百川学海
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『百川学海』は咸淳9年(1273年)の左圭序があり、南宋末に刊行された叢書。漢籍の叢書としては『儒学警語』(1202年)より遅れるが、『儒学警語』は抄本(手書き)で、あまり利用できる人が多くなかったのに対し、『百川学海』は印刷されたために大きな影響を及ぼした。大蔵経や道蔵などの先行する特定分野の叢書も存在している。熹平石経も書籍ではないが、形式は叢書に相当する。
題名は揚雄『法言』学行篇の「百川は海に学びて海に至る」という言葉に由来し[1]、百の書物をひとつの叢書にまとめていることを意味する。甲集から癸集までの10集に分かれており、主に唐宋の書物を合計100種類集めている(後漢の蔡邕『独断』のように、それ以外の時代の書物も少数含まれている)。
陸羽『茶経』、李涪『刊誤』、葉夢得『石林詩話』など、制度・詩文・書画・飲食・園芸などの分野にわたる諸書を収録する。
編者の左圭については、序文によって字を禹錫、号を古鄮山人といったことがわかるが、それ以上のことはわからない。