紀元前494年
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できごと
ペルシア
- 反抗するギリシアのいくつかの都市国家を成功裏に占拠すると、アルタフェルネスに率いられたアケメネス朝ペルシア軍は、ミレトスを包囲した。ミレトスの港近くのラデ島で、決定的なラデ沖の戦いが行われた。数では劣っていたが、サモス島とレスボス島からの船が撤退するまでの間は、ギリシア軍が優勢であった。しかし、突然の離脱が戦争の潮目を変え、残されたギリシア軍は壊滅された。その直後にミレトスは降伏し、イオニアの反乱は終結した。
- ペルシアの指導者アルタフェルネスとマルドニオスは、イオニアの都市に自治権を認めた。彼らは賠償金を放棄し、これまでと同程度の税金だけを取った。ペルシアは、イオニアにおけるギリシアの暴政を廃し、民主主義を認めた。
- ペルシアは、ディディマのアポローン神殿を焼き払った。
ギリシア
- ペルシアの同盟国であるフェニキアは、海賊と見なしたギリシア人に対して、膨大な賠償金を請求した。
- トラキア人及びスキタイは、ミルティアデスをケルソネソスから連れ戻した。ミルティアデスは、5隻の船に宝を載せ、アテナイに向かった。ミルティアデスの長子メティオコスが船長を務める1隻の船は拿捕され、メティオコスは生涯、ペルシアの牢に入れられた。
- スパルタ王クレオメネス1世は、ティリンス近郊のセペイアの戦いで、アルゴス軍に大勝した。
- ミレトスの前僭主ヒスティアイオスは、ペルシアに捕まり、アルタフェルネスによってサルディスで処刑された。
共和政ローマ
- 軍事遠征の終わりに当たり、ローマ軍を構成するプレブス(平民)は、ローマ外側の聖山(モンテ・サクロ)に撤退した。いわゆる「平民分離派」と呼ばれる兵士は、新しい街を築く恐れがあった。この分離を終わらせるため、プレブスはパトリキ(貴族)から、2人の護民官を選ぶことを認められた。
- 元老院とローマ市民は、マニウス・ウァレリウス・マクシムスを独裁官に指名した。
- アエディリスが初めて設置された。
中国
誕生
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