東濃鉄道笠原線
東濃鉄道の鉄道路線
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
- 1924年(大正13年)
- 1928年(昭和3年)7月1日 - 笠原鉄道として新多治見駅 - 笠原駅が蒸気動力により開業[5]
- 1929年(昭和4年)6月19日 - 鉄道免許状下付(土岐郡下石町-東春日井郡水野村間)[6]
- 1936年(昭和11年) - ガソリン動車運転開始
- 1937年(昭和12年)6月1日 - 多治見駅にスイッチバックする形で0.3km延伸、ガソリンカー発着線を新設[7][8]
- 1939年(昭和14年)3月2日 - 鉄道起業廃止許可(土岐郡下石町-愛知県東春日井郡水野村間)[9]
- 1944年(昭和19年)3月1日 - 笠原鉄道が駄知鉄道等と合併し、東濃鉄道の笠原線となる
- 1953年(昭和28年)3月 - ディーゼル機関車入線により客貨分離
- 1958年(昭和33年) - 笠原線多治見駅廃止、営業キロ0.3km短縮[10]
- 1971年(昭和46年)6月13日 - 乗客数の減少により、笠原線の旅客鉄道営業休止。貨物営業のみとなる
- 1973年(昭和48年)3月24日 - 下滝呂駅、滝呂駅廃止[11]
- 1978年(昭和53年)11月1日 - 全線廃止。東濃鉄道は鉄道事業廃止
路線データ
運転
車両
蒸気機関車
ディーゼル機関車
- DB181形 - DB181
- 1940年(昭和15年)に新潟鐵工所で海軍策二燃料廠(四日市)向けに製造したものを財務局から1952年(昭和27年)に譲受したセミセンターキャブの機械式凸形機関車で、車体延長・エンジン換装の上1953年(昭和28年)に新造名目で使用を開始した。伝達機構はロッド式である。1967年(昭和42年)廃車。
- DC182形 - DC182
- 1955年(昭和30年)に新造名目で投入したL形の機械式機関車だが、元は1933年(昭和8年)に日本車輌が内務省向けに製造したものとされる。元は船舶用の機関を積んでいたため高いエンジンルームのエンドキャブ形だったが、入線時にエンジン換装に伴ってこの部分の背を低くしている。伝達機構はロッド式である。1971年(昭和46年)廃車。
- DD100形 - DD105, DD106
- 1964年(昭和39年)に大井川鉄道から譲受したセンターキャブの凸形液体式機関車で、井川線の車両限界に由来する低く平たいキャブが特徴。1978年(昭和53年)の廃線まで使用され、廃線後はDD105が同年に廃止された北恵那鉄道線の撤去工事用に譲られ、DD106は他ならぬ笠原線の撤去工事で使用された。
気動車
変速方式は全て機械式である。
- キハ1形 - キハ1, キハ2
- キハ1は笠原鉄道が1936年(昭和11年)に新製した日本車輌製のガソリンカー、キハ2は駄知鉄道が1929年(昭和4年)に新製した松井自動車工作所製のガソリンカーのジハ1(1932年にキハ1に改称)を1949年(昭和24年)の笠原線転属時に改番したもの。いずれも二軸車で、2両とも片側の車端部に荷台が設置されていた。2両とも1956年(昭和31年)に廃車されたが、キハ1の車体は廃車後の一時期、笠原駅構内で物置として利用されていた。
- キハ10形 - キハ12
- 駄知鉄道が1931年(昭和6年)に新製した日本車輌製のガソリンカー。片ボギー車で、ボギー台車側の車端部に荷台が設置されていた。1950年(昭和25年)の駄知線電化時に笠原線に転属したが、1963年(昭和38年)に廃車された。
- キハ20形 - キハ23
- 駄知鉄道が1933年(昭和8年)9月に新製した日本車輌製のガソリンカー。キハ12に比べて大型化されており、両側に荷台が付いたボギー車となった。エンジンはウォーケシャ6SRL (79ps) を搭載。1941年(昭和16年)8月には木炭瓦斯発生装置を搭載。駄知線電化時に休車となったが1952年(昭和27年)にディーゼルエンジン(三菱DB5L機関 (105ps) )に換装して笠原線に転属し、1971年(昭和46年)の旅客営業廃止まで使用された。
- キハ500形 - キハ501, キハ502
- キハ501は1953年(昭和28年)に国鉄から譲受した買収気動車で、元は1931年(昭和6年)に播丹鉄道が梅鉢鉄工所で新製したガソリンカーのレカ15が1941年(昭和16年)にキハ500、1943年(昭和18年)の買収時にキハ40350となったもの。ボギー車で、元は両側に荷台が付いていたが、東濃入線時に荷台部分の車体延長とディーゼルエンジン(日野DA57 (100ps) )への換装が行われている。車体延長により定員は92人となった。1962年(昭和37年)には、変速機の交換を行った。
- キハ502は1965年(昭和40年)にその前年廃線となった防石鉄道から譲受したものだが、元は中国鉄道が1934年(昭和9年)に日本車輌で新造したガソリンカーのキハニ172である。搭載エンジンは、ウォーケシャ6RB (78ps) 。1944年(昭和19年)の買収時もそのままの番号であったが1949年(昭和24年)に廃車となり、1952年(昭和27年)に防石鉄道が譲受してキハニ101となった。この時にディーゼルエンジン(日野DA54 (80ps) )に換装されている。ボギー車で、旧荷物室側に荷台がある。定員は100人。
- いずれも1971年(昭和46年)の旅客廃営業廃止まで使用されていた。
客車
駅一覧
1958年廃止区間
括弧内は累計営業キロ。
- 新多治見駅 (0.0 km) - 多治見駅 (0.3 km)
廃駅
いずれも全線廃止に先立ち、1973年3月24日に廃止。
輸送・収支実績
| 年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1928 | 206,386 | 29,887 | 35,720 | 30,101 | 5,619 | 雑損624 | 4,047 | ||
| 1929 | 196,747 | 45,396 | 67,529 | 43,443 | 24,086 | 雑損償却金11,265 自動車74 | 13,364 | ||
| 1930 | 117,833 | 35,900 | 34,138 | 25,625 | 8,513 | 雑損17自動車785 | 13,628 | ||
| 1931 | 110,094 | 34,159 | 31,648 | 20,245 | 11,403 | 自動車70 | 14,600 | ||
| 1932 | 99,140 | 40,427 | 33,834 | 22,482 | 11,352 | 自動車997 | 雑損1,138 | 14,553 | |
| 1933 | 112,185 | 52,240 | 40,381 | 35,363 | 5,018 | 自動車3,142 | 償却10,687 | 14,640 | 18,759 |
| 1934 | 102,603 | 53,746 | 37,515 | 34,491 | 3,024 | 自動車3,605 | 12,805 | 20,093 | |
| 1935 | 78,342 | 44,270 | 31,283 | 27,180 | 4,103 | 自動車1,818 債務免除1,379 | 雑損償却金15,802 | 10,351 | 19,691 |
| 1936 | 75,847 | 38,050 | 29,847 | 26,756 | 3,091 | 自動車1,815 | 雑損償却金7,777 | 8,590 | 19,555 |
| 1937 | 104,330 | 39,284 | 32,657 | 30,171 | 2,486 | 自動車5,276 | 雑損1,066 償却金10,854 | 7,680 | 15,898 |
| 1939 | 155,219 | 51,942 | |||||||
| 1941 | 397,667 | 78,642 | |||||||
| 1943 | 809,255 | 101,999 | |||||||
| 1945 | 1,485,206 | 72,954 | |||||||
- 鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版