苅宿 (川崎市)
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| 苅宿 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯35度33分41秒 東経139度39分51秒 / 北緯35.561389度 東経139.664275度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 |
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| 人口情報(2025年(令和7年)12月31日現在[1]) | |
| 人口 | 5,618 人 |
| 世帯数 | 3,067 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.274818072 km² | |
| 人口密度 | 20442.61 人/km² |
| 設置日 | 1933年(昭和8年) |
| 郵便番号 | 211-0022[3] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
| ナンバープレート | 川崎 |
苅宿(かりやど)は、神奈川県川崎市中原区の町名。丁目のない単独行政地名。住居表示実施済区域[5]。面積は27.5 ha[2]。
地価
中原区の南部、二ヶ領用水の右岸に位置する[6]。土地は多摩川の沖積低地であり[6]、一帯は住宅地となっている[7]ほか、帝国通信工業や中小の工場が立ち並ぶ地帯でもある[8]。北部を東海道新幹線が、南端を東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過している。
苅宿は北端で木月住吉町と、北東端で二ヶ領用水を挟んで市ノ坪と、東端で幸区鹿島田と、南端でガス橋通りを挟んで大倉町や幸区新川崎と、南西端で西加瀬や幸区北加瀬と接する(特記のない町域は中原区所属)。
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の神奈川県地価調査によれば、苅宿4-39の地点で34万3000円/m²となっている[9]。
歴史
中世以前
当地には古代に条里制が施行されたと見られており[10]、また平将門が当地に一泊したという伝承が『新編武蔵風土記稿』に残る[6][11]が、当地が文献に登場するのは1559年(永禄2年)の『小田原衆所領役帳』であり、「稲毛鹿島田借宿」とあったことから、当地が鹿島田の一部であり、また「借宿」と表記していたことが読み取れる[6]。
近世
江戸時代の当地は苅宿村として一村となった。領主は旗本の杉田家であったが[10]、明和期に杉田家が断絶したことで収公され、天領となり幕末に至っている[12]。村高は、正保年間の『武蔵田園簿』から『元禄郷帳』、『天保郷帳』、幕末の『旧高旧領取調帳』まで200石と一定であった[10]。水利は苅宿の北端で二ヶ領用水から分流していたが、干害に襲われることもあった[6]。過重な助郷の負担で生活が困窮したこともあり、副業として紙すきが行われていた[13]。古紙を原料としてちり紙を作るもので[13]、最盛期には苅宿の42軒中35軒が手がけていた[14][注釈 1]。
明治以降
明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上は苅宿村→住吉村→中原町→川崎市と推移していった[12]。明治中期頃から桃や梨の栽培が行われ、昭和期には野菜栽培も行われたが[12]、1937年(昭和12年)に東京航空計器が進出して以降、多数の軍需工場が当地に作られ[15]、また川崎大空襲での被害も受けた[12]。
工場建設に合わせて住宅も建設されたが、都心への利便性もあり、1956年(昭和31年)以降に住宅建設が加速していった[15]。その中には県や市、住宅公社などによるものも含まれ、また小学校も新設された[10]。結果、当地の農地は他地域より早いうちから姿を消していった[15]。
地名の由来
当地に平将門が宿したことに由来すると伝わる[15]が、古代の鎌倉道が多摩川と交差する地点にも近いことから、正規の宿場でない宿があった地という見方もある[6]。いずれにしても、『小田原衆所領役帳』には「借宿」とあり、江戸時代には「苅宿」へと転じている[6]。[注釈 2]
沿革
- 1559年(永禄2年)-『小田原衆所領役帳』に「稲毛鹿島田借宿」とある。
- 1611年(慶長16年)- 二ヶ領用水が開通。当地も潤される。
- 1628年(寛永5年)- 将軍の御鷹場となる[6]。
- 明和年間 - 杉田家断絶。天領となる。
- 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県に属する。
- 1874年(明治7年)- 大区小区制により、当地は第4大区第7小区に属する[12]。
- 1889年(明治22年)- 町村制施行により住吉村が成立。苅宿はその大字となる[12]。
- 1923年(大正12年)- 関東大震災。当地では八幡社だけが崩れ、民家の倒壊はなかった[13]。
- 1925年(大正14年)- 住吉村の大半と中原村が合併して、中原町を新設。中原町苅宿となる。
- 1933年(昭和8年)- 中原町が川崎市に編入される。川崎市苅宿となる。
- 1937年(昭和12年)- 東京航空計器の工場が設置される。
- 1941年(昭和16年)- 三菱重工・荏原製作所・帝国通信工業・不二越精機・藤井精機などの工場が設置される[15]。
- 1957年(昭和32年)- 川崎市立苅宿小学校が開校[10]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市へ移行。当地は川崎市中原区苅宿となる。鹿島田の一部を編入[12]。
- 1974年(昭和49年)- 大倉町が成立。当地の一部も同町となる[10]。
- 2009年(平成21年)- 住居表示実施。これに伴い木月住吉町、西加瀬、市ノ坪との境界を変更する[5][16]。
世帯数と人口
2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 苅宿 | 3,067世帯 | 5,618人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 5,172 |
| 2000年(平成12年)[18] | 5,255 |
| 2005年(平成17年)[19] | 4,721 |
| 2010年(平成22年)[20] | 5,179 |
| 2015年(平成27年)[21] | 5,231 |
| 2020年(令和2年)[22] | 5,297 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 2,250 |
| 2000年(平成12年)[18] | 2,426 |
| 2005年(平成17年)[19] | 2,294 |
| 2010年(平成22年)[20] | 2,559 |
| 2015年(平成27年)[21] | 2,603 |
| 2020年(令和2年)[22] | 2,754 |


