蓮見新田
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地名の由来
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡木崎領に属する大牧村(現大牧)で、1805年(文化2年)より中尾村(現中尾)に属したが、文政年間(1818年〜1831年)以降に分村して蓮見新田で独立していた[5]。村高は『天保郷帳』では66石余であった[5]。
- 発足時は幕府領(幕府直轄領)で以降変遷なし[5][4]。
- 幕末時点では足立郡蓮見新田であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[7]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大牧、中尾、大間木、井沼方、下山口新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立[8]。尾間木村の大字蓮見新田となる[5]。
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村は同郡三室村と共に浦和市へ編入され[8]、浦和市の大字となる。
- 1979年(昭和54年) - 芝川第一調節池の造成に着手する。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が、与野市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
- 2002年 (平成14年) 12月7日 - 東浦和第一土地区画整理事業が完了し[9]、蓮見新田の一部が東浦和五丁目に編入。これにより6人居た地区内の居住者が0人になる[1]。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行しさいたま市緑区の大字となる。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[10]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | さいたま市立大牧小学校 | さいたま市立尾間木中学校 |
交通
周辺施設
- 浦和明の星女子中学校・高等学校(東浦和六丁目)
- 大間木公園(大間木)
