平沢進

日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー From Wikipedia, the free encyclopedia

平沢 進(ひらさわ すすむ、1954年昭和29年〉4月1日 - )は、日本シンガーソングライター音楽プロデューサー著作家。愛称は、師匠[3][4]ヒラサワ[5]ステルス[6]東京都出身。ケイオスユニオン所属(代表取締役[7])。1994年よりデジタル・マルチメディアコンサート「インタラクティブ・ライブ」を主宰[8][9]第79回アカデミー賞歌曲賞部門ノミネート候補[10][11]

別名
生誕
出身地 日本の旗 日本 東京都
概要 平沢 進, 別名 ...
平沢 進
別名
生誕
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 東京デザイナー学院
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1973年 -
レーベル
事務所
  • MODEL HOUSE→オクターブ(1979年 - 1989年)
  • I3 PROMOTION(1989年 - 1997年)
  • CHAOS UNION(1997年 - )
共同作業者
  • MANDRAKE(1973年 - 1978年)
  • P-MODEL(1979年 - 2000年)
  • (1984年 - 1996年頃)
  • 不幸のプロジェクト(1987年 - 1996年頃)
  • Global Trotters(1999年)
  • 核P-MODEL (2004年 - )
  • Susumu Hirasawa+InhVmaN(2008年)
  • 4-D mode1 + Susumu Hirasawa(2009年)
  • 平沢進+会人(2017年 - )
公式サイト 平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site
著名使用楽器


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概要 ケイオスユニオン公式チャンネル, 公式サイト ...
ケイオスユニオン公式チャンネル
公式サイト 平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site
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Twitter chaos_union
Twitter 平沢進・公式サイト
Twitter 平沢進・核P-MODELライブ公式
YouTube
チャンネル
活動期間 2007年10月18日 -
ジャンル 音楽
登録者数 約14.1万人
総再生回数 約1601万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年8月13日時点。
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概要

1973年にプログレッシブ・ロックバンドマンドレイクを結成し、音楽活動を開始する[12][13]

1979年にテクノポップバンドP-MODELを結成し、ボーカル・ギターとしてシングル『美術館で会った人だろ(ART MANIA)』でメジャーデビュー[14][15]テクノ御三家の一角として、テクノポップブームの火付け役となり、テクノニューウェイブシーンにおける中心的存在となる[16]

1984年にはバンドと並行し、自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」などを使用した実験音楽サンプリングユニットを結成。また、1987年からは4-D小西健司フロッピーディスクの往復書簡による遠距離での楽曲制作を開始し、1996年に「不幸のプロジェクト」としてアルバム『不幸はいかが?』をリリースした[17]

1989年にソロアルバム『時空の水』をリリースし、バンド・ユニットと並行してソロ活動を開始[18]

2000年にP-MODELは活動休止をし、2004年からは平沢がP-MODELの音楽性を継承したプロジェクト核P-MODELとしても不定期に活動している[19]

また、2017年からはサポートメンバーである会人を加えたユニット平沢進+会人としても活動している[20]

来歴

P-MODEL結成まで

知り合いの牛乳配達員が、実家への配達の際にジミ・ヘンドリックスクリームレコードなどを紹介してくれることがあり、10歳頃から音楽に傾倒していった[21]。小学生の頃にテレビや兄の持っていた雑誌に写っていたエレキギターに惹かれ、赤色のエレキギターを購入する[22]。なお、消防士の父親は音楽をすることに反対していたが、エレキギターは男らしいと許可した[23]。ただし、メディアによく出演していたザ・ベンチャーズよりもTHE SPOTNICKSスウェーデン語版The Atlantics英語版に影響を受けたと語っている[24]

通っていた学校の先生や同級生から隠れてギターを練習し、小学5年生の頃にはギター技術を買われて中高生のバンドに誘われ神社や河川敷でセッションをして過ごしていた[25]。この頃には音楽を作ることに興味を持つようになる[26][27]。中学生になると「おまえと似たやつがいる」と同級生に紹介され、別の中学校の年上のドラマーと初めてバンドを結成する[28]

その後、一旦音楽を離れモトクロスに転向。しかし、高校生のときにトラックとの事故を起こしたことがきっかけでギター演奏を再開する[24]。この頃に実兄である平沢祐一の勧めで読書を始め、宮沢賢治シオドア・スタージョンニコラ・テスラ量子論カール・グスタフ・ユングなどの書籍に傾倒していった[29][21]

この頃に安部文泰と出会い、安部と共に本格的な音楽活動を開始する[30]。メンバー募集の貼り紙を見た田中靖美・田井中貞利が応じ、1973年にHR/HMバンド、マンドレイクを結成した[31]。結成当初はギタリストとして参加していたが、ボーカリスト・作詞担当だった安部が失踪してしまい、急遽ボーカルおよび作詞を始めた[32]。この頃のマンドレイクはHR/HMからプログレッシブ・ロックへと転向していたが、1970年代後半になるとパンクブームによるパンク・ロックバンドの台頭を知り、ニューウェーブバンドへの模索を始める[33]

マンドレイクのメンバーであった田中と共に、電子音楽を演奏するバンド『バッハ・リヴォリューション』に参加し、同バンド内で神尾明朗と出会う。神尾とは後にP-MODELで「FISH SONG」を共作し、P-MODELや平沢ソロのプロデューサーを務めることとなる。1978年には神尾の勧めで『週刊プレイボーイ』誌上で行われたシンセサイザーの多重録音コンテストに参加。作品「いりよう蜂の誘惑」が入賞し、入賞作品を集めたコンピレーション・アルバム『驚異の頭脳集団』に収められメジャーリリースされた[注釈 7]。平沢は「バッハ・リヴォリューション」のサポートメンバーとして、当時同じく結成して間もなくだったYMOらが参加するライブイベントに参加したこともあった[34][35]

同時期には、田中と共にモーグ・シンセサイザーを用いてバロック音楽などをアレンジしたものを製作した[注釈 8]ウェンディ・カルロス「スウィッチト・オン・バッハ」やクラフトワークを参考に、KORG 800DVによるノイズが混ざった音色[注釈 9] を制作し、「アクリル・ポップ(ミュージカル・ホッチキス)」と名付けた[35]

マンドレイクは最終的にはレコード会社数社に声を掛けられるほど成長したが、1978年年末に解散する[21][35]

P-MODEL結成~活動凍結

P-MODELの活動についてはP-MODEL#来歴P-MODEL#音楽性を参照。

1979年元日、平沢の実家にて、実兄でありマンドレイクの演出担当だった平沢裕一とマンドレイクのメンバーだった田中・田井中が集まり、P-MODEL結成へのミーティングが行われる[36]。ミーティングでは、999セックス・ピストルズといったパンク・バンドとMétal Urbainジョルジオ・モロダーなどが参考にされた[37]。その中で「アクリル・ポップ」を活用した楽曲制作と、ヴィジュアルイメージとして機材や服装はカラフルな配色にするといったコンセプトが決まっていった[38]。同年3月にP-MODEL初のライブを行い、同年7月にメジャーデビューを果たす[35]

その他、P-MODEL結成前の1978年から1981年頃まで『バッハ・リヴォリューション』のリーダーであった田崎和隆が運営する会社「エレクトロサウンド」に所属し、ヤマハのシンセサイザー教室の講師やマニピュレータ、CMソング制作などの仕事を行うようになる[35]。当時「エレクトロサウンド」には環境音楽家である小久保隆も所属しており、小久保と『E-Project』として共同で楽曲制作も行っていた[39]

そして、バンド活動と並行して平沢単独でペンネームでの楽曲制作を行い、プロレスラー長州力の入場テーマ曲「パワー・ホール」を異母犯抄として作曲[40]ストロング・マシーンの入場曲「ハリケーンズ・バム」も福来良夫名義で作曲している[41]。仕事の一環として、1979年には三遊亭圓丈 (初代)と共にシンセサイザー落語を行った[42]。これは圓丈の新作落語「無類麺類好き男」の要所でシンセサイザーによる効果音を鳴らすという物だった[42]

なお、CMソング制作は90年代前半まで行っており、テクノポップからカントリー風な物まで様々な作風の物を作曲した。これが平沢ソロでのバラエティに富んだ音楽性に繋がっている[43]

1982年には平沢が講師を務めていたシンセ教室の生徒であった、折茂昌美と足立眞理を『Shampoo』としてプロデュースを行い、メジャーデビューをしている。以降、折茂とは長らく交流が続き、1990年には島崎和歌子に提供した楽曲「アフリカのクリスマス」を共作し、平沢のライブにも出演することがある[44][45]

1984年にはP-MODELと並行して実験音楽ユニット「」を結成し、1996年までにシングル・アルバム含め6作品を発表している[46]。なお、当時のサンプリングマシンは非常に高価で個人が気軽に所有できる物ではなかったため、ラジオカセットレコーダー2台を改造して自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」を制作した[21]

また、1987年頃から関西のテクノユニット4-Dの小西健司と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーの往復書簡で遠距離での楽曲制作を始める[47]。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された[17]

ソロデビュー

1988年12月、P-MODELは活動「凍結」を宣言し、活動休止となる[48]

1989年1月に所属事務所をMODEL HOUSEからアイスリープロモーションへ移籍。レーベルをポリドールと契約する。同年、アルバム『時空の水』でソロデビューした[49]

1991年にはロボットSFアニメデトネイター・オーガン』の音楽を担当する[50]。以降は劇伴製作にも進出し、HTB人間ビジョンスペシャル カムイ・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒』や志摩スペイン村にて上演されたライブショー『ロストレジェンド〜失われた大陸の伝説〜』の音楽を担当した[51][52][53]。また、1992年には長野県茅野市からくり時計台オルゴールを作曲した[54][55][56]

また、1991年9月にはP-MODELが「解凍」し、再結成を果たす。その後の詳細はP-MODEL#来歴を参照。

1994年にはディスクユニオン内に独自レーベル「DIW/SYUN」を設立。主に、旬やP-MODEL関係のアルバムが発売された。また、同年にストーリー仕立ての観客参加型マルチメディア・コンサートとして「インタラクティブ・ライブ」を開始する[57]

また、1994年7月8日から翌年の1995年3月31日まで初の冠番組である『平沢進のテクノ実験工房』がFM群馬にて放送され、平沢と共に上野洋子(元ZABADAK)がパーソナリティを務めた[58]

1996年、当時所属していたレコード会社である日本コロムビア内に独自レーベル「TESLAKITE」を設立。第一弾としてシングル『サイレン*SIREN*』とアルバム『SIREN』を発売する[59]

1997年、アイスリープロモーションを退社し、個人事務所であるケイオス・ユニオンを設立[60]

個人事務所設立後の活動

1999年、P-MODELは結成20周年プロジェクト「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」を開始。その中でMP3による楽曲配信を発表し、配信サイト「P-PLANT」を開設[61]。これに伴い日本コロムビアとの専属契約を解消した[62]。この試みは、国内のメジャーレーベルで活動してきたアーティストによる先駆的なネット配信の事例とされている[63]

2000年12月、P-MODELが「培養」を宣言。平沢に活動再開の意思は無く、事実上の解散である[64]。同年にはソロアルバム『賢者のプロペラ』をケイオスユニオンより発売。CD版とMP3版がそれぞれ制作・販売されており、アレンジが互いに異なっている[65]。本作以降は原則的にケイオスユニオン内レーベル「TESLAKITE」にて作品が販売される。

2000年代に入ってからは再びアニメやゲームの劇伴制作を行うようになり、2000年にはゲーム『ラグナキュールレジェンド』のテーマ曲として「星を知る者」を提供。また、同年に今敏によるアニメ映画『千年女優』の劇伴を担当する。以降、同監督作品『パプリカ』とTVシリーズ『妄想代理人』の劇伴を手掛ける。2006年公開の『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞し、米国での第79回アカデミー賞のオリジナル歌曲部門に『パプリカ』のエンディングテーマである「白虎野の娘」がノミネートされた[66][67][68][69]。その他、三浦建太郎原作のアニメ・ゲーム『ベルセルク』シリーズの劇中歌や楽曲を制作した[70]

2001年7月2日、プロジェクト『Hirasawa Energy Works[71]がスタート。これは必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽製作を試みるプロジェクトであった。プロジェクト第一弾としてアルバム『SOLAR RAY』が製作される[72]。その後、太陽発電及びこのプロジェクトに賛同するファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング)のみを利用したライブ『SOLAR LIVE』[73] を敢行した。このプロジェクトはNHK BS2やTBSで特集された。翌年の2002年には『Hirasawa Energy Works』の第二弾として、P-MODELのほぼ全ての音源を網羅したボックスセット『太陽系亞種音[74] を発売。太陽発電を用いたスタジオである「Solar Studio(studio WIRE SELF 2002)」でリマスタリング[75] された。

2003年、イラク戦争に対する抗議の意思を表すべく『殺戮への抗議配信』と題し、楽曲「高貴な城」「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った(詳細は『BLUE LIMBO』を参照)[76]。同年3月には坂田四郎名義でゆいこのシングル『陸の人よ』(アサヒビール『穣三昧』CMソング)の制作を手掛け[注釈 10]、10月にはNHKおかあさんといっしょ』内で放送される「地球ネコ」の作詞作曲をした[注釈 11][77](2006年12月にも再度放送された)。

2004年、P-MODELとは異なるものとして、核P-MODEL名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』発売後、断続的に活動を行う[78]。(詳細は核P-MODELのページを参照。)

2008年6月、イタリアのデス・メタル系ヴォーカリストのリッカルド・ブレット(InhVmaN)との共作でマキシ・シングル『Tetragrammaton (テトラグラマトン)』をリリース[79][80]。同年11月、タイ王国第2の女性で平沢の友人らである23人のSP-2[81] との1994年からの交流から生まれたエピソードを彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集、『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を出版した[82]

2009年にはTwitter(現:X)アカウントを開設。同年より放送されたかきふらい原作のアニメ作品『けいおん!』に自身の名前が由来とされる主人公「平沢唯」が登場し[注釈 12]、自身の楽曲をリスペクトしたブログタイトルがけいおんスタッフブログに掲載される事もあった[注釈 13][83] ことが原因で、「元ネタ」としてフォロワー数が増えてしまっていると感じたことから、間違っていないか確認を促すツイートをしたところ、さらにフォロワー数が(1日で1万3180人まで)急増してしまうこととなった[84][85][86]。この出来事が自身のTwitterの方向性を決めることに繋がったとしている[21]。以降、毎週水曜日以外の連日、21時から22時までツイートを行うようになる[87]。投稿はPC上からTweetDeckより行っている[88]

2011年東日本大震災が発生し自宅にて被災する。被災時は自身のウェブ番組である『亜種音TV』の撮影中であった[89]。その後、同年3月21日にタイ王国のWat Raikching寺院にて、被災された人達に祈りを捧げる映像をインターネット上に公開した[90]。また、同年にはフォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景[注釈 14] を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』がUSTREAMにて不定期配信された[91]

2012年2月、1st~7thまでのオリジナルアルバムとシングルカップリング曲や発掘音源などを網羅したボックスセット『HALDYN DOME』を発売。上述した「地球ネコ」も収録されており、平沢自身がボーカルを務めるリアレンジ版が収録されている[92]。2017年には『HALDYN DOME』のブックレットに掲載されている文章を朗読したものと楽曲を交えて構成された初のナレーション作品『第6フォルマント』を配信した[93]

2014年、Twitterのフォロワー数7万人突破記念として、平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信される[94]

2017年10月にはTwitterのフォロワーが9万人を超したことから、溶接マスクを付けた正体不明の二人組「黒会人」と、P-MODELメンバーの一人であったドラマーの上領亘を迎えライブ『第9曼荼羅』を開催した[95]

なお、「会人」は以降のライブでもサポートメンバーとして参加し、2018年の核P-MODELのライブ「回=回」の他、2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」とのユニット『平沢進+会人(EJIN)』としてフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演した[96]。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーとしてユージ・レルレ・カワグチを迎え、オープニングアクトとしてツアーに帯同した[97]2021年にはTwitterフォロワーが24万人を超したことから、ルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」とサポートドラムに再びユージ・レルレ・カワグチを迎え、『平沢進+会人(EJIN)』名義でライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催[98]。同ユニットで同年8月のフジロックフェスティバル'21の最終日の大トリとしてWHITE STAGEに出演した[99][100][101]

2023年2月3日、フジロックフェスティバルにて新規にアレンジされて披露された楽曲群をスタジオ収録したアルバム『RUBEDO/ALBEDO -Songs for FUJI ROCK FESTIVAL 2019, 2021-』をBandcampにてリリースした[102]

評価・音楽性

ここでは、主にソロについて記述する。マンドレイクP-MODEL核P-MODELについては各項を参照。

評価

2000年に行われた「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」がデジタルコンテンツグランプリ2001において「作品表彰の部」の最高賞である経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している[103][104]

2006年にアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された[67][69]。その他、『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞している[68]

アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」の『史上最高の日本の音楽アルバム』では、ソロアルバム『救済の技法』が名邦盤ランキングにて第8位、RYMの世界ジャンル別評価では『救済の技法』がプログレッシブ・ポップランキング5位[105]、平沢のソロユニット核P-MODELの「回=回」がエレクトロ・インダストリアルランキング10位[106]、また、2021年発売のソロアルバム『BEACON』が同年のRYM世界年間アルバム評価チャートにて、プログレッシブ・ポップ・アルバムで4位にランクインしている[107]

2024年に米紙ペースト上で行われた「1994年のベストアルバム50選」ではソロアルバム「AURORA」が14位に選ばれた[108]

楽曲

ソロ作品のほとんどは、アルバム全体を通して聴くことで世界観が完成するコンセプト・アルバムである。特に1994年からインタラクティブ・ライブを開始して以降はその傾向が強まり、7th『救済の技法』ではインタラクティブ・ライブ『WORLD CELL』のストーリーに沿ってアルバムが制作されている。ただし11th『点呼する惑星』では最初からアルバム中でストーリーが組まれ、それを解体、再構築する形でインタラクティブ・ライブのストーリーが作られている。

P-MODEL時代の音楽性の変遷と同等、あるいはそれ以上に、P-MODELからソロへの移行はかなり異質なものへの転換が意図されていた。その変化の大きさは、ソロ活動初期に寄せられた「こんな平沢に誰がした」という反応に大きく現れている[109]。これに対し平沢は、「結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待しており、それなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができた」と述懐している[110]

P-MODELとの主な差別化はストリングス・セクションの大々的な導入と、アコースティック・ギターの使用と述べている。ストリングスの音についてはメロトロンのような本人いわく暗い音を好んでおり[24]、現在はEast West社のHollywood Stringsを使用している[111]。12th『現象の花の秘密』ではこの音源を大々的にフィーチャーしている。かつてはソロでシャウトを使わないという制約も設けていたが、11th『点呼する惑星』の「Mirror Gate」で解禁した[112]

歌唱において、軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで様々な声色を使い分ける[113]。平沢の独特なヨーデルのような唱法を質問された際、「江戸時代の消防士である火消しが歌う、木遣りというものなんですけど、そこからアイデアを得たんです。」と答えている[114]

ソロデビュー前にはKORG M1を用いて、習作としてマンドレイク時代の楽曲『飾り窓の出来事』のエディットが行われており、長らく離れていたプログレにも接近している。このことから、中野泰博は平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している[115]。バンドにおける制約を排したなんでもありの音楽性が意識されている。

5thは当初90年代版ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon』を意識したコンセプト・アルバムを制作する予定だったが、その途中でタイへと渡航し、そこで出会ったSP-2の影響を受け作風が大幅に変化した。同時期に活動を再開したP-MODELでの活動においても平沢ソロとの融合が図られ、民族音楽とテクノポップを融合したアジアン・テクノを打ち出した。

アジアン・テクノ路線も2000年の『賢者のプロペラ』以降は収束し、以降はアメリカ同時多発テロ事件イラク戦争への疑問から(詳細は「BLUE LIMBO」を参照)、初期P-MODEL以降距離をとっていたディストピア的な世界観を前面に押し出たメッセージ性の強い楽曲を多く発表するようになる。還弦主義8760時間における過去曲の弦楽的アレンジ作品のリリース、Hollywood Stringsを導入したアルバムの制作(『現象の花の秘密』)など弦楽的なアプローチを強める一方、核P-MODEL『回=回』やフジロック・フェスティバル2019での演奏からはサーフサウンドのスタイルも見て取れ、平沢ソロと核P-MODELとの融合が感じられる。

歌詞

先に楽曲を作成し、その音の制限内でテーマ上の歌詞を想像していくという手法を用いている[116]。活動初期に歌詞を捻出するのが難しかった頃は、先に歌詞を書き楽曲を作成していたが、楽曲を先に作り「制限を重ねる」ことで寧ろ想像の幅が一気に広がったとしている[117]

80年代、平沢が精神的に不安定だった時期にユング心理学に傾倒するようになる[33]。以後、作品の中に錬金術神話的仏教的用語が使われていること[118] や、平沢作品のテーマである「全き人格の回復[119]」などユング心理学(及び河合隼雄エーリッヒ・ノイマンの著書)の影響が強くなっていく[120]。しかし、神道仏教、その他のアジア宗教哲学の概念を繰り返し音楽のテーマに取り入れながらも自分の思想とはしておらず、「これは音楽のプロセスの為ですから、私の立場を既存的なカテゴリー集団主義的な話と一緒にしないでください」としている[121][122][87]

歌詞作りにおいては宮沢賢治の作品が大きく影響しており、平沢の歌詞の特徴である「専門用語の多様」「言葉が描き出す世界観」など宮沢賢治の作品の構成と類似する点が多く存在する[21]。マンドレイク時代に平沢が歌詞作りに困っていた際、じょうじマョンのボーカリストから「宮沢賢治を参考にしろ」と言う助言を受けたことがきっかけである[21]

音楽のリズム・パターンについては、「わたしは世の中で一番好きな音楽が『君が代』なんですけども。ああいう、先に日本語のノリがあった上で成立する音楽は素晴らしい。それはもうリズム・パターンにも影響してきますね。そういう意味で昭和初期の歌謡曲なんかほんとに歌詞の乗せ方からなにからお見事と言うしか言いようがない。」と語っている[123]

ライブパフォーマンス

ライブ活動においても当初はサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でのライブを行っており、1990年の『世界タービン・ツアー』最終公演では『オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ナース[注釈 15]』と名付けられた看護婦姿のオーケストラ隊が登場した。その後、1992年に行われたライブ『Hi-Res』ではコンピューターの同期を用いて完全に一人で演奏を行い、これが起点となり、1995年以降は基本的に平沢のみでライブを行うようになる。

レーザーハープなどの自作楽器の利用には「音楽の身体性をデジタル世界で実現する」という共通テーマがあるとしており、「デジタル世界では、身体性が無くても音楽が成立してしまう。とすれば、ライブやショーの意味はどこにあるのか?人間がそこにいる意味は何があるのか?」、「打ち込みで完成する音楽を構成する音楽家にとって、ステージ準備段階で仕事は完了してしまう。それでも「ヒラサワという人間」が見たいのだとすれば、自分がステージ上で動くという前提を作らなければならない。そこで「体が動くテクノロジー」を楽器に組み込むようにしているんです。」と語っている[124]

平沢は元々生演奏におけるミュージシャン固有のニュアンスを排したかったと述べており、以降はP-MODELの再結成やソロ活動初期のようなバンド形式での活動には後ろ向きの態度をとるようになり、2004年に活動を開始した核P-MODELも、基本的には平沢のソロプロジェクトである。一方で、2012年のライブ『PHONON2555』にPEVO1号や元P-MODELメンバーの荒木康弘がサポートメンバーとして参加して以降は、サポートパフォーマーとしてゲストを迎えることも増え、バンド形式での活動も再び増加している。2017年に行われた『第9曼荼羅』より、正体不明のメンバー「会人(EJIN)」がサポートとして参加するようになり、2019年からは「平沢進+会人(EJIN)」というユニットとしても活動を行っている[125][96][100]

人物

P-MODELのデビュー当時はレコードが売れても中々自分達の手元に金銭が渡らず、平沢は餓死しかけたため全財産600円で「食べられる雑草の本」を購入したこともあった[126]。また、この頃の平沢は「怖さ」を強調しており、客からの野次やレコード会社の言い分に対して真っ向から反応し、同調圧力に対しては怒りで対処するなどのエピソードがある[87]。当時のリスナーであった編集者の高橋かしこは「音のみぞ」トークイベントで、80年代の平沢の印象を「殺されそうな殺気のある感じだった」と述べている[127]

1980年代中期、バンド活動の疲弊をきっかけに、カール・グスタフ・ユング分析心理学に触れ、夢の記録などを通じて精神管理を行うようになる。以降、その思想は作風にも影響を与えた[128]

タイ王国への関心

1994年の5thソロアルバム製作中に、事務所の人間に無理矢理連れて行かれた先のタイ王国で文化的な衝撃を受け[注釈 16]、作風にも大きな変化が表れている。1995年から1998年の期間にアルバム『Sim City』、『SIREN』、『救済の技法』を発表。後に『BANGKOK録音3部作』と名称される(詳細は各項目を参照)。

1995年頃からタイの第二の女性であるサオプラペーッソン(SP-2[注釈 17] に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れていた[129][130]。以降、彼女たちには、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘したことがある[131][132][133]

2004年には、平沢と親交が深かった9人のSP-2が相次いで亡くなったことを受け、彼女たちを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』が製作された[134]。サオプラペーッソンの存在そのものが、創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して大きな尊敬を以て接していることがその言動から見て取れる。

上記のように体質上、幼少期から菜食中心の生活をしていたが、タイ王国での影響でそれらを「ピタゴリアン」と呼ぶようになる[21]

また、1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催[135]。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブライブで行われるようなゲームが展開された[136]。1995年、1997年にはインタラクティブライブやアルバムの物語の続編として行われた。2007年の万国点検隊を編集した映像作品『P-0』の売り上げは協力したSP-2の意向により、現地の老人ホーム、聾学校、野犬保護施設にを寄付している[137]

2008年11月、タイ王国の平沢の友人らである23人のSP-2[81] との1994年からの交流から生まれたエピソードを、彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した[82]

インターネット・デジタル技術を用いた活動

パーソナルコンピュータとインターネットの活用

1980年代末、P-MODELのライブ演出のためにパーソナルコンピュータ『Amiga』を導入。当時コンピュータ知識はほとんど無かったが、独学でプログラミングやCG制作を習得し、音楽制作へ応用していった[138]。当時については「コンピュータについての知識ゼロ」、「まったくのドシロート」であったと平沢は語っており、更に輸入パソコンのAMIGAにはマニュアルも無く、手探りでプログラミングCGデザインなどを覚え、音声合成機能「Sayプログラム」などを含めた音楽への転用を模索していった[139]

1994年のアルバム『AURORA』以降は、ゲストミュージシャンを迎えずAmigaを駆使した個人制作へ移行[140]。同年に再始動した改訂P-MODELではインターネットを活動の中心に据え、ライブ映像のMPEG配信やメンバー各々が個人サイトを運営するなど[注釈 18]、ネットを利用した活動を行った。平沢自身も個人サイト『Ghost Web』を開設している[141]

1999年にはP-MODELドイツハンス=ヨアヒム・ローデリウス小西健司とのプロジェクト『Global Trotters』のアルバムをインターネット上のやり取りのみで制作した[142][143][143]

2004年には公式ホームページ上にてWebカメラを用いた有料配信番組「平沢進の亜種音TV」を開始。以降、2025年まで不定期に配信された[144]。なお、「亜種音TV」の名称は2026年よりYoutubeライブのタイトルとして使用されている[145]

2014年にはケイオスユニオンのYouTubeチャンネルを開設。当初は公式ホームページや他サイトで行った配信のアーカイブ、ソロライブの無料同時配信に利用していたが、インタラクティブ・ライブショウ「WORLD CELL 2015」の公演後より、自身のライブについて語る配信を行っている[146]

1998年の『インタラクティブ・ライブショウ「WORLD CELL」』から2020年の「会然TREK 2k20▼02」までの期間、Webカメラを用いた無料同時配信を行っていたが、以降は「音楽のライブ配信の活用を示す事としてやっていたが、今年から浸透し始めた」として有料の高画質配信を行っている[147]

著作権管理団体および大手レーベルからの撤退

それまで権利関係に疎かった平沢は、自分の楽曲の著作権が出版会社に永久譲渡という形で契約されていることを知る[いつ?][148]。出版会社は、日本音楽著作権協会(JASRAC)から分配された楽曲使用料(印税)のうち50%を控除し、残額をアーティストに分配していたことから、その出版会社が控除した楽曲使用料がどのように運用されるのか、平沢は説明を求めた。しかし、出版会社からは「プロモーションに努める」という回答しか得られず、どのようなプロモーションを行い、どれだけの対費用効果があるのか、平沢が納得できるだけの具体的な回答が無かった。出版会社の変更もレコード会社との関係で困難であったことから、「なぜ私の権利が私の選んだ出版会社と契約できないんですかと、一回ゴネたことある」と述べている[148]

その後、1999年にはP-MODELのアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』をMP3で配信することを発表し、それに伴う大手レーベルからの撤退を発表する[62]。以降は自社ケイオスユニオンより「TESLAKITE」レーベルを設立。演奏権を除き、配信レンタル通信カラオケなどの著作権はNexTone(旧イーライセンス)に委託する契約を行っている[149][150] 。なお、P-MODELとして活動した初期の楽曲については権利を永久譲渡しているため、P-MODEL時代の1stまた2nd収録曲をセルフカバーする際にはJASRACに支払いを行ったと述べている[151]

2000年以降はケイオスユニオンが運営する公式ショップ「TESLAKITE ONLINE SHOP」によるインターネット通販が中心となっており、2018年にリリースした核P-MODELのアルバム『回=回』以降の作品はBandcampにてダウンロード販売がされている[152][153]

音楽業界及びJASRACの著作権管理体制については厳しく批判している反面、リスナーによる個人間の二次利用については「資本主義と相容れない音楽の性質」として、自身への同一性保持権の侵害に該当しなければ基本的には黙認している[154]

MP3音源の活用

1999年、P-MODELは結成20周年を迎え、プロジェクト『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』を発表。日本コロムビアとの契約を終了し、以降発表される楽曲はすべてMP3形式で配信を行うと宣言した。日経BP協力のもと、音楽配信サイト『P-PLANT』を開設。アルバム『音楽産業廃棄物』や『VIRTUAL LIVE』シリーズを配信した。これはメジャーで活動してきた日本のプロミュージシャンによる本格的なインターネット音楽配信の先駆的事例とされる[63][61]。 アルバム『音楽産業廃棄物』では、P-MODELメンバーが各自宅で制作した楽曲データをインターネット経由で持ち寄り、インターネット上での公開ミックスダウンを行った。また、ファンによる楽曲のリミックス企画も開催された[63]

メンバーの小西健司福間創と共に、上記プロジェクトの記者会見を開いた際には、平沢は「曲を直接リスナーに届けたい」という理由から大手レーベルとの契約終了を決断したと語り、インターネットによってアーティストが自立し、リスナーへ直接作品を届ける時代が来るとの見解を示した[155]。また、「メジャーレーベルに属す限り、レーベルが売りたいと思う曲しか世に出せないのが現状」とし、インターネット配信によって表現の自由度が拡大すると語り、「大手レーベルならば儲ける事を強要されるが、インターネットでならリスナーとアーティストで作品を直接提供でき、どれほどお金が必要かは自分で決めれる。自分は音楽で大儲けしたいのではなく、音楽で生活が成り立てばいい。」と述べている[156]。 以降も公式サイト上で未CD化楽曲やアウトテイクを配信しており、2011年には独立系メディア支援のために楽曲素材の無償提供も行った[157]。同年6月24日にはパレード・パンクの期間労働者・ステルスマンなる人物にオフィシャルサイトを占拠され、楽曲「原子力」(P-MODELの「BOAT」を編曲・歌詞を改変したもの)を無料配信させられる[158]。後に平沢はステルスマンから奪ったカラオケ音源をオフィシャルサイトで無料配信した[159]

その後、2019年には「表現者としてリスナーと直接コミュニケーションを取る新しい枠組み[62]」であると評価している。一方で、サブスクリプションサービスについては、楽曲単位で消費される傾向を認めつつも、本当に支持される作品は最終的にアルバム単位で聴かれるとして、「アルバムという形式はなくならない」との考えを示している[160]

Twitterの利用と活用手法

2009年、P-MODEL結成30周年・ソロ活動20周年企画『凝集する過去 還弦主義8760時間』の一環として公式Twitterアカウントを開設[161]。当初は期間限定運用を予定していたが、いくつかの投稿がインターネット上で大きな反響を呼び、その後も継続して使用されることとなった[162][163]

『還弦主義』内で発売したアルバム「突弦変異」「変弦自在」の発売記念ライブは無い予定であったが、Twitterのフォロワー3万人を突破したことにより、翌年に『東京異次弦空洞』が開催された[164]

以降、フォロワー数に応じた企画をいくつか展開しており、5万人突破時には作業風景を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』、7万人突破時には『HIRASAWA追跡70000歩』を行った。さらに9万人突破時にはライブ『第9曼荼羅』、24万人突破時にはライブ『24曼荼羅』を開催した[165]

なお、Twitter上での投稿はあくまでも仕事の一環として行っており、プライベートな情報を日々公開することは無いとしている[88]。いわゆる「人気物」や「大量消費」という扱いを好まないため(自身は「ステルスメジャー」と名乗っている[166])、フォロワーが増加すると意図的にファンを減らす投稿や発言を敢えて行い、定期的にファンから自身との距離を取らせている[1][167]

エネルギー問題への関心

2001年に開始した『Hirasawa Energy Works』では、太陽光発電を利用した音楽制作やライブ配信を実践し、自然エネルギー活用への関心を示している。当初は少数のソーラーパネルによる小規模な発電環境であったが、後に設備を拡張し、自宅スタジオ「studio WIRESELF 2002」や後継スタジオ「アロルの館」の電力供給にも活用された[168]。。制作機材もハードウェア主体からソフトウェア主体へ移行し、省電力化を進めている[169][170]

平沢はこの活動について、「Hirasawa Energy Worksの主眼は発想の転換にあります。それは、節約、忍耐、といった省エネのネガティブな印象さえ変えてしまいます。Hirasawa Energy Worksでは、すでに自然界に豊かに用意されている、エネルギーの原野でのピクニックとも言えるでしょう。ですからHirasawa Energy Worksは、「環境保護」や「地球にやさしい」という言葉を好みません。保護されているのは我々だからです。Hirasawa Energy Worksは、その保護者へとアクセスするための、胸踊る探検なのです。」と語っている[171]

また、エネルギー問題への意識に目覚めてからは、それまで所有していたシトロエン・エグザンティアインターネットオークションで売却し[172]トヨタ自動車プリウスを購入[173]。その後、2020年からは水素自動車であるトヨタ・MIRAIを所有している。

また、近場であれば自転車や徒歩での移動を行い、用途によって通常のアップライト自転車とリカンベント(米Burley社のLimbo[174])を併用している。リカンベントは『RIDE THE BLUE LIMBO』のPVや、インタラクティブ・ライブ『LIMBO-54』の作品にも登場している。

イラク戦争への抗議

2003年のイラク戦争開始に際し、アメリカによる報復攻撃や自衛隊派兵への疑問を抱き、インターネット上で「殺戮への抗議配信」を実施。無料配信楽曲「高貴な城」「LOVE SONG [2003年バージョン]」を公開した。背景には、同時期のソロアルバム制作中に訪れたカンボジア内戦大虐殺の痕跡を目の当たりにしたことも影響している(詳細はBLUE LIMBOを参照)[175]

それまで平沢は政治性のある活動からは距離を取っていたが、「背景にある政治的な利害や、平和主義に情緒的に賛同はしない」とし、「国家は利害で動きます。自分の属する国家が結果として殺戮を容認する姿勢を見せようと、国民の一人として私は「それには同意しない」と、今ここに反戦の意思を表明します。」と綴り、戦時下に留まらず、世界が子供達を犠牲にする構造に対して怒りを表明した[176]

その後、ディストピアを前面に押し出したアルバム『BLUE LIMBO』、『白虎野』、『点呼する惑星』を発表。後に『ディストピア3部作』と名称される(詳細は各項目を参照)。2004年からは「核P-MODEL」を開始。以降はあらゆるディストピア的要素をコンセプトとし昇華した作品を発表している[177]

一方で、平沢自身は特定の政治団体や運動への参加は行わず、こうした発信はあくまで音楽表現の一部であるとしている[178]

使用機材

ギター

マンドレイク時代にはグレコのレスポール・ゴールドトップを使用していた[179]。P-MODELのデビュー当初はH.S.Anderson製エクスプローラー型ギターのヘッドを削り、ボディを黄色に塗り替えて使用していた。後にこのギターはザ・グルーヴァーズに譲ったと語っている[180]。1980年頃からは黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7を使用。デヴィッド・ボウイのサインがボディー裏側に書かれていたが、このギターはその後行方不明となっている[180]。中期P-MODEL時代ではフリクションのレックから借りたフェンダー製のムスタングをライブ・レコーディングなどで使用していた[33]

1983年以降は東海楽器製造が製造・販売を行うアルミニウム製ギター「Talbo」を使用[24]。発売直後から、その素材やデザインの特異性に惹かれ使用を続けていた[181]。しかし、長年の使用による消耗から補修を要した際、製造元の東海楽器が経営悪化による影響からTalboの生産を打ち切っており、1994年にTalboと同シェイプのフェルナンデス製木製ギター「PHOTON」を特注にて製作し、代わりに使用していた[180]。「PHOTON」はその後、2014年に改修された際に「PHOTON」は「PHOTON(光子(こうし))」へ改称している[182]

2004年からはTALBO Secret FACTORYが企画し、東海楽器が制作したオリジナルTalboである「ICE-9」を所有[183]。メインのステージギターとして用いられ、2005年にはICE-9に触発されたギターアルバム『ICE-9』が発売されている[184]。2021年にはTALBO Secret FACTORYからTalbo「ICE-9」のシグネチャーモデルが数量限定で販売された[185]

2013年以降は新たなメインギターとして、HISASHIとTALBO Secret FACTORYの共同で制作されたギター「EVO」の平沢モデルである「0101Z」を使用[186]。その後、2018年にネックカラーを変更した新たなEVOとして「EVO-PHYTO ELECTRON」を制作。2021年にはジャズマスターのピックアップ(65年ヴィンテージタイプ)と新たなトレモロユニットを搭載した「EVO-PHYTOELECTRON SEED」を制作[187]。現在はメインギターとしてライブなどで使用されている。

その他、2009年には新たにモズライトギターを導入し、アルバム『点呼する惑星[188]BEACON」のレコーディングで使用されている[189]

2017年のライブ「第9曼荼羅」からはGodin Grand Concert Duet Ambianceを導入し、その後のライブでも使用されている。[190][191]

2018年に購入した「Backlund400」は核P-MODELのアルバム『回=回』の制作、およびライブ『回=回』で使用された[192]

また2020年にはボディーカラーが抹茶色の「Mosrite PHYTOELECTRON」を制作[193]。ライブ「24曼荼羅」において使用された[194]

2024年開催のLIVE「HYBRID PHONON 2566⁺」において新たに、EVOのデザインを基に新たな平沢モデルである木製のEVO「PLANT-EVO」を制作し、開発中のモデルを使用した。

MIDIトリガー

1992年以降はカシオ・FZ-1を、パイプオルガンのパイプのように並んだチューブ管を介して鍵盤を操作する用に改造した、MIDIトリガー「チューブラHz(ヘルツ)」を用いていた[24]。2001年開催の『LIVE SOLAR RAY』以降は節電のため、改造した自転車の車輪(ハブダイナモ発電装置)を用い、その電気で作動させたMIDIトリガーのスイッチを押すことで出音する楽器『グラヴィトン』を使用していた[24]

2008年のライブ『PHONON2551』からはミュージカル・テスラコイル「The Musical Tesla Coil Zeusaphone Z-60」[195] を導入し、2009年のインタラクティブ・ライブ『点呼する惑星』からは発光ダイオードの光を遮ることでMIDIを操作するレーザーハープを使用している[196]

レーザーハープは後年に改良が重ねられ、2021年の『24曼荼羅』では認識センサー式へ変更された[197][198][199]。2026年には明和電機が制作した新型機「Qilin/麒麟」を導入している[200]。2017年のライブ『第9曼荼羅』以降は、Novation社製MIDIコントローラのLaunchpadを用いたパフォーマンスを、サポートメンバーの会人に行わせている[201]

また、ヤマハ・Miburiの使用者でもあった[202]。このMiburiは専用トリガーが専用着衣の中に内蔵されており、それを着た人間の動きによってシンセサイザーが演奏できると言うシステムである[203]。1995年に行われたライブ『INTERACTIVE LIVE SHOW 1995「SIM CITY」』、『ENDING ERROR』や2001年に行われたライブ『LIVE SOLAR RAY』でMiburiの演奏をしており、同名のライブDVDで演奏している姿が確認できる[204]

レコーディング機材

P-MODEL時代から自宅録音で製作された作品が多数あり、『賢者のプロペラ』以降のアルバムについては全て自宅スタジオのstudio WIRESELFで録音されている[205]

1987年にはCG制作のために導入したAmiga[206] での楽曲制作を開始。1990年代初頭から『白虎野』まではAmiga用ソフトの「Bars'n Pipes」などで制作した音源をレコーディングなどにも流用し[24][169][207]、2003年までのインタラクティブ・ライブは映像オペレーティングもAmigaで駆動されていた[208]。また、この縁から2005年発表の「AmigaOS 4.0」で起動音を手掛けている[169]。なお、Amigaは「今やAmigaを維持するのはクラシックカーを維持するようなもので、コストがかかる」として、現在は全てMicrosoft Windows環境に移行している[24]

2003年の『BLUE LIMBO』以降導入したケークウォークのDAW「SONAR」を中心に[24]、フリーソフトウェア・シンセサイザー「Synth1」や[24]、EASTWEST製「Hollywood Strings」が主な音源となる[111][169]。2017年、Cakewalk製品の生産終了を機に使用DAWをSONARからStudio Oneに乗り換えた。

また、音声合成を80年代末より活用し、当初はAmiga内蔵の音声合成機能「Sayプログラム」を自身の楽曲やライブ演出で使用していた[209]。P-MODELの楽曲「WIRE SELF」「ERROR OF UNIVERSE」、平沢の楽曲「QUIT」「UNDOをどうぞ」などで確認することができる[210]

アルバム『パプリカ オリジナルサウンドトラック』収録曲である「白虎野の娘」と、アルバム『白虎野』収録曲である「確率の丘」には「アマチュアでも使っているごく普通の廉価なヴォーカルエンジン」を使用していることを公式サイトで明らかにし、具体的にはLOLAであると明らかにした[211]。また、平沢はこのヴォーカルエンジンを「お姉さん」と呼んでいるという噂があったが、これも同誌の中で本人が否定した。ただし、平沢はヴォーカルエンジンのことを「お姉さんは磨けばプロになる。」と表現している[212]

シンセサイザー

マンドレイク時代にCM音楽や放送劇などの効果音制作を行う会社に務めていた平沢は[213]、会社が所有していたMoogの「Mini Moog」やArpの「Arp Odyssey」「Arp 2600」を使用し作曲していた[214]

初期のP-MODEL時代には「KORG 800DV」のピンク・ノイズとリングモジュレーターを活用し「ミュージカル・ホッチキス」を開発した[215]。 「美術館で会った人だろ」や「MOMO色トリック」の間奏で使用された。また、「KORG TRITON」「KORG 800DV」「Roland SH-3」を名器・革新的と評価している[216]

ソロ活動初期は「KORG M1」を中心に使用していた。90年代のP-MODELやソロ活動において、DAWに完全移行するまでアナログ・シンセサイザーがレコーディングで使用されており、1999年当時は「Roland JD800」や「E-MU Proteus」などを使用していた[217]。 以後のレコーディングではフリーソフトシンセである「Synth1」を使用していた。

2021年には雑誌『FILTER Volume.01』の企画でErica Synths製モジュラーシンセサイザー「Black System III」を購入[218]。2026年に行われた核P-MODELのライブにて披露された[219]

ディスコグラフィー

ミュージック・ビデオ

  • 世界タービン(1990年)
  • LOVE SONG(1993年)
  • Siren *セイレーン* (1996年)
  • BERSERK -Forces-(1997年)
  • TOWN-0 PHASE-5(1998年)
  • 賢者のプロペラ-I(2000年)
  • ロタティオン(LOTUS-2)(2001年)
  • RIDE THE BLUE LIMBO(2003年)
  • 白虎野の娘(2007年)
  • TIMELINEの終わり(2022年)[220]
  • BEACON(2022年)[221]

参加作品

著書

公演

P-MODEL又は核P-MODEL名義での公演については「P-MODEL#ライブ・ツアー」を参照。

ライブ・コンサートツアー

さらに見る 年, 形態 ...
形態 タイトル 会場 サポートメンバー
1989年 コンサートツアー 第1回"時空の水"ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
秋元一秀:Com
単発コンサート 人間大地・めざめの里 Festival '89 秋元一秀:Ba
コンサートツアー 第2回"時空の水"ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
秋元一秀:Key
ゲスト:
SOFT BALLET (9月8日)
橋本一子 (9月28日)
単発コンサート across the forewaters (ソロ)
1990年 コンサートツアー ライヴ・フォトン ことぶき光:Key、Cho
小西健司:Key、Cho
秋元一秀:Com
名倉丈雄:Com
ゲスト:
戸川純 (5月19日)
世界タービン・ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
秋山勝彦:Ba
秋元一秀:Key
ゲスト:
梅津和時 (7月4日/7月11日)
戸川純 (7月4日)[注釈 19]
オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ナース (7月11日)
単発コンサート 人間大地・めざめの里 Festival '90 ことぶき光:Key
秋元一秀:Key
ライブイベント ERROR FORCE ことぶき光:Key
秋元一秀:Key
高橋BOB:Ba
藤井ヤスチカ:Dr
コンサートツアー 世界タービン・ツアー Vol.2 戸川純:Cho
1991年 ヴァーチュアル・ラビット・ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
砂原良徳:Key
本地陽子:Viol
横川理彦:Viol
戸川純:Cho
秋山勝彦:Cho
藤井一彦:Cho
藤井ヤスチカ:Cho
ライブイベント I3 DAYS ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
藤木弘史:Key
戸川純:Cho
1992年 Hi-Res (ソロ)
I3 DAYS '92 ことぶき光:Key
高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
ゲスト:
秋山勝彦:Cho
戸川純:Cho
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Cho
砂原良徳:Cho
蔦木栄一:Cho
1993年 ERROR OF INFORMATION 待機 (ソロ)
I3 DAYS '93 高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
TAKA:Key
ゲスト:
小西健司:Cho
1994年 単発コンサート ERROR ENGINE 平沢三幕三時間 第一幕
小西健司:Syn
第二幕
(ソロ)
第三幕
横川理彦:Viol
本地陽子:Viol
高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
TAKA:Key
戸川純:Cho
梅津和時:Sax
1999年 コンサートツアー Live-Phonon 渡橋する声軍 中野テルヲ:Systems
福間創:Systems
TAINACO:Dr
2001年 単発コンサート Hirasawa Energy Works - Solar Live LIVE SOLAR RAY (ソロ)
2005年 ライブ・トーク・イベント -GREEN NERVE PRESENTS- 反射の集いは氷の9 ゲスト:
中野泰博
折茂昌美
2007年 単発コンサート PHONON2550 (ソロ)
2008年 PHONON2551
2010年 PHONON2553
2011年 東京異次弦空洞 Neng:パフォーマンス
Rang:パフォーマンス
2012年 PHONON2555 荒木康弘:Timpani
PEVO1号:Gt
2014年 平沢進×核P-MODEL HYBRID PHONON PEVO1号:Gt、Laser Harp、Tesla Coil
2016年 ライブ・トーク・イベント 景観する循環カフェ (観客参加:Cho)
2017年 景観する循環カフェ(追加公演)
単発コンサート 第9曼荼羅 SSHO:Gt、Cello、Systems
TAZZ:Dr、Violin、Key、Systems
上領亘:Dr (10月のみ)
2019年 ロック・フェスティバル 平沢進+会人(EJIN)
フジロックフェスティバル '19
(3日目)
白会人SSHO:Gt

白会人TAZZ:Gt、Tesla Coil

コンサートツアー 戦法STS
BATTLES JAPAN TOUR 2019
白会人SSHO:Gt

白会人TAZZ:Gt、Violin
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr

2020年 平沢進+会人(EJIN)
会然TREK 2K20
会人93317543:Gt、Cello、Systems

会人66594428:Gt、Ba、Violin、Systems
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr(3月のみ)

2021年 単発コンサート 24曼荼羅 SSHO:Gt、Cello、Dr
TAZZ:Key、Violin、Dr
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr
ロック・フェスティバル 平沢進+会人(EJIN)

フジロックフェスティバル '21

(3日目)

全1公演

   8月22日 苗場スキー場 WHITE STAGE

SSHO:Gt、Cello

TAZZ:Ba、Violin

ユージ・レルレ・カワグチ:Dr

2023年2024年 コンサートツアー 平沢進+会人(EJIN)

HYBRID PHONON 2566

      4月30日 Zepp Haneda

      5月1日 Zepp Haneda

会人SSHO

会人TAZZ

2025年 単発コンサート
ロック・フェスティバル
平沢進+会人(EJIN)

タオの3つのエコー

会人SSHO

会人TAZZ

2026年 単発コンサート タオの3つのエコー 東京 全3公演

4月1日 Spotify O-EAST

4月2日 Spotify O-EAST(昼夜2公演)

会人SSHO

会人TAZZ

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インタラクティブ・ライブ

詳細は「インタラクティブ・ライブ」を参照。

万国点検隊

さらに見る 開催年, サブタイトル ...
開催年 サブタイトル タイトル 舞台
1994年10月12日 - 10月17日 HIRASAWA BYPASS Presents 万国点検隊 トビラ島大追跡旅行団 タイ王国プーケット県
1995年10月10日 - 10月14日 第二回万国点検隊 วิวัฒน์ ธาราสงบ(ウィワット・ターラーサンゴップ)仮想救出移動団 タイ王国・バンコク
1996年10月16日 - 10月22日 第三回万国点検隊 偽装巡礼ソプラノ煩悩団 マレーシアクアラルンプール
1997年10月28日 - 10月31日 第四回万国点検隊 非局所性緑色免疫団 インドネシアバリ島
1998年11月28日 - 12月3日 第五回万国点検隊 世界細胞組合合唱鉄橋団 タイ王国・バンコク、ムアンカーンチャナブリー郡
2000年6月14日 - 6月19日 第六回万国点検隊 平行郷錬金術大プロペラ団 ミャンマーヤンゴンバガン
タイ王国・バンコク
2007年6月29日 - 7月3日 万国点検隊2007 P-0 タイ王国・プーケット県
閉じる

ゲスト・ライブ

さらに見る 年, アクト ...
アクト タイトル 会場 バンドメンバー パート
1978年 The Bach Revolution FM25時・サウンド・カーニヴァル
シンセサイザー・ランド
神尾明朗:Syn
田崎和隆:Syn
小久保隆:Syn
田中靖美:Syn
Syn
1986年 THE LOODS MORE LOUD MACHINE SESSION 西村茂樹:Vo、Gt
鈴木浩司:Gt
村田語:Ba
佐藤勝彦:Dr
Key
1991年 ヤプーズ ヤプーズ デ ラ クルスの犯罪的人生
96m巻・2枚重ねミシン目あり
戸川純:Vo
泉水敏郎:Dr
中原信雄:Ba
吉川洋一郎:Key
ライオンメリィ:Key
Gt
SOFT BALLET SOFT BALLET meets 平沢進 遠藤遼一:Vo
森岡賢:Key
藤井麻輝:Key
上領亘:Dr
石塚伯広:Gt
Gt、Vo
1992年 梅津和時 続々・大仕事 梅津和時:Sax
小西健司:Com
Com
1994年 ヤプーズ I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA 戸川純:Vo
中原信雄:Ba
ライオンメリィ:Key
河野裕一:Gt
新井田耕造:Dr
Gt
TAKA I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA TAKA:Vo
1995年 LONG VACATION LONG VACATION'S LAST TOUR of the 20th CENTURY ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo
中野テルヲ:Key
みのすけ:Dr
2006年 4-D mode1 『Die Rekonstruktion』発売記念ライヴ 小西健司:Com、Vo
横川理彦:Com
成田忍:Com
Com、Gt、Vo
2009年 DRIVE TO 2010 Gt(前もって録画された)
2012年 PEVO PEVO!PEVO!PEVO! PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
2013年 ケラ&ザ・シンセサイザーズ ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー
生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念
(2日目)
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo
三浦俊一:Gt、Key
福間創:Key
RIU:B
Reiko:Dr
Gt、Vo
2014年 PEVO NEOZIC PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
2016年 minus(-) ecru 森岡賢:Key、Vo
藤井麻輝:Key、Vo
Yuumi(FliP):Dr
山口美代子(detroit7):Dr
Gt、Vo
PEVO Mock'n'doll show 2016
擬装市民PEVO誕生
PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
ヒカシュー ヒカシューの絶景クリスマス 巻上公一:Vo
三田超人:Gt
坂出雅海:B
清水一登:Key
佐藤正治:Dr
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:キューピッター
Gt、Vo
閉じる

主なメディア出演

テレビ出演

  • アニマムンディ - ナレーション、1994年、TBS
  • 輝け!噂のテンベストSHOW - 1996年、日本テレビ
  • NEWS23 - インタビュー出演、2001年、TBS
  • 80年代ニューウェーブ特集「P-MODEL」 - 「LIVE SOLAR RAY」放送、インタビュー出演、2001年、NHKBS2
  • ニュース10 - インタビュー出演、2001年、NHK総合
  • FUTURE TRACKS - インタビュー出演、2002年、テレビ朝日
  • シネマ通信 - インタビュー出演、2006年、テレビ東京
  • 最強ダークファンタジー「ベルセルク」TVシリーズ 7/1スタート記念特番[222] - インタビュー出演、2016年、WOWOW

ラジオ出演

  • 平沢進のテクノ実験工房 - パーソナリティ、1994年 - 1995年、FM群馬

インターネット配信・出演

  • 平沢進の亜種音TV - 2004年 - 2025年、teslakite.com
  • 「ベルセルク 黄金時代篇II」公開記念 平沢進と一緒に「Sign」投稿動画を見よう! - 2012年6月、ニコニコ生放送
  • 『ベルセルク 黄金時代篇III 降臨』公開記念 『(`Д´)ワージ!を超えろ!「Aria」歌詞ネットスタンダード認定祭』 - 2012年11月23日、ニコニコ生放送
  • 平沢進のBack Space Pass - 2014年 - 2025年、Ustream、YouTube(現在は一部を除き,アーカイブがYoutubeで視聴可能)
  • 平沢進の亜種音TV - 2026年 - 、Youtube

寄稿

  • ユリイカ』 2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使」[223]青土社、2008年)
  • 現代思想』2011年9月臨時増刊号 総特集=緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ[224](青土社、2011年)
  • 医道の日本 』2016年5月号[225]医道の日本社、2016年)
  • kotoba』2021年秋号 特集「人間拡張はネオ・ヒューマンを生むか?」[226](集英社、2021年)
  • 『ネオ・サピエンス誕生』「ディストピアを脱却するためのデトックス」[227](集英社、2022年)
  • 文學界』2022年9月号「特集『声と文学』」[228]文藝春秋、2022年)

イベント出演

  • 妄想代理人』DVD発売記念イベント「少年バットと呼ばれる通り魔は何者なのか?」 - トークイベント 2004年5月14日開催、新宿ロフトプラスワン[229]
  • 平沢進×斎藤環「平沢進・徹底解剖!」 - トークイベント 2019年2月13日開催、VOLVO STUDIO AOYAMA、ニコニコ生放送[87]

関連人物

関連リンクが存在する人物の詳細は当該項目を参照。

  • 平沢裕一(平沢You1) - 平沢進の実兄。グラフィックデザイナーとして、凍結までのP-MODELのアルバムジャケットやプロモーションビデオを手がけた。マンドレイク時代には演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率い、メジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」のリーダーを務めた。2013年から茨城県つくば市で「GAZIO」を運営し、閉店後は関連イベントを不定期に開催している[230][231]
  • 鎮西正憲 - 平沢進の音楽作品およびライブに長年携わる音響技術者およびレコーディング・エンジニア[232][140][233]今敏監督作品『千年女優』『パプリカ』のサウンド・エンジニアも担当した[234][235]。2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』ではPAエンジニアを務めた。
  • 中野泰博 - 元ディスクユニオン渋谷2号店の店長で、現在はレコード店「ショップメカノ」店長[236]。ディスクユニオン在籍時から平沢と親交があり、FC会報でのライブレポートやファンクラブ関連企画などに関与した。お礼として平沢は核P-MODELのショップメカノ限定シングルを提供していた[237]
  • 高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」や作品のライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め[238]、『初期三部作』のリマスター盤のライナーノーツやベストアルバム『Archetype』の選曲にも携わった。
  • Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。女性音楽ユニット。シンセサイザー教室の生徒であった折茂昌美と足立眞理を、講師であった平沢がプロデュースした。1982年にデビューしその後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストの鈴木KCが参加し、2011年に正式加入。2018年にKCが逝去[239] し、再びソロユニットとなっている。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活動している[240]。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加[241]。2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している[111]2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』には折茂が「シトリン」役として参加[45]した。
  • 今敏 - 漫画家アニメーション監督。高校時代からの平沢のファンでもあり、表現スタイルに最も影響を与えたのは平沢の音楽であると語っていた[242]。『千年女優』以降、『パプリカ』や『妄想代理人』などの音楽も平沢が担当した。平沢から先に作中曲を提供してもらい、それを聴きながらコンテを起こしていた。2010年、平沢も参加予定であった新作『夢みる機械』制作中に膵臓がんで逝去。
  • 丸山正雄 - マッドハウスMAPPAスタジオM2の創業者であるアニメプロデューサー[243]。今敏のプロデューサーを長年務め、今敏作品に関連して漫画『OPUS』のアニメ化企画に際して平沢へ劇伴制作を依頼した[244]。依頼を受けた平沢はタイトル曲「OPUS」を制作し、核P-MODELのアルバム『回=回』に収録している。
  • 秋元きつね - 丁稚奉公と称して80年代後半から90年代前半にかけてツアーライブや作品に参加[245]。平沢を「師匠」と呼んでいた。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。2014年、糖尿病の悪化により逝去。
  • 三浦建太郎 - 漫画作品『ベルセルク』の原作者。学生時代からの平沢のファンであり、漫画制作中も楽曲を流しながら作業していた。ベルセルクのアニメ劇伴を平沢が担当するようになり、以降20年来の付き合いとなる。ゲーム『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』主題歌の「Sign」、映画ベルセルク 黄金時代篇』の主題歌Aria」は三浦が作成した俗語一覧から平沢が作詞・作曲を行った。2021年5月20日、 大動脈解離により急死。
  • 戸川純 - 1983年に結成したヤプーズのリーダー。1991年には平沢がヤプーズのサポートに参加。同年にはTV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオⅡ」にヤプーズで出演した[246]。また、1990年~1994年にかけて戸川が平沢のライブにサポートメンバーとして参加している。
  • ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天のリーダー。80年代後半には初期P-MODELのコピーバンド「此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド」を平沢と共に結成した。また、2013年「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー/生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念・新宿ロフト4days」に平沢がゲスト出演し[247]、2016年12月の「ヒカシューの絶景クリスマス」には「キューピッター」として参加した[248]
  • 大和久マサル - 3DCG映像作家[249]。1998年にTOWN-0 PHASE-5のMV制作を担当して以降、平沢のMV制作の他、映像作品の編集やインタラクティブ・ライブの3DCGも担当している[249]。また、自身のブログ上にて制作した作品の資料などを公開している[250]
  • PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。1stアルバムはヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュースを行った。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した[182][251][252]
  • 中井敏文 - アーティスト・グラフィックデザイナー。1993年に開催されたP-MODELコピーバンド大会の初代優勝者。以降、平沢進・P-MODELのアルバムやビデオのアートワークを担当する傍ら、小西健司4-D中野テルヲのスタッフとしても携わっていた。2021年5月24日には平沢の自社レーベル「TESLAKITE」よりアルバム2作品がリリースされた[253]
  • 中村健寿 - 茨城県つくば市のヴィーガンラーメン専門店「KENJUキッチンの店主[254][255]。「KENJUキッチン創業三周年感謝祭」では平沢You1が創業三周年記念グッズであるランチョンマットのデザインを行った。また、平沢進と対談収録がYoutubeチャンネルにて無料公開された[256][257]
  • ユージ・レルレ・カワグチ - ドラマー。平沢が「平沢進+会人」のサポートドラマーを探していたところ、ロンドンの地下鉄内でのドラムパフォーマンス動画に衝撃を受け、サポートを依頼した[258][259][260]
  • ナカムラルビイ - サックス奏者・パフォーマー。父親はミュージシャンである中村達也。2022年3月に開催されたインタラクティブ・ライブ『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に"ルビイ"役として参加した[45]。以降、「KITE IN CLOUD」レーベルにて作品を発表している。
  • 八木智晴 - デザイナー。回=回より平沢のステージ衣装を手掛ける。[261][262][263]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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