町田 (市原市)
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| 町田 | |
|---|---|
| 大字 | |
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県道130号(2023年撮影) | |
北緯35度29分06.9秒 東経140度05分05.2秒 / 北緯35.485250度 東経140.084778度座標: 北緯35度29分06.9秒 東経140度05分05.2秒 / 北緯35.485250度 東経140.084778度 | |
| 座標位置:町田町民館付近 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地区 | 五井地区 |
| 人口情報(2022年4月1日現在[1]) | |
| 人口 | 157 人 |
| 面積 | |
| 0.647 km² | |
| 人口密度 | 242.66 人/km² |
| 郵便番号 | 290-0267[2] |
| 市外局番 | 0436[3] |
| ナンバープレート | 市原 |
地理
歴史
前近代
古くは海上郡に属し[7]、海保荘の一部であった[7]。戦国期には「町田郷」の地名が現れ、永禄3年10月14日の北条氏朱印状写に、知行主と思われる村上民部大輔の要望によって町田郷が守護不入の地とされている[8]。
江戸時代初期の寛永16年、村は川瀬組と中島組に分かれた[9][7]。姉崎二十五郷では海保村五郷組合に属した[9]。
江戸時代の中頃まで、柳原から町田にかけて[10]村の中央を養老川が流れており、しばしば水害をもたらした[9]。洪水の害は甚だしく、廿五里と同様にしばしば集落ごとの移転を余儀なくされた[6]。寛政9年(1797年)9月[注釈 1]の洪水の被害は甚大で[6]、家屋13戸が流出し、人畜が溺死した[6]。ただしこれにより養老川の流路が変わり、旧河道は水田化した[9]。
近代
明治初年から町村制施行まで
明治元年(1867年)7月に町田村は川瀬組・中島組ともに菊間藩領となる[11]。明治4年(1871年)に廃藩置県により菊間県、同年末には府県統合により木更津県所属となり[11]、1873年(明治6年)6月に千葉県所属となった[11]。
1878年(明治11年)には海保村と連合戸長役場を設置した[12]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)4月、廿五里村・野毛村・町田村・海保村・島野村・飯沼村が合併して東海村が編成され[13]、かつての町田村は東海村の大字「町田」となった[9][14]。
現代
1954年(昭和29年)に東海村は五井町の一部となった。1963年(昭和38年)5月1日、市原町・五井町など市原郡の5町が合併し、市原市が発足した(新設合併)。これにより町田も市原市の大字となった[14]。
世帯数と人口
2022年4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[15]。
| 町丁字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 町田 | 64世帯 | 157人 |
