葭津
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小字
歴史
沿革
1658年 - 1661年(万治中)の藩の記録に吉津と書かれてあり、その頃9戸の家があった[5][6]。開墾のはじめは山口、阿川、安田、友森、長谷川、渡部、石橋、松本、吉岡の9戸である[6]。阿川家の元祖は1654年(承応3年)に死亡しており、開発はそれ以前である[6]。
戸数・人口は、『伯耆志』によると、82戸・504人[5]。1871年(明治4年)に鳥取県、1876年(明治9年)に島根県、1881年(明治14年)に再び鳥取県に所属する[3]。1879年、126戸・644人[3]。1889年(明治22年)に大崎と合併して崎津村ができる。1954年(昭和29年)からは米子市の大字。
開発の先祖
地名の由来
鳥取大学教授の徳永職男によると「葭津は江戸時代になって小篠津村の新田として開けたが、万治年間には戸数9戸であったという。古くは吉津と書いた例もあるが、村名の由来は、親村の小篠津が篠の群生するところから名づけられているから、“葭津”は“ヨシの生い茂る海辺の村”という意味であろう。」という[2]。
世帯数と人口
経済
産業
畑作中心の農業地域である[3]。『共武政表』によると産物は米、麦、甘藷である[9]。
1932年(昭和7年)に刊行された『商工資産信用録 第33回 中国四国版』によると、商人は菓子・茶の阿川、日用品酒の阿川などがいた[10]。1960年(昭和35年)6月1日現在で実施した昭和35年事業所統計調査の副票1を用いて作成された『鳥取県事業所名鑑 昭和36年版(統計資料 第45号)』によると、職別工事業の柴垣がいた[11]。企業・店舗は友森ブロック、門脇鶏卵、石橋鶏卵所、飲食料品小売業の阿川商店、石橋商店、友森商店、矢倉商店、水運業の松本丸、ふくやクリーニング店、山口精米所などが存在した[11]。
- 農業
- 漁港
- 崎津漁港
- 店舗・企業
- イシバシホールディングス(石油製品販売、セルフ式ガソリンスタンド、レンタカー、古物商)[12] - 旧石橋石油店。
- 門脇肥料店
- 福井建具店
- 山口米穀店[13]
- 大根屋(大根製造)[14]
- 岡野青果 - 地元の市場をはじめ、西日本を中心に大型量販店へ泥付き里芋、白ネギなど様々な野菜を提供する[15]。
- 橋本青果(農作物の生産および農作業の受託、農産物の加工及び受託販売)[16]
- 友森運送
- ソフトバンク鳥取米子ソーラーパーク
地価
『西伯之資力 大正11年10月調』によると、地価金200円以上所有者は以下の通り[17]。
- 松本周一(1071円97銭)[17]
- 友森熊太郎(912円47銭)[17]
- 石橋浩(692円72銭)[17]
- 長谷川準(566円54銭)[17]
- 安田久馬蔵(517円7銭)[17]
- 吉岡虎松(495円71銭)[17]
- 友森繁市(494円67銭)[17]
- 長谷川篤美(413円20銭)[17]
- 永井岩市(385円15銭)[17]
- 阿川岩蔵(341円3銭)[17]
- 阿川菊松(297円)[17]
- 山口新次郎(285円93銭)[17]
- 山口才市(282円56銭)[17]
- 阿川與一郎(264円79銭)[17]
- 阿川廉市(240円28銭)[17]
- 友森斉(230円42銭)[17]
- 渡部千賀蔵(219円87銭)[17]
- 山口章(218円93銭)[17]
- 友森虎松(214円51銭)[17]
- 石橋幸市(204円67銭)[17]
- 石橋昌榮(202円2銭)[17]
- 松本松太郎(201円71銭)[17]