湯田川温泉

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座標 北緯38度41分37秒 東経139度46分11秒 / 北緯38.6936度 東経139.7697度 / 38.6936; 139.7697座標: 北緯38度41分37秒 東経139度46分11秒 / 北緯38.6936度 東経139.7697度 / 38.6936; 139.7697
交通 羽越本線鶴岡駅より路線バスで約25分
湯田川温泉
共同浴場「正面湯」
湯田川温泉の位置(南東北内)
湯田川温泉
南東北における位置
温泉情報
所在地 山形県鶴岡市
座標 北緯38度41分37秒 東経139度46分11秒 / 北緯38.6936度 東経139.7697度 / 38.6936; 139.7697座標: 北緯38度41分37秒 東経139度46分11秒 / 北緯38.6936度 東経139.7697度 / 38.6936; 139.7697
交通 羽越本線鶴岡駅より路線バスで約25分
泉質 硫酸塩泉[1]
泉温(摂氏 42.2[1]
湧出量 900[1]
pH 8.6[1]
宿泊施設数 7[2]
年間浴客数 114,344人(うち宿泊者24,070人)[2]
統計年 2024[2]
外部リンク 湯田川温泉観光協会
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湯田川温泉(ゆたがわおんせん)は、山形県鶴岡市(旧国出羽国明治以降は羽前国)にある温泉。鶴岡の奥座敷とも呼ばれる[3]庄内平野の南西に起伏する丘陵の間にあり、三方を山に囲まれた静かな保養温泉で、付近に由豆佐売神社、長福寺、日本海を遠望する金峯山などがあり、冬はスキーもできる。

共同浴場「正面の湯」隣接地で1936年(昭和11年)より集中管理されている1箇所の源泉が使用されている[1]。無味無臭の無色透明な湯である[4]

温泉街

街道の両側に木造瓦屋根の旅館が並び、湯野浜温泉などと比べて落ち着いた雰囲気といわれる[5]

共同浴場は2軒存在する。うち一軒は、地元商店で料金を払った後に、商店の人に共同浴場の鍵の開錠を行ってもらわないと入浴できないようになっている。殊に「正面の湯」は新湯の加入率は、全国的にも屈指の高さを有し、「源泉掛け流し」の醍醐味を体験できる施設である。

4月下旬から5月下旬にかけてとれる孟宗が名産で、同時期には各旅館で孟宗料理が提供されるほか、朝掘りのものを販売する朝市や収穫体験も開催される[6]。孟宗竹に地酒を注ぐ「かっぽ酒」も湯田川温泉の名物である[6]

温泉街西側の裏山は式内社由豆佐売神社の境内地となっており、「乳銀杏」をはじめ巨木が多数存在する[7]。近隣には湯田川温泉リハビリテーション病院がある[1]

1848年(嘉永元年)に大井多右エ門が生み出して以来、温泉を用いた種籾発芽が行われている[7]

歴史

712年(和銅5年)に、温泉で傷を癒している白鷺を見て発見したとされる[7]。旅館の名前にも「鷺見屋」、「白鷺軒」等があったのはその所以でもある[7]。白鷺にまつわる伝説がある温泉地は他にも下呂温泉道後温泉下田温泉などがある。

庄内藩政時代は藩主の湯治場であった。また、当時の全国名湯番付でも「庄内・田川の湯」として「東の前頭筆頭」に位置づけられている。また、出羽三山参りの講の参拝者の「精進落とし」の温泉場として栄えた経緯もある。

古川古松軒斎藤茂吉横光利一種田山頭火竹久夢二といった文人も数多く訪れ、柳田國男の『豆の葉と太陽』にも湯田川が登場する[7]。また鶴岡市出身の藤沢周平が教師をしていた最初で最後の赴任地であり、その教え子も地元に多く健在であり同氏との関わりも深く、由豆佐賣神社前には同氏の「温籍に捧ぐ」という記念碑が設置されている。

藩政時代から大正期にかけては7月に馬市がひらかれていた[7]。また、温泉街には遊郭があった[7]

1912年(明治45年)には源泉掘削を試みる者が相次ぎ、浅い箇所で30箇所以上も乱掘されて従来の共同浴場の源泉に影響が出たため、同年に県知事により取締規則が発布された[8]。しかし共同浴場の源泉は回復しなかったため、1936年(昭和11年)に村事業によって正面の湯地内の掘削が行われ、地下10〜30 mほどのところから大量に噴出した[8]。これによって源泉は正面の湯1箇所となり、現在に至る[8]

1991年(平成3年)11月には湯田川温泉街々並憲章が制定された[1]

平成13年11月13日、環境省より国民保養温泉地に指定。

2012年ごろには、バスのりばを会場とした「朝ミュージアム」が月1回開催された[9]

行事・イベント

アクセス

出典

関連項目

外部リンク

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