田中楓基
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プロ入り前
旭川市立新富小学校1年生の時から所属した新富野球少年団では、松浦慶斗と一緒にプレー[1]。旭川市立明星中学校では軟式野球部に所属した[1]。
旭川実業高等学校では1年春から背番号1を付けてベンチ入りし、2年秋の全道大会ではエースとしてチームを準優勝に導いた[1]。3年夏の北北海道大会は1回戦で帯広大谷高等学校と対戦し、自己最速タイの148km/hを記録するなど奮闘したが、延長13回タイブレークで敗れて初戦で敗退した[2]。後に、この登板について「一番記憶に残っている。ああいう経験はしたくない。プロで頑張る材料になった」と振り返っている[3]。その後は東京六大学の強豪を含め10以上の大学から声がかかったが、受付初日となる8月30日にプロ志望届を提出した[4]。
2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において千葉ロッテマリーンズから育成1位指名を受け、11月12日に支度金300万円、年俸230万円(推定)で仮契約を結んだ[5][6]。背番号は120[7]。
ロッテ時代
2023年はイースタン・リーグで20試合に登板を果たすも、1勝3敗、防御率7.71という成績にとどまった[9]。
2024年はイースタン・リーグで17試合に登板。0勝1敗、防御率4.58という成績だった[10]。プロ入り後3年で支配下登録をされなかったため、一度戦力外通告を受けた[11]ものの、育成再契約を行った[12]。
2025年はイースタン・リーグで18試合に登板。1勝2敗、防御率3.63という成績で、10月7日に戦力外通告を受けた[13]。
ロッテ退団後
退団後は地元の北海道に戻り、社会人野球の選手としてプレーする意向を示した[14][15]。翌2026年1月1日付でJR北海道に入社し、同社の社会人野球チームのJR北海道硬式野球クラブに入団した[16]。
人物
3歳下の弟も投手として野球をプレーしており、同じく旭川実業高校出身[17]。