市ノ坪 (川崎市)
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| 市ノ坪 | |
|---|---|
| 大字 | |
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市ノ坪のマンション | |
北緯35度33分53秒 東経139度40分04秒 / 北緯35.564728度 東経139.667789度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 |
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| 人口情報(2025年(令和7年)12月31日現在[1]) | |
| 人口 | 12,046 人 |
| 世帯数 | 6,299 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.459723868 km² | |
| 人口密度 | 26202.69 人/km² |
| 設置日 | 1933年(昭和8年) |
| 郵便番号 | 211-0016[3] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
| ナンバープレート | 川崎 |
市ノ坪(いちのつぼ)は、神奈川県川崎市中原区の大字[5]。住居表示未実施[6]。面積は全域で45.22 haである[2]。
地価
歴史
条里制の遺構と考えられる地名を持つ[7]当地であるが、当地の古い歴史は残っておらず、かつて鹿島田と一村だったことだけを「新編武蔵風土記稿」が伝えている[10][11]。
江戸時代の当地は旗本の内藤氏領だったものが、元禄時点では天領となっており[5]、さらに徳川家継の御仏殿料として増上寺に寄進され[7]、幕末まで増上寺領であった[5]。村高は、正保年間の「武蔵田園簿」で200石、「元禄郷帳」では302石4斗あまり、「天保郷帳」や幕末の「旧高旧領取調帳」では299石3斗あまりというように推移していた[7]。「新編武蔵風土記稿」では民家49軒[11]。
水利としては二ヶ領用水や、その分水である[12]市ノ坪川[10]という水路が使われていた。また、多摩川の氾濫も、江戸時代には5年に1度ほど起きていた[13]。農産品としては花づくりが行われ、池上幸豊がその隆盛を「与楽亭集」に書き残している[7]ほか、天明の大飢饉以降にはヒエ・ジュズダマ・エンドウなども植えられ[13]、農閑期にはしめ飾り作りも行われた[10]。
明治に入ると、花づくりがさらに広まり、60戸あった農家のほとんどで行われるようになった[13]。さらに、大正時代にはフレームを使うようになり、昭和には冷蔵庫を用いた促成栽培が開発されるなど、技術的に発展を遂げていった[14]。また当地は、行政上住吉村→中原町→川崎市と推移していき、住吉村時代には当地に小学校も作られたが、中原町になるのと前後して廃止となった[15]。
当地には大正末期以降に多数の鉄道が通ったため、土地や水路、神社の参道までが分断されていった[16]。そして、戦時中には当地にも軍需工場が作られたほか、食糧増産を目的として花や、桃など果樹の栽培も中断することとなった[17]。
戦後には花の栽培も一時復活したが、周囲で急激に宅地化が進んだこと、また交通の発達で遠方からでも出荷できるようになったこともあり、衰退の道をたどっていった[14]。一方、しめ飾り作りは平成の世にも続けられている[10]。
地名の由来
条里制で36に割られた区画のうちの「一ノ坪」に由来するものと考えられている[7]。ただ、条里遺構は判然としない[10]ほか、通常の6里四方より区画が小さかったとする見方もある[13]。
沿革
- 1610年(慶長16年)- 二ヶ領用水が完工する。
- 1717年(享保2年)- 当地が増上寺へ寄進される。
- 1770年(明和7年)- 当地にしめ飾りの作り方が伝わる[7]。
- 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県所属となる。
- 1874年(明治7年)- 大区小区制の施行により、当地は第4大区第7小区に属する[7]。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、住吉村が成立。市ノ坪はその大字となる。
- 1903年(明治36年)- 住吉村立共盛尋常小学校が開校(1924年廃校)[15]。
- 1916年(大正5年)- 電線が引かれる[17]。
- 1925年(大正14年)- 住吉村の大半と中原村が合併して中原町を新設。中原町市ノ坪となる。
- 1926年(大正15年)- 東京横浜電鉄(現在の東急東横線)が開通。当地を通過する。
- 1927年(昭和2年)- 南武鉄道(現在の南武線)が開通。東横線が盛土となり、神社の参道も分断された[17]。
- 1929年(昭和4年)- 品鶴線が開通。
- 1933年(昭和8年)- 中原町が川崎市に編入される。川崎市市ノ坪となる。
- 1939年(昭和14年)- 東横線に工業都市駅が開業(1953年廃止)。
- 1960年(昭和35年)- 市ノ坪川が暗渠となる[17]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。川崎市中原区市ノ坪となる。
- 1973年(昭和48年)- 川崎市住宅公社による市ノ坪住宅が完成[13]。
小字
当地には、地租改正の際に[7]、外屋敷[1~138番地]・中村通[139~154番地]・道内(みちうえ)[155~356番地]・広町[357~396番地]・田向[397~506番地]・下橋場[507~578番地]・新田[579~647番地]・平間境[652~721番地]という8つの小字が設定された[18]。
世帯数と人口
2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 市ノ坪 | 6,299世帯 | 12,046人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[19] | 7,643 |
| 2000年(平成12年)[20] | 7,499 |
| 2005年(平成17年)[21] | 8,418 |
| 2010年(平成22年)[22] | 8,796 |
| 2015年(平成27年)[23] | 9,214 |
| 2020年(令和2年)[24] | 11,835 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[19] | 3,320 |
| 2000年(平成12年)[20] | 3,505 |
| 2005年(平成17年)[21] | 4,051 |
| 2010年(平成22年)[22] | 4,278 |
| 2015年(平成27年)[23] | 4,520 |
| 2020年(令和2年)[24] | 5,949 |
