大厩
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地価
歴史
地名については、古代の駅(うまや)との関連を主張する説がある[9]。『延喜式』によれば上総国に「大前駅」という駅があるが、この「大前」を「おおまえ」と読んで大厩(おおまや)に比定する説がある[10]。ただし大前駅の所在には諸説がある[10]。このほか、馬牧との関連を主張する説もある[9]。『飯香岡八幡宮由緒縁起本記』によれば、源頼朝が同社に寄進した土地の中に「大厩谷」があるという[9](ただし『飯香岡八幡宮由緒縁起本記』は近世の筆写として伝わるものである[11])。
江戸時代、『上総国村高帳』には「大厩村」とあり[12]、『元禄郷帳』や『天保郷帳』には「大馬屋村」と記されている[7]。江戸時代には旗本領であったが[7]、明治元年(1868年)7月には宮谷県管轄となり[13]、同年8月に菊間藩領に移管された[14]。明治4年(1871年)の廃藩置県により菊間県、同年末の府県統合により木更津県へと所属が変わり、1873年(明治6年)、千葉県に所属した[13]。
1889年(明治22年)、町村制の施行に伴い、菊間村・古市場村・大厩村・草刈村が合併して、行政村としての菊間村が成立した[15]。かつての大厩村は、新たな菊間村の大字「大厩」になった[15]。
昭和の大合併により、菊間村は1955年(昭和30年)に市原町の一部となり、大厩もその大字となった[16]。辰巳台団地の開発に伴い、1960年(昭和35年)に大字「大厩」の一部が「辰巳台」として割出される[16]。1963年(昭和38年)、市原町は市制を施行し市原市となった[16]。
世帯数と人口
通学区域
市立小学校・市立中学校及び県立高等学校の通学区域は以下の通りである[17]。
| 町丁字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 大厩 | 一部 | 市原市立菊間小学校 | 市原市立菊間中学校 |
| 一部 | 市原市立辰巳台西小学校 | 市原市立辰巳台中学校 | |
| 一部 | 市原市立白幡小学校 |