藏内勇夫
日本の政治家、獣医師
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藏内 勇夫[4](蔵内 勇夫[5]、くらうち いさお、1953年〈昭和28年〉12月7日[1][2] - )は、日本の政治家、獣医師。自由民主党福岡県支部連合会常任相談役、世界獣医師会会長。
| 藏内 勇夫 くらうち いさお | |
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| 生年月日 | 1953年12月7日(72歳)[1][2] |
| 出生地 |
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| 出身校 |
日本大学農獣医学部獣医学科卒業[1][2] 九州大学大学院修了[1][2] |
| 前職 | 獣医師[2] |
| 所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
| 称号 |
獣医学士(日本大学・1979年) 博士(農学)(九州大学・2010年) |
| 親族 | 藏内修治(義叔父) |
| 在任期間 |
2001年5月22日[1] - 2002年5月24日[1] 2025年4月11日[1] - 2026年8月25日 |
| 選挙区 | 筑後市選挙区 |
| 当選回数 | 10回 |
| 在任期間 | 1987年4月30日[1] - 2026年8月25日 |
その他の職歴 | |
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(2025年6月2日[3] - 2026年8月25日) | |
福岡県議会議員(当選10回[4])、福岡県議会議長、全国都道府県議会議長会会長、日本獣医師会会長、福岡県獣医師会名誉会長、自由民主党福岡県支部連合会会長、アジア獣医師会連合(FAVA)会長、中央畜産会常務理事、福岡県畜産協会会長、日本空手協会福岡県本部顧問、福岡県馬術連盟会長、筑後市体育協会会長などを歴任[2]。
獣医師の立場から「ワンヘルス」の推進などに取り組み、県連会長を務めたほか、首相経験者の麻生太郎とも関係が近いことから「福岡県議会のドン」と称されている[6][7]。
来歴
1953年(昭和28年)、福岡県筑後市出身[2]。実家は酒屋である[8]。1979年3月に日本大学農獣医学部獣医学科卒業。
大学卒業後、臨床獣医師として1年3か月勤務したが、福岡選出の国会議員である藏内修治の姪と結婚し、藏内家に婿入りしたことで獣医師の実務から退き、1980年7月から修治の秘書として政治活動をスタートする[9]。1983年、筑後市の福岡県議会議員選挙に無所属で立候補し次点で落選するも、1987年の県議選で、社会党の推薦を受け[8]、現職の牛島巌を破り初当選。以降は10期連続で当選を果たす(2003年、2023年を除き無投票当選、1991年は無所属・自民推薦[8]、1995年以降は自民党公認)。
初当選後から「筑豊の田中角栄」と呼ばれた福岡県議の三木清や田中六助の薫陶を受け、2期目の途中で会派入りした自民党県議団で頭角を現す。2003年に発生した同県議団の分裂劇で会長として事態を収拾させ、福岡県政界のキーマンとして地位を確立。通常は2年で交代する自民党県議団会長を、2001年から12年間に渡って務めた[9][10]。
2011年、麻生渡知事の引退に伴う福岡県知事選挙への出馬を画策し、自民党福岡県連の内定を取り付けるも、麻生太郎や福岡財界は元経産官僚の小川洋を擁立、出馬を断念した[11]。
2015年6月、自民党福岡県連会長に就任。
2016年10月、同年6月の鳩山邦夫の死去に伴う衆議院議員福岡県第6区補欠選挙に長男の藏内謙を擁立する。福岡政界の重鎮である古賀誠・麻生太郎の支援を受けるも、邦夫の次男である鳩山二郎を武田良太・菅義偉が支援し、分裂選挙を回避するため自民党本部は両候補の公認見送りを決定。藏内謙は8万票以上の大差で鳩山二郎に敗北した[13][14][15]。
2019年4月、自民党福岡県連は福岡県知事選挙で、現職の小川洋ではなく、新人の武内和久を麻生太郎の主導により擁立する。保守分裂選挙となり、武内は小川に約95万票差をつけられ落選。蔵内は責任を取り、党県連会長職を辞任した。
2022年11月9日、アジア獣医師会連合(FAVA)の会長に就任し、2024年まで会長を務めた[16][17]。
2023年4月、筑後市の元副市長・北島一雄が福岡県議選に立候補し、同地区で20年ぶりの県議選が実施される。古賀誠や公明党が支援する北島に対し、藏内は辻立ちや小規模な集会を徹底して行い、1,652票差で10期目の当選を果たした[18][19][20]。
2024年4月、南アフリカのケープタウンで開催された第39回世界獣医師会大会の総会で、日本人初となる次期会長への就任が正式に決定。次期会長、会長、前会長としてそれぞれ2年間、計6年間の任期を務める。
2025年4月11日、福岡県議会議長に就任[1]。同年6月2日、全国都道府県議会議長会会長に就任[3]。
金銭授受・海外視察・ワンヘルスを巡る問題
→「2026年に発覚した福岡県議会金銭授受問題」を参照。
2026年7月7日、県議会議長経験者で元自民党所属の吉松源昭が記者会見を開き、議長就任前に自民党県議団の幹部から総額約2000万円を要求され、支払ったと証言した[21]。7月8日、議長ポストを巡る金銭授受について問われた藏内は、自身が議長選挙に立候補した際には金銭の支払いはなかったと述べ、その上で現職の全議員を対象とした外部の有識者による聞き取り調査を行うとした[22]。
7月14日の記者会見で、吉松は中尾正幸から1000万円を支払いを要求されたが、その際に「藏内氏に渡すから」と言われたと述べた[23][24]。7月27日、吉松は元副議長の江藤秀之と共に会見を開き、2人は藏内ら県議団の幹部5人に対し、会合の際にお車代として50万円ずつ渡したと証言した[25]。
また、民主県政県議団の元副議長は就任前に会合の席で藏内に対し、500万円を支払ったと報道各社に証言した。一方、藏内は受け取りを否定した[26][27][28]。
7月23日、報道陣の取材に応じた藏内は県議会の金銭授受疑惑などを巡り、「ネットで炎上して、日本で一番悪い男が藏内勇夫だと言われている」と発言した[29][30]。
県政・県議会を巡っては、金銭授受疑惑の他にも、高額な海外視察や「ワンヘルス」施策、県職員の互助会「部課長会」のパーティー券購入などの問題も噴出した[31][32]。
海外視察は2024年1月からの間に少なくとも18回行われ、計約1億5000万円の公費が支出されていた。2023年から3年間で計12回の海外視察に参加していた藏内は、6月11日の会見で「契約につきましては議会にはまったく権限がない。議員は関与をしていなかったので、その内容については私には分からない」と述べ、海外視察については「高額だったから必要ではないということは、私は考えない。それだけの効果があれば、福岡県にそれだけのメリットがあれば、すぐ効果が出なくても将来的に福岡県の発展に繋がるということがあれば、私は必要だと思う。」と述べた。また、同会見で藏内は「海外旅行は続けますと、その考えを一切変えることはない」と発言した(その後「海外旅行じゃありません、海外活動」と訂正)[33][34]。
「ワンヘルス」は、人の健康・動物の健康・環境の健全性を一つの健康と捉え、一体的に守るという考え方である[35]。ワンヘルスは藏内がライフワークとして取り組んでいるテーマであり、福岡県では藏内が県知事の服部誠太郎と共に推し進め、ワンヘルス事業に過去5年間で約58億円の予算が投じられてきた。具体的には、藏内の地元・筑後市の筑後広域公園に約2.8億円をかけて作られたモニュメント「ワンヘルス・カーボンゲート」や、藏内からの働きかけを受け、6千万円以上を投じて整備したものの赤字のまま1年で閉園した福岡市の「ワンヘルスパーク」[注釈 1]などがあり、税金の使い方として不適切だと批判を受けた[36][37][38][39]。8月7日のインタビューで、服部はワンヘルス事業について、行政改革審議会での答申までは現段階で未着手の事業等については当面凍結するという考えを示した[40]。
8月17日、福岡県議会の臨時会が開かれ、議長・副議長ポストをめぐる金銭授受疑惑などをめぐり藏内に対する議長の辞職勧告決議案の採決が行われる予定だったが、自民党県議団の林泰輔(藏内の元秘書)から採決の中止を求める緊急動議が提出された。緊急動議は賛成多数[注釈 2]で可決され、採決は見送りとなった[43]。一方、藏内は臨時会前、自民党会派の議員に対し、議会改革の方向性が決まった段階で議長を辞職する意向を表明していた[44]。
同月19日、記者団の取材に応じ、「しかるべき時期に自ら判断し、辞職したいと考えている」と述べ、議長職を辞任する意向を表明した[45]。この時点では議員辞職については否定していたが、同月24日、翌25日に東京で開催される「女性議員研究交流大会」で全国都道府県議会議長会会長としての「職責を全うした上で、県議の職を辞する」とのコメントを報道機関向けに発表した[46][47]。
その後、同月24日付で県議会副議長に議員辞職願を提出した。議員辞職願は議会事務局が事前に藏内から預かっており、24日の公表に合わせて副議長に提出するよう要望を受けていたとされる[48]。翌25日、板橋聡副議長は藏内の議員辞職を許可し、同日付で藏内は県議会議長、県議会議員を辞職した。また、全国都道府県議長会会長も辞職した[49]。藏内は記者団に対し、議員辞職の理由を明言しなかった[50]。その後、議会事務局より「県議会が一日も早く本来の役割を取り戻し、県民のための議論に全力を注いでもらいたい。議長職だけでなく、県議会議員としても身を引くことが、今の私にできる責任の取り方であるとの結論に至った」とコメントを発表した[51]。
24日、福岡県知事の服部誠太郎は報道陣の取材に対し、「(藏内が)重く、大きな決断をされたと思うと同時に、これで幕引きではないとも感じた」と話した[31]。
人物

- 動物のケア運動に長年取り組む理由は、獣医学部卒業後、吉田茂の娘で麻生太郎の母親・麻生和子から「福岡、そして九州で動物愛護運動を起こしなさい」と助言を受けたことがきっかけだったという。和子は吉田と英国に滞在した際、「日本人の動物への接し方はなっていない」と吉田が語ったことが忘れられないと話し、藏内はこの助言を人生の指針としているという[52]。
- タマホーム創業者の玉木康裕は八女高校の先輩で、現在も公私に渡る親交がある。藏内が理事を務める九州動物福祉協会の事務所は、福岡市天神のタマホーム本社内に入居している[9][53]。
- 福岡県政のドンと称され、中央政界にも強い影響力を持つ。2023年の福岡県議選では、自民党本部の選対委員長だった森山裕が藏内の選挙事務所を訪れ、「私が全国で1人しか応援に行けないとしたら藏内氏を応援する」「日本に必要な県議会議員」と激励した[54]。
- 林芳正と関係が深く、藏内の長男である藏内謙は林の秘書を務めた[55]。2024年の自民党総裁選でも、藏内は林を全面的に応援した[56]
親族
略歴
- 1979年(昭和54年)3月 - 日本大学農獣医学部獣医学科卒業
- 1979年(昭和54年)4月 - 臨床獣医師
- 1980年(昭和55年)7月 - 国会議員(藏内修治)秘書
- 1987年(昭和62年)4月 - 福岡県議会議員初当選(筑後市)
- 1993年(平成5年)- 福岡県獣医師会会長
- 1996年(平成8年)- 日本獣医師会理事
- 2001年(平成13年)5月 - 福岡県議会議長(第54代)
- 2003年(平成15年)- 自民党福岡県議団会長
- 2005年(平成17年)6月 - 日本獣医師会副会長
- 2010年(平成22年)3月 - 九州大学大学院博士課程修了(農学博士学位取得)
- 2013年(平成25年)6月27日 - 日本獣医師会会長[12]
- 2015年(平成27年)6月 - 自民党福岡県連会長
- 2022年(令和4年)11月 - アジア獣医師会連合会長[16]
- 2024年(令和6年)4月 - 世界獣医師会・次期会長に決定
- 2026年(令和8年)8月25日 - 福岡県議会議辞職
主張
獣医学部設置反対
2015年6月22日の獣医学会第2回理事会において、今治市の特区申請を視野に日本獣医学会の藏内は麻生太郎と下村博文に、日本獣医師政治連盟委員長の北村直人は地方創生担当大臣の石破茂と折衝し、「一つ大きな壁を作っていただいている状況である」とし、北村の努力の結果として石破等から「いくつかの規制がかけられた」として、「石破4条件」への寄与について報告している[58][59]。同年9月9日の獣医学会第4回理事会において、藏内と石破、北村が会談し、北村は石破から「今回の成長戦略における大学、学部の新設の条件については、大変苦慮したが、練りに練って誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言にした」と聞いたと述べている[60]。産経新聞は、「石破4条件」により獣医学部新設が極めて困難となったとしている[61]。石破は産経新聞の取材に、獣医師会からの4条件盛り込み要請はなかったと回答している[58]。
2016年11月22日の獣医師会のメールマガジンでは、藏内が「必ずや将来に禍根を残すであろう無責任な決定に対し、総力を挙げて反対して行きましょう」と発信し[61]、11月28日には、内閣府主導で行っている国家戦略特別区域諮問会議における「岩盤規制改革」については「獣医学部の新設が次々と認可されるような事態は、何としてでも阻止しなければなりません」と主張、地方の同会会長へ、獣医学部新設に関わる反論の提出を求める旨を通達している[62]。2017年1月30日発行のメールマガジンにおいて「粘り強い要請活動が実り、関係大臣のご理解を得て、何とか『1校限り』と修正された」と所属会員に報告している[63]。
週刊新潮は2017年7月19日に、地方創生担当相の山本幸三が2016年11月17日に藏内と面会した際、「四国は、感染症にかかる水際対策ができていなかったので、新設することになった」と発言したことが獣医師会側の議事録に記載されていると報じた[64]。山本は発言内容を否定している[65]。官房長官の菅義偉は、山本と日本獣医師会との面会時に、藏内が「獣医学部の新設には四国と京都の名前があがった」と発言していると述べ、「加計ありき」ではなかったとしている[66]。
役職
選挙歴
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 落 | 1983年福岡県議会議員選挙 | 1983年 4月10日 | 29 | 筑後市選挙区 | 無所属 | 9296票 | 37.8% | 1 | 2/4 |
| 当 | 1987年福岡県議会議員選挙 | 1987年 4月12日 | 33 | 筑後市選挙区 | 無所属 | 1万5058票 | 59.5% | 1 | 1/2 |
| 当 | 1991年福岡県議会議員選挙 | 1991年 4月 7日 | 37 | 筑後市選挙区 | 無所属 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 1995年福岡県議会議員選挙 | 1995年 4月 9日 | 41 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 1999年福岡県議会議員選挙 | 1999年 4月11日 | 45 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 2003年福岡県議会議員選挙 | 2003年 4月13日 | 49 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 1万4917票 | 75.2% | 1 | 1/2 |
| 当 | 2007年福岡県議会議員選挙 | 2007年 4月 8日 | 53 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 2011年福岡県議会議員選挙 | 2011年 4月10日 | 57 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 2015年福岡県議会議員選挙 | 2015年 4月12日 | 61 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 2019年福岡県議会議員選挙 | 2019年 4月 7日 | 65 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 無投票 | 1 | ||
| 当 | 2023年福岡県議会議員選挙 | 2023年 4月 9日 | 69 | 筑後市選挙区 | 自由民主党 | 9889票 | 54.6% | 1 | 1/2 |