菊池武士
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興国2年(1341年)8月3日に、当主の次兄菊池武重が死去した後で、母親の身分が高かった事に由り、甥の乙阿迦丸や、他の兄達を差し置いて当主と成った。
しかし菊池武士は、父・菊池武時や次兄・菊池武重と較べると柔弱で、当主としての才覚に乏しく、五兄・菊池武茂や九兄・菊池武敏らの補佐を得て、かろうじて菊池氏の勢力を支えているという有様であった。
興国4年(1343年)には大友氏の侵攻を受けて、苦戦をした。
その後も、各地の諸勢力から攻撃を受けて苦戦を続けた事に由り、菊池武士の統治に不満を抱いた十兄・菊池武光によって当主の地位を廃されて、追放の憂き目に遭う事に成る。
その後は、30歳の時に出家して仏門に入り、正平7年(1352年)11月23日に死去。
八代市教育委員会では、応永8年(1401年)3月25日に91歳の年齢で没したとしている[注釈 1]。