瀬戸ヶ谷古墳
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位置
北緯35度26分32.4秒 東経139度35分40.1秒 / 北緯35.442333度 東経139.594472度座標: 北緯35度26分32.4秒 東経139度35分40.1秒 / 北緯35.442333度 東経139.594472度
形状
前方後円墳
規模
墳丘長41メートル
幅20メートル
高4メートル
幅20メートル
高4メートル
| 瀬戸ヶ谷古墳 | |
|---|---|
|
大刀形埴輪(東京国立博物館展示※他画像も同様) | |
| 所在地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区瀬戸ケ谷町53付近 |
| 位置 | 北緯35度26分32.4秒 東経139度35分40.1秒 / 北緯35.442333度 東経139.594472度座標: 北緯35度26分32.4秒 東経139度35分40.1秒 / 北緯35.442333度 東経139.594472度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長41メートル 幅20メートル 高4メートル |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 出土品 | 形象埴輪 |
| 築造時期 | 6世紀中頃 |
| 史跡 | なし |
| 有形文化財 | なし |
| 特記事項 | 墳丘は非現存 |
| 地図 |
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瀬戸ヶ谷古墳(せとがやこふん)は、かつて神奈川県横浜市保土ケ谷区瀬戸ケ谷町53付近に所在した古墳時代後期の古墳。形状は前方後円墳。全長41メートルを測り、神奈川県下における古墳時代後期(6世紀)の古墳としては最大級のものであった[1]。
発掘調査
本発掘調査は、終戦後の1950年(昭和25年)1月から2月[注釈 1]にかけて実施され、東京国立博物館から八幡一郎・三木文雄・増田精一・村井嵩雄が、神奈川県から赤星直忠・石野瑛が参加した[1]。調査の結果、古墳は全長41メートル×幅20メートル×高さ4メートルの前方後円墳であることが確認された。埋葬施設は既に盗掘され検出できなかったが、墳丘周囲を3重に巡る円筒埴輪・朝顔形埴輪列が検出された。また、後円部上および前方部西側を中心に人物埴輪のほか馬形・家形・大刀形・盾形・靫形・帽子形などの形象埴輪が出土した。埴輪の特徴から6世紀中頃に築造されたとみられ、帷子川流域を支配しヤマト王権とも結びつきの強かった首長の墓と推定された[2]。
出土した数多くの埴輪は東京国立博物館に所蔵されているが[6][7]、墳丘自体はその後破壊され、赤星直忠が1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)までの期間に作成したと推定される赤星ノート(資料01087)には、墳丘が削平され住宅地となった現状を撮影した写真(撮影年月日不明)が残されている[1]。
