神戸町 (横浜市)
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| 神戸町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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横浜ビジネスパーク遠景。中央がNRIタワー。 | |
北緯35度27分14秒 東経139度35分53秒 / 北緯35.453811度 東経139.598125度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 保土ケ谷区 |
| 人口情報(2025年(令和7年)6月30日現在[1]) | |
| 人口 | 1,705 人 |
| 世帯数 | 945 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.27 km² | |
| 人口密度 | 6314.81 人/km² |
| 設置日 | 1940年(昭和15年)11月1日 |
| 郵便番号 | 240-0005[3] |
| 市外局番 | 045(横浜MA)[4] |
| ナンバープレート | 横浜 |
神戸町(ごうどちょう)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施区域[5]。面積は0.27km2[2]。
保土ケ谷区の東部に位置し、東に岩間町、南に月見台、南西に桜ケ丘、北西に星川、北に川辺町、北東に天王町と接している。帷子川沿いの低地に古くから発展した住宅街で、川辺町・天王町との境には相鉄本線が走る。町の南の古東海道沿いにある天徳院には、『東海道人物志』に眼科医として紹介された宮本周司の墓がある[6]。環状1号から北西に入る大門通り沿いには神明社があり、8月最終土曜の夏祭りには賑わう[7]。神明社は、古くは「榛谷(はんがや)御厨」と呼ばれ、これが「ほどがや」の語源になった説がある[8]。南側の月見台との境の斜面は神戸緑地として保全され、西端には横浜市立保土ケ谷小学校と保土ケ谷スポーツセンターがある。
歴史
町名の由来
地名について、郷土史家の武内廣吉は、久良岐郡の郷家が郷戸に転じ、伊勢神宮の御厨として神明社に神戸(かんべ)が設けられたが、「ごうど」と呼びならわされていたのが今に及んでいると考えている。『新編武蔵風土記稿』には「古神田なるにより、神戸の地名おこりなるべし」の記述がある[8][9]。
沿革
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 橘樹郡保土ケ谷町が横浜市に編入し、神戸町を新設設置[10]。
- 1927年(昭和2年)10月1日 - 神戸町を廃止し、神戸上町、神戸下町、帷子町の各町を設置[11]。
- 1940年(昭和15年)11月1日 - 神戸下町の一部を編入し、神戸町を再び新設設置[12]。
- 1974年(昭和49年)3月6日 - 岩間町、天王町の各一部を編入[13]。
- 1976年(昭和51年)7月10日 - 神戸町の一部を天王町へ編入[13]。
- 1976年(昭和51年)11月29日 - 神戸町の一部を星川一丁目へ編入[13]。
- 1992年(平成4年)10月19日 - 神戸町の一部を桜ケ丘一丁目へ編入。月見台との境界の調整[14]。
工業
1877年(明治10年)に設立した東京麦酒は、1893年(明治26年)に当地に移転。1907年には大日本麦酒に買収され、ビールとリボンシトロンを製造した。1916年(大正5年)、隣接地に日本硝子工業保土ケ谷工場が設立され、ビール瓶やサイダーの瓶を製造した。1920年(大正9年)7月、大日本麦酒と日本硝子工業が合併。日本最大の製瓶工場として発展した。1936年(昭和11年)、日本硝子株式会社横浜工場として大日本麦酒から分離独立した。この頃には、清涼飲料水の製造は終了している。帷子川には原料輸送用のはしけの船着き場が造られ、工場敷地には台形状に積まれた空き瓶と、再生待ちの割れた空き瓶の山がいくつもあった。星川から仏向町にかけては、瓶の原料の珪砂の採取が行われた[15][16]。1985年(昭和60年)、製造拠点を埼玉県に移転し、当地での操業を終了。跡地は、野村不動産により横浜ビジネスパークとして再開発された[15]。桜ケ丘から神戸町に降りる坂を「ビール坂」と称するのは、かつてのビール工場の名残である。
世帯数と人口
2025年(令和7年)6月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 神戸町 | 945世帯 | 1,705人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 1,890 |
| 2000年(平成12年)[18] | 1,764 |
| 2005年(平成17年)[19] | 1,842 |
| 2010年(平成22年)[20] | 1,861 |
| 2015年(平成27年)[21] | 1,853 |
| 2020年(令和2年)[22] | 1,746 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 775 |
| 2000年(平成12年)[18] | 771 |
| 2005年(平成17年)[19] | 860 |
| 2010年(平成22年)[20] | 931 |
| 2015年(平成27年)[21] | 977 |
| 2020年(令和2年)[22] | 886 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[23]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 横浜市立保土ケ谷小学校 | 横浜市立岩崎中学校 |
