下山口新田
From Wikipedia, the free encyclopedia
地名の由来
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡三沼(見沼)領のうちの下山口新田であった。村高は『天保郷帳』では168石余であった[5]。村の規模は東西3町余、南北8町余で、化政期の戸数は16軒であった[5]。南端の八丁堤には赤山街道が通っていた。
- 1728年(享保13年)に開墾して下山口新田が成立。同年に検地を実施。発足時は幕府領で以降変遷無し[5]。
- 幕末時点では足立郡下山口新田であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[7]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して大牧、中尾、大間木、井沼方、下山口新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立[8]。尾間木村の大字下山口新田となる[5]。
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村は同郡三室村と共に浦和市へ編入され、[9]、浦和市の大字となる。
- 1979年(昭和54年) - 芝川第一調節池の造成に着手する。
- 1995年(平成7年) - 地内に浦和くらしの博物館民家園(現、さいたま市立浦和くらしの博物館民家園)が開設される。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が、与野市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行しさいたま市緑区の大字となる。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[10]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | さいたま市立大牧小学校 | さいたま市立尾間木中学校 |
交通
史跡
施設
- さいたま市浦和くらしの博物館民家園
- 稲荷社
- 厳嶋神社