咸淳 From Wikipedia, the free encyclopedia 咸淳(かんじゅん)は、中国・南宋の度宗の治世に使用された元号。1265年 - 1274年。 プロジェクト 紀年法 咸淳元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年 西暦1265年1266年1267年1268年1269年1270年1271年1272年1273年1274年 干支乙丑丙寅丁卯戊辰己巳庚午辛未壬申癸酉甲戌 元至元2至元3至元4至元5至元6至元7至元8至元9至元10至元11 出来事 景定5年 12月1日:度宗の即位により翌年を「咸淳元年」とする踰年改元の詔が下る。 咸淳元年 4月19日:賈似道が太師の位を加える。 5月1日:史弥遠を「政策元勲」に追叙する。 7月26日:州県に銭法を厳しくし、民間の牌帖使用を禁ずる詔勅が出る。 8月:廬州・安慶がモンゴル軍により侵される。 8月29日:忠州を咸淳府と改める。 咸淳2年 7月11日:童子科を廃する。 咸淳3年 8月:モンゴル軍が襄陽に侵入して劫掠する。 咸淳4年 6月1日:浙西の公田荘を廃する。 9月9日:襄陽・樊城に対するモンゴル軍の包囲が始まる(襄陽・樊城の戦い)。 11月25日:義役法が施行される。 咸淳5年 3月14日:公田に役人を置き、租税を監督させる詔勅が出る。 12月2日:呂文徳死去。 咸淳6年 正月21日:成天暦が施行される。 8月25日:郡県に推排法が施行される。 10月10日:范文虎が襄陽・樊城を救援しに派遣される。 咸淳7年 3月23日:内外百司の官吏を減らす。 5月:モンゴル軍が四川・淮西に来襲する。 6月11日:范文虎の援軍が襄陽に至りモンゴル軍と交戦したが、敗退する。 11月15日:モンゴルが国号を「大元」と改める。 12月21日:士籍が設置される。 咸淳8年 5月:宋軍が襄陽の救援を再び試みたが、包囲を解くには失敗する。 咸淳9年 正月11日:樊城が突破される。 2月27日:襄陽の陥落。南宋の対モンゴル防御線が事実上崩壊される。 咸淳10年 7月9日:度宗が崩ずる。 10月22日:恭帝の即位により翌年から「徳祐」へ踰年改元の詔が下る。 関連項目 元号一覧 (中国) 前の元号景定 中国の元号南宋 次の元号徳祐 表話編歴宋の元号北宋の元号 建隆 乾徳 開宝 太平興国 雍熙 端拱 淳化 至道 咸平 景徳 大中祥符 天禧 乾興 天聖 明道 景祐 宝元 康定 慶暦 皇祐 至和 嘉祐 治平 熙寧 元豊 元祐 紹聖 元符 建中靖国 崇寧 大観 政和 重和 宣和 靖康 南宋の元号 建炎 紹興 隆興 乾道 淳熙 紹熙 慶元 嘉泰 開禧 嘉定 宝慶 紹定 端平 嘉熙 淳祐 宝祐 開慶 景定 咸淳 徳祐 景炎 祥興 中国の元号一覧 Related Articles