等々力 (川崎市)
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| 等々力 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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等々力緑地 | |
北緯35度35分05秒 東経139度39分05秒 / 北緯35.584853度 東経139.651294度 | |
| 座標位置:等々力緑地付近[1] | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 |
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| 人口情報(2025年(令和7年)12月31日現在[2]) | |
| 人口 | 395 人 |
| 世帯数 | 203 世帯 |
| 面積([3]) | |
| 0.758946749 km² | |
| 人口密度 | 520.46 人/km² |
| 設置日 | 1932年(昭和7年) |
| 郵便番号 | 211-0052[4] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[5] |
| ナンバープレート | 川崎 |
歴史
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった[7]。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている[8]。江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている[9]。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された[9]。
大正末期、多摩川に堤防が築かれた後には当初は酪農なども行われた。その後当地が旧河道で大量の砂利が埋もれており[10]東京横浜電鉄によって陸地からの採掘が行われ、「七つが池」と呼ばれる池ができた[9]。昭和30年代にはその七つが池も埋め立てられ住宅地となっていったが、それと並行する形で等々力緑地の整備も進んでいき[9]、現在見るような都市公園となっていった。なお、等々力緑地内に現在も残る釣池[11]は、「七つが池」のうちの五号池が残ったものである[9]。
地名の由来
対岸にある谷沢川が多摩川と合流する地点、あるいは谷沢川の途中にある不動の滝での水の轟音が由来と考えられている[7]。戦国時代の文献には「とどろ木」や「兎々呂城」の形で残り、江戸時代に「等々力」の字が当てられた[7]。
沿革
- 1551年(天文20年) - 吉良頼康判物に「とどろ木」の形で見える。
- 1717年(享保2年) - 小杉村との間に境界争いが起き、宮内村の立ち会いで解決させる。
- 1725年(享保10年) - 田中休愚により多摩川の瀬替えが行われ[7]、当地は多摩川の対岸にある飛び地となった。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により玉川村が成立。当地は東京府荏原郡玉川村大字等々力字向河原、字立返となる[7]。
- 1912年(明治45年) - 府県境が多摩川で引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災が発生。復興の建設ラッシュに合わせ、多摩川の砂利が採掘されていった。
- 1925年(大正14年) - 中原村と住吉村の大半が合併して、中原町を新設。当地は中原町大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1932年(昭和7年) - 中原町が川崎市に編入される。当地は川崎市大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1936年(昭和11年) - 二子橋以南(当地を含む)の河原からの砂利採掘が禁止される。当地では陸掘が行われ、「七つが池」ができた。
- 1959年(昭和34年) - 当地に水道が開通する。また、等々力町内会が成立する。
- 1966年(昭和41年) - 等々力陸上競技場が開場。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市中原区大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1988年(昭和63年) - 川崎市市民ミュージアムがオープン。
- 1992年(平成4年) - Jリーグが開幕。ヴェルディ川崎が等々力陸上競技場をホームスタジアムとして参入(2001年に東京都へ移転)。
- 1994年(平成6年)10月17日 - 住居表示が実施され、川崎市中原区等々力となる[6]。
- 1995年(平成7年) - 川崎市とどろきアリーナがオープン。
- 1999年(平成11年) - 等々力陸上競技場をホームスタジアムとして川崎フロンターレがJ2に参入。
町域の新旧対照
等々力は、1994年10月17日に住居表示が実施されているが、その際に宮内字中河原耕地・字下河原耕地、小杉字堤外も等々力に編入されている[12]。
世帯数と人口
2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 等々力 | 203世帯 | 395人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[13] | 485 |
| 2000年(平成12年)[14] | 507 |
| 2005年(平成17年)[15] | 491 |
| 2010年(平成22年)[16] | 451 |
| 2015年(平成27年)[17] | 425 |
| 2020年(令和2年)[18] | 412 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[13] | 198 |
| 2000年(平成12年)[14] | 232 |
| 2005年(平成17年)[15] | 263 |
| 2010年(平成22年)[16] | 249 |
| 2015年(平成27年)[17] | 220 |
| 2020年(令和2年)[18] | 212 |
学区
事業所
交通
施設
- 等々力緑地
- 等々力陸上競技場 - 川崎フロンターレがホームスタジアムとしている。
- 川崎市等々力球場
- 川崎市とどろきアリーナ
- 川崎市市民ミュージアム
- 等々力緑地釣池
おもな出身者
- 松島勇気 - ミュージカル俳優
