緑 (墨田区)
From Wikipedia, the free encyclopedia
河川
歴史
居住地としての始まりは、江戸時代の明暦年間にさかのぼる。明暦の大火により本所一帯の開拓整地が行われた。その後、元禄元年(1689年)に「緑町」という町名が付けられた。当時は、緑町一丁目から五丁目まであり、道路が碁盤目上に走り、町屋や武家屋敷が整備された。
明治時代に入ると、現在の北斎通りに当たる南割下水までが緑町として扱われることとなった。その名残として、北斎通りの亀沢二丁目付近にある公園には「緑町公園」の名称が使用されている。なお、この緑町公園は、総武線の高架線を挟んで南北に分かれている。昭和に入り今度は南割下水から国鉄総武線のガード部分について亀沢に分割され、代わりに三ツ目通り以東を編入し、この時点でほぼ現在の形が整った。なお、このときに緑町はほぼ現在の形に町名変更が行われた。第二次世界大戦中の東京大空襲時には火災によりほぼ町内すべてを焼失しており、鉄筋コンクリート構造の東京市緑国民学校など一部の建物が残るのみであった。戦後は、緑町から町名を「緑」に変更したが、町域等の変更はなかった。緑町内は町工場が多く見られ、工業を中心として発展していたが、近年の規制なども相まって、町工場の閉鎖が多くなり、人口が減少傾向にあった。しかし、これら町工場の撤退に併せて、マンション建設等が進められ、人口も少しずつ回復を見せるようになった。
史跡
- 小林一茶旧居跡(緑一丁目)
- 寿座跡(緑二丁目)
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(墨田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 緑一丁目 | 2,486世帯 | 3,751人 |
| 緑二丁目 | 2,014世帯 | 3,558人 |
| 緑三丁目 | 2,185世帯 | 3,544人 |
| 緑四丁目 | 3,398世帯 | 5,315人 |
| 計 | 10,083世帯 | 16,168人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[5] | 6,425 |
| 2000年(平成12年)[6] | 7,225 |
| 2005年(平成17年)[7] | 8,762 |
| 2010年(平成22年)[8] | 10,454 |
| 2015年(平成27年)[9] | 12,086 |
| 2020年(令和2年)[10] | 14,352 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[5] | 2,840 |
| 2000年(平成12年)[6] | 3,513 |
| 2005年(平成17年)[7] | 4,519 |
| 2010年(平成22年)[8] | 5,515 |
| 2015年(平成27年)[9] | 6,679 |
| 2020年(令和2年)[10] | 8,233 |
学区
交通
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 緑一丁目 | 180事業所 | 2,772人 |
| 緑二丁目 | 161事業所 | 1,594人 |
| 緑三丁目 | 120事業所 | 787人 |
| 緑四丁目 | 188事業所 | 2,177人 |
| 計 | 649事業所 | 7,330人 |
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
| 年 | 事業者数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[13] | 623 |
| 2021年(令和3年)[12] | 649 |
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
| 年 | 従業員数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[13] | 6,058 |
| 2021年(令和3年)[12] | 7,330 |
