菊池武士

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生誕 元亨元年(1321年
死没 正平7年(1352年)11月23日
別名 又次郎(通称)
 
菊池武士
菊池武士像
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 元亨元年(1321年
死没 正平7年(1352年)11月23日
別名 又次郎(通称)
戒名 寂照祖禅
墓所 熊本県八代市二見下大野町の正福寺
官位 肥後守
主君 後醍醐天皇後村上天皇
氏族 菊池氏
父母 父:菊池武時、母:万里小路宣房の娘
兄弟 武重頼隆隆舜武茂武澄武吉武豊武敏武光武隆武士武尚武義、了心素覚
正室:隈部隆忠の娘
菊池武頼
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菊池 武士(きくち たけひと)は、鎌倉時代末期から室町時代前期にかけての武将菊池氏の第14代当主。菊池武時の十二男。

興国2年(1341年)8月3日に、当主の次兄菊池武重が死去した後で、母親の身分が高かった事に由り、甥の乙阿迦丸や、他の兄達を差し置いて当主と成った。

しかし菊池武士は、父・菊池武時や次兄・菊池武重と較べると柔弱で、当主としての才覚に乏しく、五兄・菊池武茂や九兄・菊池武敏らの補佐を得て、かろうじて菊池氏の勢力を支えているという有様であった。

興国4年(1343年)には大友氏の侵攻を受けて、苦戦をした。

その後も、各地の諸勢力から攻撃を受けて苦戦を続けた事に由り、菊池武士の統治に不満を抱いた十兄・菊池武光によって当主の地位を廃されて、追放の憂き目に遭う事に成る。

その後は、30歳の時に出家して仏門に入り、正平7年(1352年)11月23日に死去。

八代市教育委員会では、応永8年(1401年)3月25日に91歳の年齢で没したとしている[注釈 1]

脚注

参考文献

外部リンク

関連項目

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