董グループ事件
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董吉模は1941年(昭和16年)に渡日して約2年後に日本統治下の朝鮮に戻った[1]。北朝鮮の協同消費組合に勤務し、書記の仕事をしていた1961年(昭和36年)2月、北朝鮮当局より工作員として召喚された[1][2][3]。約4か月の訓練ののち、6月29日、
などの密命を帯びて新潟県村上市柏尾海岸より不法に入国した[1][2]。
密入国後の董吉模は、彼の同郷の土台人を工作員に引き入れ、アジトを3か所にわたって設営、さらに工作員の1人であったタクシー会社の専務からはアジトの提供のほか、月4万円ないし5万円の資金援助を受けていた[1][注釈 1]。
警視庁は、1964年5月14日、董吉模を逮捕し、そのアジトから見つかった乱数表や暗号用薬品等を押収した[1]。同年7月21日、董吉模は東京地方裁判所より出入国管理令、外国人登録法違反の罪で懲役1年の判決を受けた[1][2]。董吉模は1965年(昭和40年)、自費出国した[2]。