MUSICMAN』の製作に入り、12月には12枚目シングル「君にサヨナラを」を発売した[3]:15,88。
2010年に入り、毎年誕生日(2月26日)を目処に行う定期検診を半年以上早めて7月に受けたところ、食道癌であることが発覚[393]。治療に専念することで音楽活動を休止し、10月発売のアルバム『MUSICMAN』は発売延期となり、その後のライブツアーも中止となった[394]。8月に手術が無事に終了して退院した。直後に手術前から決まっていた通り13枚目シングル「本当は怖い愛とロマンス」を発売[395]。10月にはアルバムのレコーディングを再開[396]。12月には紅白歌合戦に特別枠として出演し音楽活動を再開させた[3]:15,88。
2011年2月に発売延期となったアルバム『MUSICMAN』を発売した。その直後に発生した東日本大震災の被災地に収益を寄付するチャリティーを行うために桑田は所属事務所の後輩である福山雅治らと共にチーム・アミューズ!!として「Let's try again」を5月に発売した。この楽曲は桑田が制作したものであり、8月にはソロフルバージョンとして「Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜」が制作され、14枚目シングル「明日へのマーチ/Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜/ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜」に収録したうえで発売された。9月に入ると宮城でライブ『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』を開催し、12月には年越しライブを開催した[3]:15,88。
2012年に入り、桑田はソロとして25周年を迎えた。7月に25周年ベストアルバム『I LOVE YOU -now & forever-』を発売し、80万枚に迫るヒットを記録した[397]。9月から12月の年越しにかけてアルバムを引っ提げ、全国ツアー『I LOVE YOU -now & forever-』を開催した。2013年3月に15枚目シングル「Yin Yang/涙をぶっとばせ!!/おいしい秘密」を発売。6月にサザンは35周年を迎え、バンドとしての活動を再開した。7月には商工会議所や同級生を始めとした地元有志の働きかけもあり茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞した[398][399]。なお、サザンの活動と並行しつつ、11月には『Act Against AIDS 2013 昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』を開催した[3]:15,88。2014年11月には長年の音楽活動が評価され紫綬褒章を受章した[48]。
還暦、ボウリングイベントの開催、オリンピックテーマの制作
2015年8月に桑田はサザンとしてのライブ『おいしい葡萄の旅』が終演し、11月からソロ作品発売のためにレコーディングを開始した[400]。2016年2月に還暦を迎え、誕生日当日にはソロ名義の作品のダウンロード配信が開始された[401]。6月に16枚目シングル「ヨシ子さん」を発売した。この楽曲はR&B・HIPHOP・ EDM・サブスクリプションなどの最先端の音楽用語に対応しきれず、サタデー・ナイト・フィーバー、ナガオカ針、演歌などを回顧するアナログ世代の悲哀ととれる内容になっている[402]。そして、11月に17枚目シングル「君への手紙」を発売し、12月には年越しライブを開催した[3]:16。
2017年4月、特設サイトにて「ROUND30」と名付けられた企画を発表し、ソロデビュー30年の節目を迎えるにあたって、30項目におよぶ“全力投球”を宣言した[403]。7月にライブハウスイベントの開催、8月には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」に出演した。直後に5枚目アルバム『がらくた』を発売。アルバムは35万枚を超えるヒットとなり、この年の男性ソロアルバムとして最大売上を記録[404][405][注釈 32]。10月から12月にかけて、アルバムを引っ提げて、全国ツアー『がらくた』を開催し、大晦日には『第71回NHK紅白歌合戦』に中継で出場した[3]:16。
2018年11月に『Act Against AIDS 2018 平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦』を開催した。今回のライブで桑田にとって、Act Against AIDS活動は終了した[406]。2019年に入り、サザンの全国ツアー『LIVE TOUR 2019 “キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!” だと!? ふざけるな!!』と並行して桑田佳祐 & The Pin Boys名義の活動を開始。1月にボウリングシングル「レッツゴーボウリング」の発売、2月に自身主催のボウリング大会「KUWATA CUP 2019」を開催した。「レッツゴーボウリング」に関しては、オリコンで1位を獲得したことにより、30歳代〜60歳代で1位を獲得した。この記録は史上初となる記録になった[407][408]。同年12月にはサザンも含めて自身の楽曲全てがサブスクリプション型サービスでのストリーミング配信が解禁された[409]。
同年7月に民放5局列による2020年東京オリンピック共同企画「一緒にやろう2020」のテーマソングを桑田が制作することが発表され、2020年1月に民放5局列で同時放送された番組内で「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」が公開された[410][411]。2月にはボウリングシングル2枚目となる「悲しきプロボウラー」が発売された[412]。
2020年1月から2021年4月まで、『週刊文春』にて『ポップス歌手の耐えられない軽さ』のタイトルでエッセイの連載をした[413]。
2021年3月に桑田にとって初となるブルーノート東京で無観客ライブを開催し、昨年のサザンの無観客ライブも合わせて通算3回目の無観客ライブとなった。ブルーノートは格式が高く、桑田はこの会場でのライブに憧れていたという[414]。このライブから得た収益の一部は「Music Cross Aid ライブエンタメ従事者支援基金」を通じ、ライブエンタテインメント業界支援のために役立てられた[415]。9月には自身初となるミニ・アルバム『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』が発売され、発売に先駆けて7月に「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」、8月に「炎の聖歌隊 [Choir]」と「Soulコブラツイスト〜魂の悶絶」が配信シングルとして先行発売された[416][417][16][418]。ミニ・アルバムはオリコン週間ランキングで1位を獲得し、男性ソロアーティストとして初となる5年代(1980年代〜2020年代)連続アルバム首位獲得を記録した[18]。また、9月から12月の年越しにかけて、全国ツアー『BIG MOUTH, NO GUTS!!』を開催した[419]。
同級生らとのチャリティー、ソロ35周年
2022年5月に桑田の呼びかけによって、桑田と同学年・同級生である佐野元春、世良公則、Char、野口五郎らと共にチャリティー配信シングル「時代遅れのRock'n'Roll Band」を発売。収益の一部は、困難に直面している世界中の子供たちの未来といのちを守るため、「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付される[420]。8月にはソロとして5年ぶりとなる「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022」に出演予定であったが[421]、出演3日前に新型コロナウイルスに感染したことをアミューズが発表し、出演見合わせとなり[422][423][注釈 33]、後日『桑田佳祐のやさしい夜遊び』で代替企画を行った[425]。11月にベストアルバム『いつも何処かで』が発売されたほか、同月から12月にかけて全国ドームツアー『お互い元気に頑張りましょう!!』が開催された[426][427]。また、同月末には追加公演を横浜アリーナで開催、大晦日には「時代遅れのRock'n'Roll Band」で『第73回NHK紅白歌合戦』に事前収録という形で出演している[428]。
2023年、松任谷由実のデビュー50周年を記念して松任谷とのコラボレーション・シングル「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」を発表[429]。本作は元々『メリー・クリスマス・ショー』のために制作された楽曲で、今回のために新たにリメイクされた。シングルとして発売されたほか、同年の松任谷のコラボ・ベスト・アルバム『ユーミン乾杯!!』にも収録された。桑田と松任谷の楽曲での共演は『メリー・クリスマス・ショー』以来だったが、2019年の『第69回NHK紅白歌合戦』では究極の大トリとして出演したサザンのステージでは「勝手にシンドバッド」を演奏中、松任谷が踊りながら乱入し、桑田と濃厚な絡みを見せるなど当時32年ぶりの共演をしていた[430]。
使用機材
エレキギター
- ポール・リード・スミス スタンダード 24
- 1996年のサザンのツアー『ザ・ガールズ万座ビーチ』から使用している[431]。
- ポール・リード・スミス S2 シングルカット スタンダード サテン
- 2011年の楽曲「それ行けベイビー!!」のMVや『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』のアンコールで使用されており[432][39]、『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマに使用された「100万年の幸せ!!」のMVでも、このギターを弾いている桑田がアニメ化されている[433]。
- フェンダー・ストラトキャスター
- ギブソン・SG
- ギブソン・ES-330
- ギブソン・レスポール・カスタム
- エピフォン・カジノ
- フェンダー・テレキャスター・カスタム(1964年製)
- いずれも2002年のソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』のレコーディング・セッションで使用した[434][435][436][437][438][439]。このうち、「フェンダー・テレキャスター・カスタム」に関してはKUWATA BANDの時に入手しているほか[440]、「エピフォン・カジノ」に関しては『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2011』に出演し、ビートルズの楽曲を演奏した際に前述のギターを使用している[441]。
- フェンダー・テレキャスター ペイズリー レッド 1968
- 2011年3月5日に放送されたWOWOWのスペシャル番組「桑田佳祐『MUSICMAN』スペシャル」の中で「現代人諸君!!」[注釈 34]を演奏した際などに使用した[443]。
- フェンダー・カスタム・ショップ ストラトキャスター 1960
- 2000年のサザンの楽曲「HOTEL PACIFIC」のレコーディング・セッションから使用している[431]。
- フェンダー・カスタム・ショップ テレキャスター
- 2016年の年越しライブ『ヨシ子さんへの手紙 〜悪戯な年の瀬〜』から使用している[431]。
- シェクター「AC-KK/SIG」プロトタイプ
- 桑田のオリジナルモデルとして製作された。2017年にビルボードライブ東京で開催された『この夏、大人の夜遊び in 日本で一番垢抜けた場所!!』でも使用された[431]。
- リッケンバッカー 330 ミッドナイトブルー
- 2002年の楽曲「素敵な未来を見て欲しい」のMVで使用されている[444]。
- グレッチ キャデラックグリーン
- 『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系)2009年5月11日放送分第4回 「一日遅れの母の日スペシャル」で「東京だョおっ母さん」(島倉千代子)を歌唱した際に使用した[68]。
- ギブソン・ES-335
- 熊坂出監督作品『茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜』にて使用した[445]。
- ギブソン・レスポール スタンダード
- 2005年に開催したサザンの全国ツアー『みんなが好きです!』[446]や「桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS」として出演した2009年8月30日に山中湖で開催されたライブイベント『SWEET LOVE SHOWER 2009』で使用[447]。2種類所有しており、前者はピックガードがない仕様[446]、後者はピックガードがある仕様になっている[447]。
- PGM テレキャスター カスタムタイプ
- 埼玉県のギター工房『PGM』で桑田のオリジナルモデルとして複数種製作されている。後に同様のデザインで『KK』シリーズと題して市販化され、ファンの間で話題となり、さらにその垣根を超えてファンならずとも愛好家の多いモデルとして隠れたヒット商品となっている[448][449]。
- アイバニーズ LGB30 ナチュラル ジョージ・ベンソンモデル
- 2020年にサザンとして横浜アリーナで開催された無観客年越しライブ『Keep Smilin’〜皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!〜』や2021年の全国ツアー『BIG MOUTH, NO GUTS!!』など複数のライブで使用され、特に後者では映像作品のジャケット写真としてこのギターを弾いている姿が使われている[450][451]。
アコースティックギター
- ギブソン・J-200
- 1996年のサザンのアルバム『Young Love』のジャケット写真や2002年の楽曲「ROCK AND ROLL HERO」のMVに登場している[452][453]。また、同名のアルバムのレコーディング・セッションでも使用されている[454]。
- ギブソン・J-160E
- 2001年に開催された『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』にて使用。ジョン・レノンが使用していたものと同型であり、アタッチメントも付いている[455]。2002年のソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』のレコーディング・セッションでも使用した[456]。
- ギブソン・ダヴ
- 2002年のソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』のレコーディング・セッションで使用した[457]。また、2007年の楽曲「風の詩を聴かせて」のジャケットと同じシチュエーションで撮影された写真で使用され、翌年に沖縄県石垣市で開催された『桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』の告知用フライヤーやネット記事などでもこの写真が掲載されている[458][459]。また、同曲のCD盤のジャケット裏にも海を背景にこのギターを弾く姿の写真が使用されている[460]。
- ギブソン・ダヴ アーティスト
- ギブソン・ダヴと異なりピックガードに鳩が象嵌されていない仕様になっている。サザンの楽曲「彩 〜Aja〜」や「東京VICTORY」のMV[461][462]および『ヨシ子さんへの手紙 〜悪戯な年の瀬〜』や『この夏、大人の夜遊び in 日本で一番垢抜けた場所!!』などの複数のライブでも使用されている[463][464]。
- ギブソン・ハミングバード MVS
- 2005年に開催したサザンの全国ツアー『みんなが好きです!』や2008年に沖縄県石垣市で開催された『桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』[465][466]および2007年の楽曲「明日晴れるかな」「風の詩を聴かせて」のMVで使用している[467][468]。
エレキベース
- フェンダー・プレシジョンベース
- 2002年のソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』のレコーディング・セッションで使用した[472]。
- フェンダー・ジャズベース
- ゾン ソヌス
- 2002年の楽曲「素敵な未来を見て欲しい」のレコーディングにて使用するが、「ゾン」に関しては途中で後述のゾン ソヌスに持ち替えている[152]。
- ファイネスティ ジャズ バス モデル
- 埼玉県のギター工房『PGM』で完全オーダーメイドで製作されており、レコーディングの際に使用している[431]。原由子に提供した「夢をアリガトウ」のレコーディングでも使用しており、その模様が『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』2009年7月19日放送分第12回 「夢のような企画」にて映されている[147]。
評価
先述の通り出身地である茅ヶ崎市やその周辺都市を取り上げた楽曲も多く、その影響で知名度や経済への貢献を評価され、これらが決め手となり2013年の茅ヶ崎市民栄誉賞贈賞に至った[473][398]。2023年のサザンの楽曲「盆ギリ恋歌」の歌詞とMVに登場する同級生は桑田のことを「地元や仲間を大切にしてくれている。茅ヶ崎が好きなんだ。そんな人柄があるから長くスターでいられるのでは。市民みんな喜んでいるよ」と評している[474]。
先述した日本への強い愛情や、東日本大震災発生時並びにコロナ禍などにおいて音楽活動を通じて人々に寄り添い社会的貢献を行う姿勢への評価も高く、ソロ・サザンを問わず多くのライブの舞台監督を担当している南谷成功は桑田の行動力を「東日本大震災のときも今回のコロナ禍も、真っ先に旗を揚げて駆けつける。(サザンとして行った2020年の無観客配信ライブで演奏された)『東京VICTORY』で一緒に拳を突き上げていたとき、僕も含めてみんな嬉し泣きしていました。僕たちはついていくばかりですけど、全力でサポートしたいといつも思っています」と語り高く評価している[475][476][477]。
桑田の音楽活動の功績は皇室関係者からも認められており、天皇・徳仁がサザンの楽曲を好んでいることが理髪を担当していた人物の証言によって明かされている[478]。なお、徳仁及び皇后雅子と敬宮愛子内親王が来場した2026年(令和8年)3月8日の2026 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次ラウンドC組の日本対オーストラリア戦(東京ドーム)では、試合終了後に「栄光の男」が場内BGMとして流れていた[479]。また、旧皇族の竹田家(旧:竹田宮家)出身[480][481][注釈 35]である政治評論家の竹田恒泰はライブに訪れるほどの桑田のファンである旨を自ら公言している[482]。
性格に関しては「実はいい人」「とにかくおとなしい真面目な人」「真面目に年齢を重ねた常識人」と評されており、三枚目を装うパフォーマンスが散見されるが、これらは照れ隠しであることが指摘されている[483][484][485]。桑田の堅実さは原を始めとした家族との関係やサザンのメンバー同士の人間関係を大切にしていることに端的に表れており[485]、2008年にバンドの無期限活動休止を発表した際も「メンバー1人1人があってのサザンです」「メンバー5人いまして、私はもう彼ら1人1人が大事ですし、一生のパートナーとしてこれからも付き合っていきたいと思います」と個々のメンバーを気遣う発言を行っている[486]。様々なミュージシャンが不倫や女性問題などのスキャンダルを起こす中で、桑田・原夫妻はそういったものとは無縁であり、双方が敬意を持って家庭や音楽と向き合っている面も高く評価されている[487]。音楽プロデューサーの酒井政利は「原坊はもちろんのこと、メンバーもスタッフもそんな桑田の人となりに惹き付けられて、サザンオールスターズを楽しんでいるように見える」と評している[485]。また、音楽評論家のスージー鈴木も「ワンマンバンドって、だいたい早く潰えるんですよね。桑田佳祐というリーダーがいて、(2018年の時点で)40年続けているというのはすごいことです」「メンバーの和気あいあいとした姿を見るにつけ、桑田はリーダーでありながら上から目線にならない"ムードメーカー"なのでしょう」と語っている[488][489]。また、同郷の先輩の加山雄三は桑田の人柄を「本当にいいやつ。心が素晴らしいから、あんなスケベな曲が作れるんだよ」「世界に誇れるアーティスト。『THE 夢人島 Fes.2006』で奴は、俺の曲を全部知っててギターを弾くわ、コーラスまで付けてくれた。それでいて謙虚で、さすが我が後輩」と評価している[490][491][492]。
チーフマネージャーから若手スタッフまで幅広い関係者から意見を募ったり、食事に連れて行ったりするなど面倒見がいいことでも知られる[493]。2002年のソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』のレコーディング日誌にも「今日はこのくらいにして、みんなでごはんでも食べに行こうか?」とメンバー、スタッフを食事に誘う場面が記録されている[494]。先述した「桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS」にベーシストとして参加した経験がある亀田誠治は桑田の人付き合いの良さについて「この人、音楽が好きなんだなあって思いましたね。そして人を楽しませる音楽を作るためには、まず一緒に音を出す仲間を大事にしなきゃいけないってことを肝に銘じてるんだなって」「桑田さんくらいのレベルになっても、こうやって1つのステージを作るために、みんなが1つになるためにこんなに心配りをし、こんなに努力をするんだっていう」「偉そうにしている姿なんて見たことないですね。僕らに対してもスタッフさんに対しても。実るほど頭を垂れる稲穂かな、じゃないですけど、決して偉ぶらないし音楽一筋にかけている感じが強くて。もう国宝って言っていいんじゃないかな(笑)」と評している[108]。
ファンへの対応も評価されており、チーフマネージャーの話によると、桑田をはじめとしたサザンのメンバーは全員ファンレターにはすべて目を通しており、返信ハガキが同封されたものは時間が許す限り返信を書いている[493]。老若男女幅広くファンが存在しており、桑田は「ファンレターや掲示板(公式BBS)を通じて、ファンの皆さんから教えられることも年々多くなってきた」と述べている[495]。
サザンのメンバーでかつ妻であり、楽曲提供を多く受けている原由子は桑田のことを「いまだにレコーディングの度に、こんな引き出しがあったんだとびっくりさせられる、とてつもない才能の持ち主」「私では思いつかないようなアイデアもいっぱい出してくれるので刺激になります」と評しており[496][497]、「私はずっと桑田の音楽の大ファンなんです」と語っている[498]。また、原は自身のベストアルバム『ハラッド』の制作の際、ソロ・サザンを含めたこれまでの作品を振り返り、「桑田にいい曲をいっぱい作ってもらったんだ」ということを感じ、涙が止まらなくなったという[499]。
サポートミュージシャンの一人である斎藤誠は桑田のライブの魅力を聞かれた際に「あまり他の人のアーティストのライブに参加したことがないので、一概には言えないんですが、桑田さんのライブって、お客さんが感動で涙を流したり、かと思えば、お腹を抱えて大笑いをしてたり、そういういろんなハッピーが満載なんですよね。絶対に楽しんで帰ることができる、誰もが心から楽しめるコンサート。 そういうところが特異だと思いますね」と答えている[500]。
元サザンのメンバーの大森隆志は桑田のことを「あれだけバラエティに富んだ楽曲を生み出せるミュージシャンは他にいない」と評している[501]。
同郷の先輩の加山雄三は「茅ヶ崎出身で世界に通用するのは桑田君しかいない」「世界に誇れるアーティスト」と桑田の才能を高く評価する発言を度々している[69][502]。また、白色にペイントされたモズライト・ギターを桑田に贈呈したエピソード[注釈 36][503]や、2014年秋に加山が旭日小綬章を受章した同じタイミングで桑田も紫綬褒章を受章しており、電話で互いの栄誉を称え合ったエピソードもある[502]。
茅ヶ崎とも縁が深い徳光和夫はサザンや桑田の楽曲の作風を「昭和から平成、そして今なお第一線で活躍しているでしょ。桑田(佳祐)さんは今(2025年時点で)69歳、そのお歳で全国ツアーをやっているなんてすごいですよ。サザンがデビューしたとき、僕は『紅白歌のベストテン』の司会をやっていたわけですけども、ランニング姿で『勝手にシンドバッド』を歌う姿は本当に斬新でね。周囲の若いスタッフも『まったく新しいものが出てきた!』と言ってましたけど、僕たち世代から見れば、“新しいのに懐かしい”不思議な存在でしたね。桑田さんのご実家はスナックをやっていらしたから、ムード歌謡が自然と染み込んでたんでしょう。桑田さんは百人一首や万葉集も読んでるらしくて、そこから歌詞を紡いでいるという話もある。だからこそ、サザンの曲には懐かしさと新しさが絶妙に同居しているといえるんだと思います」と分析している[504]。
世良公則とは双方が「戦友」と語るほどの間柄であり、サザンを解散せずに長く継続している桑田に対して尊敬の念を持っている旨を公言している[66]。
桜井和寿(Mr.Children)は桑田について「サビへの盛り上げ方は桑田さんから」と、音楽性に多大な影響を受けたことを公言している[505]。特にMr.Childrenの楽曲「しるし」のサビのメロディについては、サザンの楽曲「TSUNAMI」のサビのメロディとの近似性がマーティ・フリードマンによって指摘されている[506][注釈 37]。また、桑田のソロアルバムの中では『孤独の太陽』が好きであり、その中でも「漫画ドリーム」を特に気に入っている[508][509]。桑田も桜井のことを「個人的に日本で一番才能があるライターでありシンガーです」と高く評価している[85]。
草野マサムネ(スピッツ)は「今現在日本のポピュラーソングを作ってる人間で直接的でも間接的でも(桑田の曲の)影響受けてない人ってほとんどいないと思うんですよ」「とくに、ロックのリズムに強引に日本語をのっけちゃう手法とか」「言葉の意味よりもリズム重視という作詞をコミカルになり過ぎない範囲でスマートにやれちゃうっていう、この辺がねぇ桑田佳祐さんこそ、J-POPのゴットファザーだと思う所以です」と桑田の音楽的な影響力の強さを語っている[510]。桑田もスピッツの才能を認めており、『Act Against AIDS 2008 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』では「ロビンソン」をカバーしている[191]。
R-指定(Creepy Nuts)はサザンおよび桑田ソロの楽曲を愛好しており、桑田の音楽性を「最初は普通に音楽を楽しんでたんですけど、いま聞くと、もうあの人は表現がラッパーなんですよね」「めっちゃ韻踏んでたりとか、言葉を詰めるとか、日本語の発音を耳障りが良いように崩すとか、あの人の歌い方がなかったら日本語でラップするのは難しいんじゃないかなって思うくらい(笑)」と評価している[26]。また、いとうせいこうは「サザンがいなければ、桑田佳祐がいなければ、桑田佳祐の歌唱法や作詞法がなければ、日本語でラップをできるとすら思わなかった」と語っている[511]。
坂本冬美は元々は音楽への興味の中心はポピュラー音楽よりも演歌だったが、中学生時代からは初恋の相手の影響でサザンの楽曲にも関心を示すようになった。当時のことを「ハスキーな歌声がせつなくて、そのときは歌詞の深い意味まではわからなかったけど、胸にキュンときたのを覚えています」と回想している[512]。
先述の通り「蛍」や「鬼灯」などの戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せる楽曲が存在しており[49][50]、特に「蛍」に関してはタイアップ先の映画である『永遠の0』の原作者の百田尚樹が「胸に染みいるような素晴らしい歌」と高く評価し[513]、2013年のスタジアムツアーで演奏された「蛍」に対して「泣けた」とコメントした[514]。弁護士・政治家の北村晴男も「僕らが生まれる前に太平洋戦争が終わっているがたかだか11年前[注釈 38]、親や先輩の年代は本当につらい思いをしていてそれを見事に描いている」と歌詞の内容を高く評価している[515]。タレントの長嶋一茂も「蛍」について「好きですねえ、いい曲ですね。『永遠の0』もだし、やっぱり英霊の人たちへの鎮魂歌、思いというのは、僕は死ぬまで忘れちゃいけないと思っているし、すごくいい曲だと思っている」とコメントしている[516]。
サザン名義の楽曲「栄光の男」の題材になった長嶋茂雄は、この事実を知った際に桑田の人柄と功績を「素晴らしい。歌をはじめ、他の面においてもすごい方」と称えており、同楽曲に対しても「桑田さんの素晴らしい音楽に私の野球がいくらかでも貢献できたと思うと大変うれしい気持ちです」とコメントしている[517][518]。
AIは学生時代からサザンおよび桑田ソロの楽曲を聴いていたといい、その魅力を「独特のちょっとかすれた声もそうですが、歌詞や言い回しが凄いしかっこいい」と語り、「エロティカ・セブン」などのエロティックな楽曲がヒットしたことに対しても「すごいとしか言いようがありません」と評した。また、メッセージ性が強い楽曲の歌詞に対しても高い評価を与えており、特に「Missing Persons」の『Megumi, come back home to me.』の部分に対して「私には絶対に書けません。共感できると同時に、みんなでどうにかしようという気持ちが伝わって来ます」と語っている[519]。
桑田のメッセージ性が強い楽曲の歌詞に関しては、シンガーソングライターの佐藤龍一も『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』第2期最終回で演奏された「漫画ドリーム09」のウイグルでの事件に触れた部分を「このようなメッセージを、合議的過程を経てオンエアするのは困難だと思われる。スポンサーは今や強力なお得意様である中国人の機嫌を損ねたくないことだろう」「番組最終回という場を使って、ウイグル問題の本質にさらっと触れた桑田佳祐の知性とユーモア、番組スタッフの勇気と英断に感動した」と高く評価しており、作詞をした桑田やこの場面を放送した『音楽寅さん』のスタッフの英断を称える発言を自身のブログで行った[520]。
前川清は桑田の楽曲について「あの人のメロディーというのは、予測つかないです」「聴いててうれしくなるんです。ゾクーっときますよね」「ご自分しか歌えない歌というのも、けっこうありますよね。そういうところもおもしろいんだよなぁ」と評価しており[27]、カバーすることに対しても積極的な姿勢を示している[521]。
山崎まさよしは桑田について「引っかかりのある言葉でいい曲を作るから、尊敬する」と語っている[522]。
藤井フミヤは桑田について「誰も敵わないと思う」「昨日、たまたまなんだけど、ラジオを聴いていたら、桑田さんの曲を何人かのアーティストが歌っていたのよ。別に届いてこないんだよね、歌詞もメロディも。ところが、桑田さん本人が歌うと、ドーンってくるじゃん。やっぱり、すごいなぁと思い知らされたね」「オレ、キングオブポップは桑田佳祐さんだと思ってる」と述べ敬意を払っていることを明かしている[523][524]。
韓国のシンガーソングライターで9人組ガールズグループNiziUの総合プロデューサーのJ.Y. Parkことパク・ジニョンは桑田の音楽性を「桑田さんは本物のソウルを持っていて、アメリカのアーティストに比べて全然劣らないと思います」と評価しており、「一番好きな日本のアーティストです」と語っている[25]。
音楽評論家の中山康樹は桑田について「桑田佳祐の音楽は、洋楽の要素と邦楽が渾然一体となった、奇妙にして絶妙なバランスの上で成立していた。そのバランスの微妙な揺れとグラデーションは、すくなくともそれ以前の邦楽の世界には存在しないものだった」と高く評価している[525]。
音楽評論家のスージー鈴木は「あくまで個人的意見として、日本の“ロック人”を3人に絞るとすれば、吉田拓郎、矢沢永吉、桑田佳祐。そして、たった1人選ぶとすれば――桑田佳祐」と論じている[526]。
ビートたけしはミュージシャンとしての桑田の才能を「大した天才だと思う」と評価している[527]。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている[528]。ファンや識者の間では桑田とたけしに関して照れ隠しなどが混じった人柄や芸風の共通点を指摘する意見も存在している[529]。この関係性を知らない者からは映画『稲村ジェーン』に関する論争の影響で現在も桑田とたけしが不仲であると誤解されたことも度々あり、たけしは「桑田佳祐の映画でいろいろあったのなんて、もうずいぶん昔のことなんだよ。もしも仲が悪かったら映画『浅草キッド』の主題歌に桑田佳祐の曲[注釈 39]を使ったりしないだろう」とコメントしている[531]。
内村光良(ウッチャンナンチャン)は桑田の人柄を「繊細な方」「あんなにスターなのに、全然スターに見えないというか、なにも飾らないし、本当に気さくな方」と評価している[231]。また、内村は2025年にサザンの16作目のオリジナル・アルバムとして発表された『THANK YOU SO MUCH』への感想を求められた際に「新作を聴いてまず感じたのは、桑田さんはこの国のことが大好きなんだなと。年を重ねられて思うことがあるのかなと思いましたし、(日本人形を登場させた)ジャケットも含めて、ニッポンということを感じました」と高く評価する旨を語っている[475]。
太田光(爆笑問題)は自身の人格形成に影響を与えた人物として桑田、ビートたけし、カート・ヴォネガット、立川談志、植木等、チャールズ・チャップリンといった6人の名前を挙げている[532]。2023年のインタビューでは、桑田の多作ぶりを「『桑田佳祐はまだこれから』と僕は思ってます。もう曲が出尽くしたと思っても、また名曲を生み出す人。未来が本当に楽しみです」と語り称賛している[533]。2011年のインタビューでは、災害時に不安や恐怖心を煽っていく表現者の風潮に対して批判的な旨を述べた上で[注釈 40]、桑田に対しては「そういう奴と正反対のところに桑田さんはいる」と称え、「真っ正面から表現するっていう姿勢はいつも見習いたいなと思ってます」「全然違うジャンルなんだけど、俺にとっては目標みたいなところがあります。おこがましいですけど」と語っている[535]。また、2015年には自身のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で桑田の影響力を「桑田佳祐がどんだけ、どんだけ日本を明るくしたか。どんだけ日本人を勇気付けて来たか」と力説している[536]。また、太田の相方である田中裕二も桑田の人柄を「本当に優しくて気を遣ってくれて、腰が低い。本当にそこが尊敬する」と称えている[537]。
デビュー当時からのサザンファンであり、晩年には桑田との交流もあった漫画家のさくらももこは、ミュージックビデオ集『MVP』のリリース時に「桑田さんて若い頃から現代に至るまでゆるぎない特別な才能があり、いかにたくさんの人々を魅了してきたか、私もサザンのデビューの頃から魅了されっぱなしですが、人生の思い出と共に桑田さんの歌があり、桑田さんが居なかったら今の文化はひとつの大きな趣を味わえなかったと思います」と自身のブログで発言した[538][539]。
酒井若菜は桑田の存在を「桑田さんの声と音と言葉をリアルタイムで触れることのできる時代に生まれたことは、私の誇り」「なんであんなに人を元気にできちゃうんだろ しかも日本全国を しかもこんなに長く」と語っている[540]。
西内まりやはかつて『共演してみたい憧れのアーティストベスト3』として桑田、長渕剛、テイラー・スウィフトの名前を挙げていた[541]。とりわけサザン及び桑田の楽曲は昔から父親の車の中でずっと聴いていたといい、特に好きな曲として「白い恋人達」を挙げている[541]。
作家・政治家の百田尚樹は先述の通り映画版『永遠の0』の主題歌である「蛍」を高く評価した他、ソロ・サザンを含め2度ライブを観覧した経験がある。また、桑田の音楽の才能に関しては中島みゆき、松任谷由実と並べて高く評価している[542][514][543]。
落語家の三代目 桂春蝶は桑田のことを「日本の誇り」「国の宝」「一番死んでほしくないひと」「一生応援いたします」「これからも日本を明るく照らし続けてほしいです」と自身のブログで語るほど尊敬している[544][545]。
タレントの上沼恵美子は「偉大だと思う日本人アーティスト」として桑田と松任谷由実を挙げており、その理由を「スタッフの皆さんに言ってたんですが、いま日本で凄い方って誰だろう?って。私の中ではやっぱユーミンさんと桑田さんなんですよ」「アーティストの方ってわけじゃなく、大物というあれで。存在感あって才能あって中身の濃い人。これは間違いなくお二人がそうなんです」と語っている[546]。
2003年にHMVが発表した『邦楽アーティストの重要な100人(Top 100 Japanese pops Artists - No.1)』の12位に選ばれ、サザンは同チャートの1位に選出された[547]。
2012年3月にgooが発表した「国歌斉唱、聴きたい男性歌手は?」と題したランキングで11位(668票)を獲得している[548]。
2007年・2008年にオリコンが調査した“父親にしたいと思うアーティスト”にて総合1位を獲得[549]、2007年に調査した“夏のバラードが似合う男性アーティスト”や“イケてる夏ダディ”でも全世代で1位を獲得している[550][551]。
2014年の明治安田生命保険のアンケートで、「理想の有名人夫婦」ランキングの3位に桑田・原夫妻が入った[552]。夫婦で苦楽をともにする姿が共感を集めたとされ、また2人とも第一線で活躍していることが支持された[552]。
栄典・受賞
栄典
2013年夏に茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞した際には授賞式を茅ヶ崎公園野球場でのサザンのコンサートのステージ上で実施し、服部信明茅ヶ崎市長(当時)が桑田に賞を授与した。これを受けて桑田は「皆さんの気持ち、力のお陰。亡くなった父、母、姉にも見せたかった」「茅ヶ崎で生まれた幸せ、誇りを胸に刻みます」とあいさつした[553]。
2014年秋に紫綬褒章を受章した際には驚きながらも「身に余る光栄」と語り、褒章を『高貴な章』と称え、ファンや自身の音楽性に影響を与えた音楽家への感謝の念と「日本が、そして世界が平和でありますように」というコメントを述べた[48]。妻の原を伴って出席した伝達式では報道陣から声をかけられ、桑田は「大変ありがたいと思っております」と緊張の面持ちで答え、原は柔らかな微笑みをたたえていた[554]。午後には他の受章者と共に皇居を訪れて当時の天皇明仁に拝謁した[555]。桑田は拝謁した際に感動のあまり涙を流したことを翌日放送の自身のラジオ番組で語っている[注釈 22]。同年のサザンの年越しライブでは実物を観客に向けて披露し、受章への喜びやメンバー、スタッフ、ファンへの感謝を綴った黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」の替え歌「ラブユー褒章」を歌った[注釈 41][556]。普段は褒章は神棚に保管していることが桑田によって言及されている[232]。
日本レコード大賞
日本ゴールドディスク大賞
SPACE SHOWER Music Video Awards
ザテレビジョンドラマアカデミー賞
その他の賞
- ミュージック・ジャケット大賞
- 大賞『MUSICMAN』(2011年)
- 日本プロ音楽録音賞[559]
- 最優秀賞「ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜」(2011年)
- CDショップ大賞[560]
- マエストロ賞『がらくた』(2018年)
- 日本ボウリング場協会賀詞交歓会[561]
- ボウリング・マスメディア大賞(2019年)[561]
記録
※この記録は全てオリコンによるものである。
- グループとソロプロジェクトの両方のシングル・アルバム総売上が1000万枚を超えているのは桑田のみである[注釈 42][562]。
- ボーカリスト別売上では、B'zの稲葉浩志(8523万枚)に次いで歴代2位(6525万枚)を記録している(2016年現在)[562]。
- 作曲家シングル総売上:3901.8万枚(歴代4位・2020年10月現在)[563]
シングル記録
アルバム記録
- 5つの年代(1980年代 - 2020年代)でアルバム首位獲得(歴代2位タイ)[565][566][18][注釈 44]
- 1980年代:『Keisuke Kuwata』
- 1990年代:『孤独の太陽』
- 2000年代:『TOP OF THE POPS』
- 2010年代:『MUSICMAN』『I LOVE YOU -now & forever-』『がらくた』
- 2020年代:『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』『いつも何処かで』『人誑し / ひとたらし』
- 年齢5年代連続アルバム1位獲得:歴代1位タイ[567][注釈 45]
映像作品記録
- 『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』は、男性ソロアーティストとして初のDVD・Blu-ray総合1位を獲得した作品[568]。
- 『MVP』は、キャリア30年以上のソロアーティストとして初のDVD・Blu-ray総合1位を獲得した作品[569]。
- ソロアーティストによる「ミュージックDVD・Blu-ray Disc通算1位獲得作品数」:歴代1位(6作、2023年5月現在)[570]。
ストリーミング認定
2019年12月20日、各配信サイトにてこれまでの全シングル・アルバムのサブスクリプション配信が開始した。日本レコード協会でストリーミング認定された楽曲は下記の通り[571]。
| 曲名 | 認定 |
|---|---|
| 「白い恋人達」 | ゴールド認定(2023年1月) |
| プラチナ認定(2024年9月) | |
| 「波乗りジョニー」 | ゴールド認定(2023年4月) |
| プラチナ認定(2024年11月) | |
| 「明日晴れるかな」 | ゴールド認定(2023年10月) |
| プラチナ認定(2025年10月) | |
| 「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」 | ゴールド認定(2025年4月) |
作品
※桑田佳祐名義で発売された作品のみ記載する。
シングル
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間シングルランキング」の記録に準じる。 太字の「順位」はオリコンによる累計売上枚数がミリオンセラーを示す[385]。 | |||||||
| # | 発売日 | 作品名 | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 | 収録アルバム |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1987年10月6日 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | 7インチシングル | VIHX-1725 | 未公表 | 2位 | Keisuke Kuwata |
| CT | VST-10325 | ||||||
| 1988年2月21日 | 8cmCD | VDRS-1001 | |||||
| 2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35305 | |||||
| 2 | 1988年3月16日 | いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | 7インチシングル | VIHX-1731 | |||
| 8cmCD | VDRS-1010 | ||||||
| CT | VST-10347 | ||||||
| 2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35306 | |||||
| 3 | 1993年10月6日 | 真夜中のダンディー | 8cmCD | VIDL-170 | 1位 | 孤独の太陽 | |
| CT | VISL-280 | ||||||
| 2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35308 | |||||
| 4 | 1994年8月24日 | 月 | 8cmCD | VIDL-201 | 4位 | ||
| CT | VISL-311 | ||||||
| 2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35309 | |||||
| 5 | 1994年10月31日 | 祭りのあと | 8cmCD | VIDL-202 | 2位 | TOP OF THE POPS | |
| CT | VISL-312 | ||||||
| 2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35310 | |||||
| 6 | 2001年7月4日 | 波乗りジョニー | 12インチシングル | VIZL-60 | 51.9万枚[572] | 1位 | |
| 12cmCD | VICL-35300 | ||||||
| 7 | 2001年10月24日 | 白い恋人達 | 12インチシングル | VIJL-60090 | 52.0万枚[573] | ||
| 12cmCD | VICL-35330 | ||||||
| 8 | 2002年6月26日 | 東京 | 12インチシングル | VIJL-60095 | 未公表 | 1位 | ROCK AND ROLL HERO |
| 12cmCD | VICL-35380 | ||||||
| 9 | 2007年5月16日 | 明日晴れるかな | 12インチシングル | VIJL-60600 | 16.8万枚[574] | I LOVE YOU -now & forever- | |
| 12cmCD | VICL-36600 (初回盤) | ||||||
| VICL-36601 (通常盤) | |||||||
| 10 | 2007年8月22日 | 風の詩を聴かせて | 12インチシングル | VIJL-60800 | 9.3万枚[575] | ||
| 12cmCD | VICL-36800 | ||||||
| 11 | 2007年12月5日 | ダーリン | 12インチシングル | VIJL-60900 | 9.4万枚[576] | ||
| 12cmCD | VIZL-371 (初回盤) | ||||||
| VICL-37100 (通常盤) | |||||||
| 12 | 2009年12月9日 | 君にサヨナラを | 12インチシングル | VIJL-62000 | 7.1万枚[577] | MUSICMAN | |
| 12cmCD | VIZL-380(初回盤) | ||||||
| VICL-37200(通常盤) | |||||||
| 13 | 2010年8月25日 | 本当は怖い愛とロマンス | 12インチシングル | VIJL-60500 | 11.0万枚[577] | 2位 | |
| 12cmCD | VIZL-550 (初回盤) | ||||||
| VICL-37300 (通常盤) | |||||||
| 14 | 2011年8月17日 | 明日へのマーチ/ Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜/ ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜 |
12インチシングル | VIJL-61000 | 9.2万枚[578] | I LOVE YOU -now & forever- | |
| 12cmCD | VIZL-570 (初回盤) | ||||||
| VICL-37500 (通常盤) | |||||||
| 15 | 2013年3月13日 | 12インチシングル | VIJL-61200 | 6.9万枚[579] | 3位 | がらくた | |
| 12cmCD | VICL-37400 | ||||||
| 16 | 2016年6月29日 | ヨシ子さん | VICL-37900 (初回盤) | 8.1万枚[580] | 2位 | ||
| VICL-37901 (通常盤) | |||||||
| 2016年7月27日 | 12インチシングル | VIJL-61600 | |||||
| 17 | 2016年11月23日 | 君への手紙 | VIJL-61700 | 7.0万枚[581] | |||
| 12cmCD | VICL-38200 (初回盤) | ||||||
| VICL-38201 (通常盤) | |||||||
| 18 | 2026年6月24日 | 人誑し / ひとたらし | CD+Special Goods | VIZL-3300 (完全盤) | 11.6万枚[567] | 1位[注釈 46] | アルバム未収録 |
| CD | VICL-38700 (通常盤) | ||||||
| 2026年7月8日 | LP | VIJL-61900 | - | - | |||
配信シングル
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング」の記録に準じる。 | |||||
| # | 発売日 | タイトル | 初週売上 | 順位 | 収録アルバム |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2021年7月12日 | SMILE〜晴れ渡る空のように〜 | 2.3万DL[注釈 47] | 2位[注釈 48] | ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し |
| 2 | 2021年8月11日 | 炎の聖歌隊 [ |
1.0万DL[584] | 7位 | |
| 3 | 2021年8月30日 | Soulコブラツイスト〜魂の悶絶 | 1.0万DL[585] | 2位 | |
| 4 | 2026年4月3日 | 人誑し / ひとたらし | 0.6万DL[586] | 4位 | アルバム未収録 |
| 5 | 2026年6月8日 | AKANE On My Mind〜饅頭こわい | 0.3万DL[587] | 5位 | |
オリジナル・アルバム
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間アルバムランキング」の記録に準じる。 | ||||||
| # | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1988年7月9日 | Keisuke Kuwata | LP | VIH-28333 | 未公表 | 1位 |
| CT | VCF-10360 | |||||
| CD | VDR-1520 | |||||
| 1992年6月27日 | VICL-8061 | |||||
| 2001年6月25日 | VICL-60804 | |||||
| 2 | 1994年9月23日 | 孤独の太陽 | CT | VITL-132 | ||
| CD | VICL-555 | |||||
| 2001年6月25日 | VICL-60806 | |||||
| 3 | 2002年9月26日 | ROCK AND ROLL HERO | LP (2枚組) | VIJL-60101〜60102 | 2位 | |
| CD | VICL-60920 | |||||
| 4 | 2011年2月23日 | MUSICMAN | LP (2枚組) + ポスター | VIJL-60700〜60701 (初回盤) | 27.3万枚[565] | 1位 |
| CD+DVD+BOOK | VIZL-560 (初回盤) | |||||
| CD | VICL-63600 (通常盤) | |||||
| 5 | 2017年8月23日 | がらくた | LP (2枚組) | VIJL-61800〜61801 (重量盤 / 完全盤) | 16.8万枚[588] | |
| CD+BD+ブックレット | VIZL-1700 (初回盤A) | |||||
| CD+DVD+ブックレット | VIZL-1701 (初回盤B) | |||||
| CD+ブックレット | VIZL-1702 (初回盤C) | |||||
| CD | VICL-65000 (通常盤) | |||||
ベスト・アルバム
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間アルバムランキング」の記録に準じる。 太字の「順位」はオリコンによる累計売上枚数がミリオンセラーを示す[388]。 | ||||||
| # | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1992年6月27日 | フロム イエスタデイ | CT | VITL-107 | 未公表 | 2位 |
| CD | VICL-300 | |||||
| 2001年6月25日 | VICL-60805 | |||||
| 2 | 2002年11月27日 | TOP OF THE POPS | CD (2枚組) | VICL-61006〜61007 | 96.1万枚[589] | 1位 |
| 3 | 2012年7月18日 | I LOVE YOU -now & forever- | CD (3枚組) | VIZL-640 (初回盤) | 43.2万枚[589] | 1位 |
| CD (2枚組) | VICL-64000〜64001 (通常盤) | |||||
| 4 | 2022年11月23日 | いつも何処かで | CD (2枚組) + TシャツSサイズ | VIZL-2600 (完全盤A) | 15.4万枚[590] | 1位 |
| CD (2枚組) + TシャツMサイズ | VIZL-2601 (完全盤B) | |||||
| CD (2枚組) + TシャツLサイズ | VIZL-2602 (完全盤C) | |||||
| CD (2枚組) + TシャツXLサイズ | VIZL-2603 (完全盤D) | |||||
| CD (2枚組) | VICL-67200〜67201 (通常盤) | |||||
| 2023年5月3日 | LP (4枚組) | VIJL-62200〜62203 | - | - | ||
ミニ・アルバム
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間アルバムランキング」の記録に準じる。 | ||||||
| # | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2021年9月15日 | ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し | CD+BD | VIZL-2400 (完全盤A) | 9.7万枚[18] | 1位 |
| CD+DVD | VIZL-2401 (完全盤B) | |||||
| CD | VICL-67100 (通常盤) | |||||
| LP | VIJL-62100 (重量盤) | |||||
ライブ・アルバム
| 「順位」は「オリコン週間アルバムランキング」の記録に準じる。 | ||||||
| 名義 | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 嘉門雄三 | 1982年3月2日 | 嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE! | LP | VIX-1001 | 不明 | 8位 |
映像作品
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間DVDランキング」「オリコン週間Blu-rayランキング」の記録に準じる。 | ||||||
| 作品分類 | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ライブ・ビデオ | 1991年10月2日 | Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26 | VHS | VIVL-49 | 未公表 | 未公表 |
| LD | VILL-43 | |||||
| 2001年12月5日 | DVD | VIBL-44 | ||||
| 1994年12月21日 | すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR '94- | VHS | VIVL-140 (初回盤) | |||
| VIVL-141 (通常盤) | ||||||
| LD | VILL-99 (初回盤) | |||||
| VILL-100 (通常盤) | ||||||
| 2001年12月5日 | DVD | VIBL-45 | ||||
| 1997年3月5日 | VHS | VIVL-200 | ||||
| DVD | VIBL-6 | |||||
| 2001年12月5日 | VIBL-46 | |||||
| ミュージック・ビデオ | 2002年12月11日 | D.V.D. WONDER WEAR 桑田佳祐ビデオクリップス2001〜2002 | VHS | VIVL-270 | ||
| DVD | VIBL-67 | |||||
| ライブ・ビデオ | 2003年3月26日 | けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。 | VHS | VIVL-286 | ||
| DVD | VIBL-109 | |||||
| ライブ・ビデオ+CD | 2008年3月12日 | 桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜 | DVD+CD | VIZL-500 (初回盤) | 1位 | |
| VIZL-501 (通常盤) | ||||||
| ライブ・ビデオ | 2009年3月25日 | 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦 | DVD (2枚組) | VIBL-700〜701 | 2位 | |
| BD | VIXL-200 | 4位 | ||||
| 2011年11月16日 | 宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜 | DVD | VIBL-800 (通常盤) | 3.8万枚[591] | 3位 | |
| VIBL-580 (初回盤) | ||||||
| 2011年11月23日 | BD | VIXL-300 | 未公表 | 20位 | ||
| 2013年3月13日 | 桑田佳祐 LIVE TOUR & DOCUMENT FILM 「I LOVE YOU -now & forever-」完全盤 |
DVD | VIBL-900〜901 (通常盤) | 3位 | ||
| VIZL-900 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-400〜401 (通常盤) | 2位 | ||||
| VIZL-901 (初回盤) | ||||||
| 2014年3月12日 | 昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦 | DVD (2枚組) | VIBL-1200〜1201 | 2.0万枚[568] | 1位 | |
| BD | VIXL-600 | 1.9万枚[568] | ||||
| イメージビデオ | 2016年11月30日 | THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜 | DVD | VIBL-1000 (通常盤) | 未公表 | 4位 |
| VIZL-1501 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-800 (通常盤) | 5位 | ||||
| VIZL-1500 (初回盤) | ||||||
| ミュージック・ビデオ | 2018年1月3日 | MVP | DVD | VIBL-1402〜1403 (通常盤) | 3.4万枚[569] | 1位 |
| VIBL-1400〜1401 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-901 (通常盤) | 4.1万枚[569] | ||||
| VIXL-900 (初回盤) | ||||||
| ライブ・ビデオ | 2018年4月4日 | がらくたライブ | DVD | VIBL-1500〜1501 (通常盤) | 1.3万枚[592] | 2位 |
| VIZL-1901 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-1000 (通常盤) | 1.9万枚[592] | ||||
| VIZL-1900 (初回盤) | ||||||
| 2019年6月5日 | Act Against AIDS 2018 平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦 | DVD | VIBL-1600〜1601 (通常盤) | 1.5万枚[593] | 1位 | |
| VIZL-2101 (初回盤) | ||||||
| BD | VIZL-2100 (通常盤) | 2.2万枚[593] | ||||
| VIXL-1100 (初回盤) | ||||||
| 2022年4月6日 | LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH, NO GUTS!!」 | DVD | VIBL-1900〜1901 (通常盤) | 1.5万枚[594] | ||
| VIZL-2501 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-1500 (通常盤) | 2.9万枚[594] | ||||
| VIZL-2500 (初回盤) | ||||||
| 2023年5月3日 | お互い元気に頑張りましょう!! -Live at TOKYO DOME- | DVD | VIBL-2000〜2001 (通常盤) | 1.7万枚[570] | ||
| VIZL-2701 (初回盤) | ||||||
| BD | VIXL-1600 (通常盤) | 3.1万枚[570] | ||||
| VIZL-2700 (初回盤) | ||||||
監督映画
参加作品
シングル(参加)
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間シングルランキング」「オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング」の記録に準じる。 | |||||||
| アーティスト名 | 発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| チーム・アミューズ!! | 2011年5月25日 | Let's try again | CD | ASCM-6092(アミューズソフトエンタテインメント) | 19.0万枚[595] | 2位 | |
| 桑田佳祐&His Friends | 2012年7月18日[注釈 49] | Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない) | - | - | - | - | |
| 竹内まりや | 2014年7月23日 | 静かな |
CD | WPCL-11929(MOON ⁄ WARNER MUSIC JAPAN) | 未公表 | 10位 | コーラス |
| 坂本冬美 | 2020年11月11日 | ブッダのように私は死んだ | EP | UPKY-9023(Universal Music Japan) | - | - | アコースティック・ギター & エレクトリック・ギター & カウベル & バッキング・ボーカル |
| CT | UPSY-5093(Universal Music Japan) | ||||||
| CD | UPCY-5093(Universal Music Japan) | 5.0万枚[596] | 12位 | ||||
| CD+BD | UPCY-9935(Universal Music Japan) | ||||||
| 配信 | - | 不明 | 不明 | ||||
| 桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎 | 2022年5月23日 | 時代遅れのRock'n'Roll Band | - | 2.1万DL[597] | 1位 | ||
| 桑田佳祐&松任谷由実 | 2023年11月27日 | Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023 | - | 1.7万DL[598][599] | 1位 | 上述、「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」のリメイク版。 | |
| 2023年12月20日 | CD | VICL-38800 | 2.4万枚[600] | 3位 | |||
| 2024年2月14日 | EP | VIKL-30120 | - | - | |||
| 田内洵也 | 2025年11月19日 | 深川のアッコちゃん | CD[注釈 50] | NCS-10324(深川レコーズ) | 0.1万枚[601] | 28位 | エレクトリック・ギター & タンバリン & バッキング・ボーカル[注釈 51] |
| 配信 | - | 不明 | 不明 | ||||
アルバム(参加)
| 「初週売上」「順位」は「オリコン週間アルバムランキング」「オリコン週間デジタルアルバムランキング」の記録に準じる。 | ||||||||
| アーティスト名 | 発売日 | タイトル | 楽曲 | 形態 | 規格品番 | 初週売上 | 順位 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 山下達郎 | 1988年10月19日 | 僕の中の少年 | CD | 38XG-3(MOON RECORDS) | 未公表 | 1位 | コーラス | |
| 山下久美子 | 2000年6月25日 | THE HEARTS | バスルームから愛をこめて | TOCT-24361(東芝EMI) | 未公表 | 29位 | ||
| 斎藤誠 | 2022年1月26日 | BIG LOVE | 涙のMidnight Soul | CD+DVD+Tシャツ | XNSC-30009/B(Avex Management) | 不明 | 75位 | |
| CD+DVD | XNSC-30010/B(Avex Management) | |||||||
| CD | XNSC-30011(Avex Management) | |||||||
| 松任谷由実 | 2023年12月20日 | ユーミン乾杯!! | Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023 | CD+BD | UPCH-29465(EMI Records) | 5.7万枚[602] | 2位 | デュエット |
| CD+DVD | UPCH-29466(EMI Records) | |||||||
| CD | UPCH-20663(EMI Records) | |||||||
| 配信 | - | 0.1万DL[603] | 3位 | |||||
著書
- 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(エッセイつき歌詞集、1984年、新潮社)ISBN 4101353018
- 『ケースケランド』(1984年、集英社)ISBN 4087800792
- 『ロックの子』(1985年、講談社)ISBN 4062017172
- 『ONGAKU BAKADAISHO NO BOKEN』(1987年、扶桑社)ISBN 4893531255
- 『ブルーノート・スケール』(1987年、ロッキング・オン)ISBN 4947599138
- 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん'84-'90』(上述の同名作品の続編、1990年、新潮社)ISBN 4101353026
- 『桑田佳祐の「平成NG日記」』(映画「稲村ジェーン」の撮影日誌、1990年、講談社)ISBN 4061723375
- 『素敵な夢を叶えましょう』(1999年、角川書店)ISBN 4048836021
- 『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 桑田佳祐 言の葉大全集』(上述の同名作品の続々編、2012年、新潮社)ISBN 9784103328315
- 『ポップス歌手の耐えられない軽さ』(上述の『週刊文春』の連載に加筆修正を施したもの、2021年、文藝春秋[604])ISBN 4163914498
提供作品
プロデュース作品
楽曲提供
※本項では楽曲提供のみ記載する。他の歌手がサザンオールスターズ・桑田の楽曲をカバーして発売した作品は省略する。
| 歌手 | 楽曲 | 担当 | 発売年 |
|---|---|---|---|
| 中村雅俊 | マーマレードの朝 | 作詞・作曲 | 1980 |
| 恋人も濡れる街角 | 1982 | ||
| ナカムラ・エレキ・音頭 | |||
| スペクトラム | MOTION | 作詞 | 1980 |
| Lord,Lord,Lawdy Miss Clawdy Group | すてきなトランスポーテイション | 作詞・作曲 | |
| Spin Love | 作詞 | ||
| シュールなるなぎさ1963 | 作曲 | ||
| タモリ | 狂い咲きフライデイ・ナイト | 作詞・作曲 | 1981 |
| スタンダード・ウイスキーボンボン | |||
| 高樹澪 | 恋の女のストーリー | ||
| MIO-SUN | |||
| 原由子 | I Love Youはひとりごと | ||
| My Baby Shines On Me | |||
| がんばれアミューズ | 作詞・作曲[注釈 52] | ||
| いにしえのトランペッター | |||
| Last Single X'mas | |||
| 恋は、ご多忙申し上げます | 作詞・作曲 | 1983 | |
| Rimbaud (ランボオ) | |||
| 横浜 Lady Blues | |||
| 新・野毛山模様 | 作詞・作曲[注釈 53] | ||
| 女優 | 作詞・作曲[注釈 54] | ||
| いちょう並木のセレナーデ | 作詞・作曲 | ||
| ヨコハマ・モガ | |||
| ガール(GIRL) | 作詞・作曲[注釈 55] | 1988 | |
| ためいきのベルが鳴るとき | 作詞・作曲 | 1989 | |
| ハートせつなく | 1991 | ||
| じんじん | |||
| 使い古された諺を信じて | 作詞 | ||
| 東京ラブコール | 作詞・作曲 | ||
| 花咲く旅路 | |||
| イロイロのパー | |||
| 想い出のリボン | |||
| 涙の天使に微笑みを | 1997 | ||
| 夢をアリガトウ | 2009 | ||
| 京都物語 | 2010 | ||
| オモタイキズナ | 作詞・作曲[注釈 56] | 2022 | |
| 旅情 | |||
| スローハンドに抱かれて (Oh Love!!) | 作詞 | ||
| 夜の訪問者 | 作詞・作曲 | ||
| ヤバいね愛てえ奴は | |||
| 鎌倉 On The Beach | 作詞[注釈 55] | ||
| 初恋のメロディ | 作詞[注釈 57] | ||
| 小林克也&ザ・ナンバーワンバンド | 六本木のベンちゃん | 作詞・作曲[注釈 58] | 1982 |
| ブルースだ〜れ! | 作曲[注釈 59] | ||
| My Peggy Sue | 作詞・作曲[注釈 58] | ||
| 茅ヶ崎は今日も黄色い | 作詞・作曲 | 1983 | |
| プロレスを10倍楽しく見る方法 〜今でも豊登を愛しています | |||
| 上田正樹 | Miss You Baby | ||
| 松田弘 | 蒼いパリッシュ | ||
| アミダばばあ&タケちゃんマン | アミダばばあの唄 | ||
| ジューシィ・フルーツ | 萎えて女も意志をもて | 1984 | |
| 海[注釈 60] | |||
| 明石家さんま | さんまのまんま | 作曲 | 1987 |
| 古舘伊知郎 | 夢見る頃を過ぎても | 作詞・作曲 | 1988 |
| 早川義夫 | アメンボの歌 | 1997 | |
| 香取慎吾&原由子 | みんないい子 | ||
| 坂本冬美 | ブッダのように私は死んだ | 2020 | |
| 斎藤誠 | 涙のMidnight Soul | 作詞 | 2022 |
メインボーカル(デュエット含む)
ライブ・コンサートツアー
| 年 | タイトル | 公演規模・会場 |
|---|---|---|
| 1981年 | 嘉門雄三 & Victor Wheels |
全2公演 12月11日 Egg-man |
| 1991年 | Acoustic Revolution |
全3公演 3月24日 日清パワーステーション |
| 1994年 | 桑田佳祐 LIVE TOUR '94 -さのさのさ- |
全35公演 9月29日 静岡市民文化会館 |
| 帰ってきた青山のダンディー | 10月28日 青山学院大学 | |
| 1995年 | IBM PC & OS/2 Warp PRESENTS LIVE UFO '95 桑田佳祐 & Mr.Children "Acoustic Revolution with Orchestra" 奇跡の地球 |
全12公演 4月18日 名古屋市総合体育館 レインボーホール |
| 1996年 | Act Against AIDS '96 |
全3公演 12月1日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 1997年 | Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場 |
全3公演 11月29日 ワールド記念ホール |
| 1998年 | Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 1999年 | Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演 |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2000年 | 伊豆だらけのローラ |
全5公演 1月29日 Zepp Sapporo |
| Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール | |
| 2001年 | 古賀紅太 No Reason! ライブハウスツアー |
全7公演 7月5日 岐阜モダンカフェクラブ |
| Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール | |
| No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌 |
全3公演 12月22日 北海道立産業共進会場 | |
| 2002年 | No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐全国ドームツアー2002 「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」 |
|
| 追加公演!! No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐年越しライブ2002 「けいすけさん、年末も色々と大変ねぇ。」 |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ | |
| 2003年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL |
全3公演 12月2日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2004年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2004 「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK 〜愛と青春の英国ロック〜」 |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2006年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2006 「星条旗よ永遠なれ!? 〜私のアメリカン・ヒーローズ」 |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2007年 | WONDA presents 桑田佳祐 LIVE TOUR 2007 呼び捨てでも構いません!! 「よっ、桑田佳祐」SHOW supported by ショコライフ |
全14公演 11月21日 マリンメッセ福岡 |
| 2008年 | Meet the Music 2008! 全国民放FM53局 & KDDI present 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島 |
3月23日 石垣市民会館 |
| 桑田佳祐 Act Against AIDS 2008 「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」 |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール | |
| 2009年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2009 「映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー 監督・脚本・主演 『男はしたいよ』」 |
全3公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2010年 | 桑田佳祐 LIVE TOUR 2010 全国への階段 〜Stairway to Nippon〜 |
全19公演 10月28日 愛媛県武道館 |
| 2011年 | 桑田佳祐 宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜 |
全2公演 9月10日 セキスイハイムスーパーアリーナ |
| マウントレーニアダブル presents 桑田佳祐 ライブ in 神戸&横浜 2011 〜年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会〜 |
全4公演 12月24日 ワールド記念ホール | |
| 2012年 | NTT docomo presents 桑田佳祐 LIVE TOUR 2012 I LOVE YOU -now & forever- |
全22公演 9月15日 セキスイハイムスーパーアリーナ |
| 2013年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2013 「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」 |
全4公演 11月30日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2016年 | 桑田佳祐 年越しライブ2016「ヨシ子さんへの手紙 〜悪戯な年の瀬〜」 Supported by UCC |
全4公演 12月27日 横浜アリーナ |
| 2017年 | この夏、大人の夜遊び in 日本で一番垢抜けた場所!! supported by ニッポンハム / Billboard Live 10th Anniversary |
全2公演 7月10日 Billboard Live Tokyo |
| WOWOW presents 桑田佳祐 LIVE TOUR 2017「がらくた」 supported by JTB |
全18公演 10月17日 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター | |
| 2018年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2018 「平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦」 |
全3公演 11月29日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
| 2021年 | 桑田佳祐「静かな春の戯れ 〜Live in Blue Note Tokyo〜」 | 3月7日 ブルーノート東京(配信ライブ) |
| 桑田佳祐 LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」 Supported by SOMPOグループ |
全20公演 9月18日 宮城セキスイハイムスーパーアリーナ | |
| 2022年 | 桑田佳祐 LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」 Supported by SOMPOグループ オンライン特別追加公演 |
全4公演(配信ライブ) 1月3日 さいたまスーパーアリーナ |
| 桑田佳祐 LIVE TOUR 2022「お互い元気に頑張りましょう!!」Supported by SOMPOグループ |
全10公演 11月2日 宮城セキスイハイムスーパーアリーナ | |
| 桑田佳祐 LIVE TOUR 2022「年末も、お互い元気に頑張りましょう!!」Supported by SOMPOグループ |
全3公演 12月28日 横浜アリーナ | |
| 2023年 | 桑田佳祐 LIVE TOUR 2022「お互い元気に頑張りましょう!!」Live & Documentary Film On Streaming Supported by SOMPOグループ |
全4公演(配信ライブ) 2月12日 横浜アリーナ |
| 2024年 | 桑田佳祐「JAZZと歌謡曲とシャンソンの夕べ〜R60」 |
全4公演 3月29日 ブルーノート東京 |
| 2026年 | 桑田佳祐 夏祭りツアー 2026 supported by カンロ |
全22公演 7月8日 石川県産業展示館4号館 |
| 桑田佳祐 夏祭りツアー 2026 supported by カンロ |
全7公演 12月16日 クロコくんホール(日本ガイシホール) |
その他イベント
| 年 | タイトル | 公演日・会場 |
|---|---|---|
| 2025年 | 茅ヶ崎FM開局2周年記念!! 「桑田佳祐の″ただいま″夜遊び」 in 茅ヶ崎 supported by TOKYO FM | 10月5日 茅ヶ崎市民文化会館 大ホール |
| TOKYO FM 開局55周年 × 「桑田佳祐のやさしい夜遊び」 放送30周年 九段下フォーク・フェスティバル'25 |
10月12日 日本武道館
|
出演
※太字は、現在放送中の番組である。
ラジオ番組
| 放送年 | 番組名 | 放送局 |
|---|---|---|
| 1979年 - 1980年 | 桑田佳祐のオールナイトニッポン | ニッポン放送 |
| 1984年 - 1985年 | ||
| 1981年1月 - 9月 | 桑田クンと関口クン[注釈 61] | |
| 1979年9月 - ? | 桑田佳祐の桑田だセーラーマン | 文化放送 |
| 1980年10月 - 1981年3月 | 桑田佳祐のゼロックス・ポッピン・ポップス | ニッポン放送 |
| 1981年 - 1982年 | サタデーアドベンチャー | FM東京 (現: TOKYO FM) / JFN38局 |
| 1981年10月 - 1982年3月 | 桑田佳祐と○○○○のなんでもスルー・ザ・ナイト | ニッポン放送 |
| 1981年10月 - 1982年3月 | MBSミュージックマガジン | MBSラジオ |
| 1982年4月 - 1983年9月 | 桑田佳祐のミスターポップス! | ニッポン放送 |
| 1990年 - 1993年 | ミュージック・スクエア | NHK-FM |
| 1995年 - 現在 | 桑田佳祐のやさしい夜遊び | TOKYO FM / JFN38局 / 茅ヶ崎FM |
| 2020年3月20日 - 22日 | WE LOVE RADIO, WE LOVE MUSIC 桑田佳祐のお |
全国民放ラジオ101局 |
| 2022年11月3日 | FM FESTIVAL 2022 ~原 由子のGood Times Radio~ときどき(!?) 何処かで桑田佳祐 supported by Spotify[609] | TOKYO FM / JFN38局 |
| 2023年11月3日 | FM FESTIVAL 2023 サザンオールスターズ デビュー45周年! 「サザンとわたし」 スペシャル[610] | |
| 2025年11月3日 | FM FESTIVAL 2025 桑田佳祐スペシャル企画!! 九段下フォーク・フェスティバル′25[611] |
テレビ番組
レギュラー番組 / 特別番組
| 放送年 | 番組名 | 放送局 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1986年12月24日 | Merry X'mas Show 〜メリー・クリスマス・ショー〜 |
日本テレビ | - |
| 1987年12月24日 | |||
| 2000年10月6日 - 2001年3月30日 2001年10月5日 - 26日 |
桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜 |
フジテレビ | レギュラー放送 |
| 2003年6月29日 | 『FNS27時間テレビ みんなのうた』内で放送の特別番組 | ||
| 2006年8月21日 | 特別番組 | ||
| 2009年4月20日 - 9月21日 | レギュラー放送 | ||
| 2009年12月22日 | 特別番組 | ||
| 2012年7月11日 | |||
| 2016年8月26日 | 桑田佳祐「偉大なる歌謡曲に感謝 〜東京の唄〜」[612] | - | |
| 2019年1月3日 | 桑田佳祐のレッツゴーボウリング 日米オールスター頂上決戦![613] | テレビ東京 | |
| 2019年3月20日 | 桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」 〜昭和・平成、そして新たな時代へ〜[614] |
NHK |
カメオ出演
NHK紅白歌合戦出場歴
- 他に、第71回(2020年)にVTRで出演[619]。
- サザンオールスターズとしては5回出場し、計8回出場。
映画
| 年 | 作品名 | 役 | 備考など |
|---|---|---|---|
| 1995年 | 【es】 Mr.Children in FILM | 本人 | Mr.Childrenのドキュメント映画。 |
| 2017年 | 茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜 | 桑田の学生時代を映画化した作品。 | |
| 2019年 | 男はつらいよ お帰り 寅さん | オープニングに出演[620]。 |
吹き替え
| 年 | 作品名 | 役 | 放送局 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1980年10月24日 | アメリカン・グラフィティ | ウルフマン・ジャック | フジテレビ | 『ゴールデン洋画劇場』で放送。 |
CM
※すべて桑田佳祐個人での出演によるもの。
| 出演年 | 企業名 | プロモーション商品など | テーマ |
|---|---|---|---|
| 1981年 | アンネット | アンネシャンテS | N/A |
| 1982年 | 雪印乳業 | スライスチーズ | |
| 1986年 | TDK | カセットテープSF46・AD46 | |
| 1989年 | 富士フイルム | フジカラー[621] | |
| 1989年 - 1991年 | 日本生命保険 | ロングラン | |
| 1991年 - 1992年 | キヤノン | ビデオi[622] | |
| 1993年 - 1995年 | キリンビバレッジ | JIVE | |
| 1994年 | 角川書店 | 角川文庫 | |
| 1996年 | 麒麟麦酒 | キリン・ラガー | |
| 1998年 | 三菱電機 | デジタル・ムーバ D207 | |
| 2000年 | WOWOW | N/A | サマーキャンペーン |
| 2016年 - 2017年 | N/A | ||
| 2001年 - 2002年 | 日本コカ・コーラ | コカ・コーラ | No Reason! キャンペーン |
| 2003年 - 2004年 | 日本航空 | N/A | FLY! JAL! キャンペーン |
| 2004年 - 2005年 | トヨタ自動車 | MORE THAN BEST キャンペーン | |
| 2006年 - 2007年 | 明治製菓 | ショコライフ | N/A |
| 2007年 | アメリカン・エキスプレス | N/A | MORE THAN JUST A CARD キャンペーン |
| ダンディハウス | ニッポン ダンディ? キャンペーン | ||
| アサヒ飲料 | WONDA | モーニングショット アフターショット 圧力仕立て ブラック | |
| 2008年 | 金の微糖 | ||
| 2009年 - 2010年 | 大塚製薬 | UL・OS(ウル・オス) | N/A |
| 2011年 - 2012年 | NTTドコモ | N/A | walk with you 2011 SUMMER キャンペーン |
| 2011年 | 森永乳業 | マウントレーニア ダブル | N/A |
| 2013年 - 2014年 | サッポロビール | サッポロ プレミアムアルコールフリー | |
| 2014年 | 三井住友銀行 | N/A | Lady, Fight! |
| 2016年 - 2017年 | JTB | JTBの春旅・JTBの夏旅 | |
| 2016年 | UCC上島珈琲 | UCC BLACK無糖 | N/A |
| 2020年 - 2022年 | SOMPOホールディングス | N/A | |
| 2021年 - 2023年 | ユニクロ | Life Wear | ふだん着の日が、人生になる。[623] |
| 2026年 | カンロ | N/A | Sweetな未来へ!![624] |
タイアップ楽曲
※桑田佳祐名義で発表された曲のタイアップを記載している。
| 楽曲 | タイアップ |
|---|---|
| SHE'S A BIG TEASER | コカ・コーラ「I feel Coke & Sound Special」CMソング |
| いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | JAL '88沖縄キャンペーン CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[625] | |
| 遠い街角 (The wanderin' street) | 富士フイルム「フジカラー」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[626] | |
| Blue 〜こんな夜には踊れない | 松竹富士映画『ラッフルズホテル』主題歌 |
| 真夜中のダンディー | キリンビバレッジ「JIVE」CMソング |
| すべての歌に懺悔しな!! | |
| 祭りのあと | 日本テレビ系ドラマ『静かなるドン』主題歌 |
| キリンビバレッジ「JIVE」CMソング | |
| MUSIC TIGER | フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』オープニングテーマ |
| 波乗りジョニー | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[627] | |
| 白い恋人達 | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[628] | |
| 夏の日の少年 | Town&Country CMソング |
| 可愛いミーナ | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[629] | |
| ROCK AND ROLL HERO | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[630] | |
| 影法師 | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
| こんな僕で良かったら | アメリカン・エキスプレス「MORE THAN JUST A CARD」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear/26SS UVカット 雨じゃない日も篇」CMソング[631] | |
| こんな僕で良かったら (Trumpet & Jazz Piano Trio:CM Version) | アメリカン・エキスプレス「MORE THAN JUST A CARD」CMソング |
| 明日晴れるかな | フジテレビ系ドラマ『プロポーズ大作戦』主題歌 |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[632] | |
| 男達の |
ダンディハウス「ニッポン ダンディ?」CMソング |
| 風の詩を聴かせて | 東宝系映画『Life 天国で君に逢えたら』主題歌 |
| KDDI・沖縄セルラー電話「au LISTEN MOBILE SERVICE」キャンペーンCMソング | |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[633][634] | |
| NUMBER WONDA GIRL 〜恋するワンダ〜 | アサヒ飲料「WONDA」CMソング |
| ダーリン | アサヒ飲料「WONDA」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[635] | |
| DEAR MY FRIEND | アサヒ飲料「WONDA」CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[636] | |
| 現代東京奇譚 | ゴー・シネマ映画『闇の子供たち』主題歌 |
| HONKY JILL 〜 |
フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』オープニングテーマ |
| 君にサヨナラを | 大塚製薬「UL・OS」(ウル・オス)CMソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[637] | |
| EARLY IN THE MORNING | フジテレビ系『めざましテレビ』2010年度テーマソング |
| 大塚製薬「UL・OS」(ウル・オス)CMソング | |
| 三井住友フィナンシャルグループ CMソング | |
| 松竹映画『護られなかった者たちへ』主題歌[638] | |
| 銀河の星屑 | フジテレビ系ドラマ『CONTROL〜犯罪心理捜査〜』主題歌 |
| 明日へのマーチ | NTT docomo「walk with you 2011」キャンペーンソング |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[639] | |
| カンロ「あなたへとどく、ひとつぶを。はじまる 篇」企業CMソング[640] | |
| CAFÉ BLEU | 森永乳業「マウントレーニア ダブル」CMソング |
| 幸せのラストダンス | 三井住友銀行 CMソング |
| 100万年の幸せ!! | フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』エンディングテーマ |
| 愛しい人へ捧ぐ歌 | NTT docomo「ドコモthanksキャンペーン」CMソング |
| NTT docomo 20周年記念スペシャルドラマ 夢の扉 特別編『20年後の君へ』テーマソング | |
| MASARU | フジテレビ主催イベント『お台場合衆国!2012〜ここから始まるNIPPON応援団!〜』テーマソング |
| 涙をぶっとばせ!! | NTT docomo「ドコモ2012冬」キャンペーンソング |
| フジテレビ系ドラマ『最高の離婚』主題歌 | |
| フジテレビ系土曜プレミアム『最高の離婚Special 2014』主題歌 | |
| おいしい秘密 | サッポロ「プレミアム アルコールフリー」CMソング |
| 愛のプレリュード | JTB TVCMソング |
| 大河の一滴 | UCC BLACK無糖 TVCMソング |
| 百万本の赤い薔薇 | フジテレビ系情報番組『ユアタイム』テーマソング |
| ヨシ子さん | WOWOW 開局25周年CMソング[641] |
| 君への手紙 | ショウゲート映画『金メダル男』主題歌[642] |
| WOWOW 25周年記念CMソング[643] | |
| 若い広場 | NHK連続テレビ小説『ひよっこ』主題歌[644] |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[625] | |
| オアシスと果樹園 | JTB「オアフ島」篇「ハワイ島」篇CMソング[645] |
| 愛のささくれ〜Nobody loves me | WOWOW CMソング[646] |
| MY LITTLE HOMETOWN | ライブ・ビューイング・ジャパン映画『茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜』主題歌[647] |
| SMILE〜晴れ渡る空のように〜 | 民放共同企画「一緒にやろう」応援ソング[648] |
| ユニクロ「Life Wear」CMソング[649] | |
| 悲しきプロボウラー | SOMPOグループ CMソング[650] |
| 金目鯛の煮つけ | SOMPOグループ CMソング[651] |
| 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | ユニクロ「Life Wear」CMソング[652][653][654] |
| ほととぎす[杜鵑草] | |
| 炎の聖歌隊 [ |
SUBARU「フォレスター」CMソング[16] |
| Soulコブラツイスト〜魂の悶絶 | ユニクロ「Life Wear」CMソング[655] |
| Netflix映画『浅草キッド』主題歌[656] | |
| JOURNEY | ユニクロ「Life Wear」CMソング[657] |
| 平和の街 | SOMPOグループ CMソング[658] |
| 誰かの風の跡 | ユニクロ「Life Wear」CMソング[659][660][661][662][663] |
| 鏡 | |
| なぎさホテル | |
| それ行けベイビー!! | |
| 春まだ遠く | |
| 暮れゆく街のふたり (口笛バージョン) | 松竹映画『盤上の向日葵』劇中歌[664] |
| 人誑し / ひとたらし | テレビ朝日系TVアニメ『あかね噺』オープニング主題歌[289] |
| AKANE On My Mind〜饅頭こわい | テレビ朝日系TVアニメ『あかね噺』エンディング主題歌[290] |
| みたらし慕情 / 演歌編 | カンロ「Sweetな未来へ!!」企業CMソング[624] |
| 飴とミラーボール / ディスコ・ヴァージョン | |
| 飴ちゃんマン / ロック編 | |
| 聖なるカンロ飴 / ドゥーワップ・ヴァージョン |
演じた人物
関連書籍
- 『別冊カドカワ総力特集桑田佳祐』(2002年、角川書店)ISBN 4047213896
- 『クワタを聴け!』(中山康樹著、2007年、集英社新書)ISBN 4087203808
- 『別冊カドカワ総力特集桑田佳祐』(2011年、角川書店)ISBN 4048954199
- 『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』(宮治淳一著、2017年10月16日、ポプラ社)ISBN 978-4-591-15637-7※帯コメントを寄稿[667]
- 『桑田佳祐論』(スージー鈴木著、2022年、新潮新書)ISBN 4106109549
- 『メディアとしてのロックン・ロール 渋谷陽一評論集 1972-1996』(渋谷陽一著、2026年6月9日、ロッキング・オン)ISBN 978-4-86052-141-7 ※帯コメントを寄稿[668]
- 『メディアとしてのロックン・ロール 渋谷陽一評論集 1997-2025』(渋谷陽一著、2026年6月9日、ロッキング・オン)ISBN 978-4-86052-142-4 ※帯コメントを寄稿[668]