西武クハ1411形電車

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総数 45両(戦災復旧車6両、初期鋼体化車9両、後期鋼体化車30両)
軌間 1,067(狭軌) mm
西武クハ1411形電車
基本情報
製造所 西武所沢車両工場
総数 45両(戦災復旧車6両、初期鋼体化車9両、後期鋼体化車30両)
主要諸元
軌間 1,067(狭軌) mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式
車両定員 154人(座席56人)
車両重量 31.5t
全長 20,000 mm
全幅 2,930 mm
全高 4,059 mm
台車 TR10C・TR11A
制動装置 ACAE電磁自動空気制動
保安装置 西武形ATS
備考 数値はクハ1421 - 1424・1427 - 1430(最晩年)
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西武クハ1411形電車(せいぶクハ1411がたでんしゃ)は、かつて西武鉄道に在籍した通勤形電車。本項ではクハ1411形(初代および2代)ならびに派生形式であるクハ1401形(初代)サハ1411形について記述する。

本形式は対応する電動車(モハ)形式が存在しない制御車(クハ)のみのグループであり[注釈 1]西武所沢車両工場において木造車の鋼体化名義で新製されたものが主流を占めるが、20m級車体の戦災国電の払い下げを復旧した車輌も存在した。

戦後混乱期における利用客激増への対応と、戦中の車両酷使に伴う整備不良や補修部品不足に起因する車両稼働率低下という、相反する課題の克服に鉄道事業者各社が頭を悩ませる中、西武においては主に日本国有鉄道(国鉄)より払い下げを受けた戦災被災車、いわゆる戦災復旧国電の増備によって混乱期を乗り切った。

それら戦災復旧国電はモハ50形等を出自とする17m級車体の車両が多くを占めたが、モハ40形・60形を出自とする20m級車体の戦災被災車も6両存在し、同6両は1950年昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて順次復旧されたのち本形式に区分された。

また1954年(昭和29年)より、国鉄より払い下げを受けた木造車[注釈 2]の台枠を流用し、前述20m級車体の戦災復旧車に準じた車体を新製したグループが誕生した。同グループは増備中途で設計変更を加えられつつ1959年(昭和34年)までに39両が新製され、本形式は延べ45両の陣容となった[注釈 3]

仕様

出自や仕様は各グループごとに異なるものの、いずれも20m級半鋼製車体の片運転台車である。同時期に製造されたモハ311形・クハ1311形同様、前面に貫通扉があり、貫通幌の装備は持たない。窓配置はd1D5D5D2(d:乗務員扉, D:客用扉)で、1,100mm幅の片開客用扉が片側3箇所設置され、車内はロングシート仕様である。側窓は戦災復旧車グループが木製サッシであった他は全車鉄製サッシを採用している。車体塗装は当時の標準色であったブラウンとイエローの二色塗りとされた。

乗務員室は全車とも半室構造となっており、車幅全体の三分の一に相当する運転台部分に大半の運転用機器が収納され、残る三分の二は横方向の金属棒によって乗客スペースと仕切られているのみという簡素な設計であり、この構造は後年全室化改造もされることなく存置された[注釈 4]。こうした開放的な運転台周りであったことから、本形式の側扉開閉スイッチは、悪戯防止の観点から操作の際に鍵による開錠を必要とするものが装備されている[注釈 5]

台車は戦災復旧車を含めて全車鉄道省制式台車の釣り合い梁式TR10およびTR11を装備した。これら台車はいずれも国鉄より払い下げを受けたもので、後年台車枠更新および軸受のローラーベアリング(コロ軸受)化が施工されてTR10CおよびTR11Aと型番が改められている。

制動装置はA動作弁を使用したACA自動空気ブレーキで、ブレーキシリンダーを車体側に1基搭載し、前後台車のブレーキを動作させる古典的なブレーキワークが採用されている。これは後年の輸送力増強に伴う長大編成化対策として、操作応答性向上のため制動装置に電磁弁を追加し、ACAE電磁自動空気ブレーキに全車改良された。

なお、落成当初の本形式には電動空気圧縮機 (CP)および電動発電機 (MG)といった補機類は搭載されなかった。

グループ別詳細

本形式はその出自および製造年代によって3つのグループに大別される。以下、グループごとに詳細を述べる。なお、冒頭の車番はいずれも落成当初のものである。

戦災復旧車および初期鋼体化車

戦災復旧車

  • クハ1411形(初代)クハ1411 - 1413(初代)
  • クハ1401形(初代)クハ1401・1402・1404(クハ1401・1402は初代)[注釈 6]

戦災被災車の払い下げを受け、1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて復旧の上導入した6両である。種車はモハ60形およびモハ40形・41形であり、前面形状が半流線型である前者はクハ1411形に、前面が平妻形状である後者はクハ1401形にそれぞれ形式区分された。復旧に際して電装解除および台車交換が実施された他は、いずれも外観上ほぼ原形を保っている。

本グループの基本設計は後に製造された鋼体化車グループに継承されたが、車体リベットの有無など、細部には後のグループとの相違点を有した。クハ1404はモハ40形(両運転台車)を種車とすることから、後位寄り客用扉の引き込み方向が他車の車端部向きに対して中央向きである点が特徴であり、またクハ1413(初代)はモハ60形初期車を種車とし、1939年(昭和14年)度落成車の特徴である張り上げ屋根およびノーシル・ノーヘッダー構造はそのままに竣工している。

ベンチレーターは全車ともガーランド型を7個装備し、パンタグラフ台は痕跡を残さず撤去された。

クハ1411形(初代)の消滅と早期の譲渡

クハ1411形(初代)については、1952年(昭和27年)12月から1954年(昭和29年)5月にかけて全3両が系列会社の駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)へ順次譲渡されて形式消滅している。西武における在籍期間は最短でわずか2年に過ぎなかった。

また、クハ1401・1402(いずれも初代)についても後述のように改番の上で1956年(昭和31年)8月・9月に駿豆鉄道へ譲渡されており、本グループで後年まで残ったのはクハ1404として製造された1両のみであった。

鋼体化車(初期)

  • クハ1401形(初代)クハ1403・1405 - 1412(クハ1411・1412は2代)

国鉄より払い下げを受けた木造車の台枠を20m級に延長の上で流用し、戦災復旧車のクハ1401形に酷似した車体を新製した車両群が本グループに分類される。1954年(昭和29年)5月と同年9月の2度にわたって9両が落成し、車番はクハ1401形の続番を称した。

車体はウィンドウシル・ヘッダーを有する半鋼製構造であり、外観は前述の通り戦災復旧車の3両と酷似するが、屋根部の断面形状が見直されて車体高が50mm低くなったほか、前面貫通扉周りの造作や[注釈 7]、流用した台枠の形状の都合から妻面裾部形状が斜めに一段下がる形状となっている点が異なる。

その他、ベンチレーターは戦災復旧車グループ同様ガーランド型を7個装備する。

車両番号と形式の変更

戦災復旧車および初期鋼体化車については、後述する後期鋼体化車グループの増備による車番重複を回避するための改番が2度行われている。

1955年(昭和30年)4月、クハ1401形の全12両(クハ1401 - 1412[注釈 8])がクハ1431 - 1442(いずれも初代)へと改番された。車両番号にそのまま30を足す形で、戦災復旧車グループのクハ1401形1401・1402・1404がそれぞれクハ1431・1432・1434、初期鋼体化車グループのクハ1403・1405 - 1412がクハ1433・1435 - 1442となっている。

さらに1656年9月、上記のうち残存する全10両(クハ1433 - 1442)について後期鋼体化車グループと同じクハ1411形(2代)として改称・統合されるとともに、クハ1451 - 1460(クハ1451・1452は2代、クハ1453 - 1456は初代[注釈 9])へと改番されている。車両番号は18を足す形で、戦災復旧車のクハ1434はクハ1452、初期鋼体化車のクハ1433・1435 - 1442はそれぞれクハ1451・1453 - 1460となった。

鋼体化車(後期)

  • クハ1411形(2代)クハ1411 - 1440(クハ1411・1412は3代、1413・1421・1422・1431 - 1440は2代[注釈 10]

1955年(昭和30年)9月以降に落成した車両では各部に設計変更が加えられ、新たにクハ1411形(2代)として形式区分された。本グループは国鉄払い下げ木造車のほか、自社の木造車を名義上の種車とするが、実態は台枠より新製された純新車であるとする資料も存在する[注釈 11]

車体関連では前面貫通扉幅が800mmに拡幅されたほか、連結面側の妻面が切妻構造に変更されており、当時の最新型車両501系(初期車・後の351系)の設計思想が取り入れられた形となった。また、車内換気装置としてファンデリアを1両あたり2基装備し、ファンデリア直上のガーランド型ベンチレーターが大型の特殊形状のものとされたことも501系に準じている。

その他の基本設計は初期鋼体化グループの仕様をほぼ踏襲しており、車体はウィンドウシル・ヘッダーを有する半鋼製構造で、屋根部は木製キャンバス張りと、同時期に新製された501系初期車と比較して一段見劣りする仕様であった。しかし、当時の西武は501系の新製と平行して、旧態依然とした本グループの新製を継続し、最終増備車となったクハ1439・1440(いずれも初代)の落成は、全金属製車体に改良された501系後期車の最終増備車落成とほぼ同時期の1959年(昭和34年)5月のことであった。

導入後の変遷

前述の通り、本形式は当初対応する電動車を持たなかった。竣工後は主にモハ311形と編成されて運用されたのち、501系・451系の制御電動車(モハ[注釈 12])との固定編成化が行われている。以下、導入後の変遷について述べる。

他形式との固定編成化

モハ411形(初代)→351系(クモハ351形・2代)

1958年(昭和33年)7月以降、501系の20m車統一にあたり余剰となったモハ501形初期車(17m級車体、事前にモハ411形(初代)へ改称・改番)との固定編成化が行われている。なおモハ411形は後にクモハ411形(初代)を経てクモハ351形へと改称・改番された。

後期鋼体化車のクハ1411 - 1430[注釈 13]の20両が選ばれており、このうちクハ1411 - 1420・1425・1426の12両は運転台撤去の上で番号はそのままにサハ1411形へ改称している。クハ1421 - 1424・1427 - 1430の8両はそのままクハとして使用された。こうしてモハ411形と番号を揃えて編成され、4両編成6本(411 - 419・425編成)、2両編成8本(421 - 424・427 - 430編成)を組成している。

なお、サハについては旧運転台側の妻面を元来の連結面と同様に切妻構造化して完全に中間車化され、窓配置も修正されたことから、外観から先頭車(クハ)であったことを想起することは困難であった。なお501系においては後述の451系と異なり、MG・CP等をモハに搭載していたため、この時点ではこれらの設置は行われていない。

451系

1959年(昭和34年)11月より新製された451系は当初制御電動車のみを新製しており、編成相手として本形式が用いられた。上記以外の20両、後期鋼体化車のクハ1431 - 1440(いずれも2代)、初期鋼体化車および戦災復旧車の1451 - 1460(1451・1452は2代、1453 - 1456は初代)が選ばれている。

これらの車両はMG・CPを新設するなどの改造を行った上でクハ1451形(2代)[注釈 14]として改称、さらに後期鋼体化車のクハ1431 - 1440をクハ1461 - 1470へ改番することで車両番号をクハ1451 - 1470に整理している。これによりモハ451 - 470と番号を揃える形で2両編成20本を組成した。

その後の改番

その後1962年(昭和37年)7月には、451系としてのクハ1451形(3代)を新製することに先立ち、クハ1451形(2代)の全20両が再びクハ1411形(2代)へ統合されるとともにクハ1431 - 1450(クハ1431 - 1440は3代、1441・1442は2代)と改番されている。この時点でクハ1432が戦災復旧車、クハ1431・1433 - 1440が初期鋼体化車、クハ1441 - 1450が後期鋼体化車である。

編成の解消

クハ1431 - 1436(いずれも3代)はクハ1451形(3代)に置き換えられる形で451系との編成を解消し、CPおよびMGを撤去した上でモハ311形・371形の制御車に転用された。

なお、クハ1434(3代)のみは後年の451系事故廃車発生に伴う編成替えに際して、再びCPおよびMGを搭載し451系と編成されている。

各種改造

351系との編成された車両

クハ(サハ)1411 - 1430については、1969年(昭和44年)以降に施工されたクモハ351形の更新修繕に合わせて同様の工事が施工された。施工内容は以下の通り。

  • 屋根部を中心に木部の修繕、ならびに屋根部の仕上げをビニール張りに変更
  • ベンチレーターをグローブ型に交換
  • 雨樋の鋼製化
  • 側窓のアルミサッシ化
  • 前面窓下部に鋼板を溶接し運転台部分強化
  • 乗務員扉の鋼製化
  • 車内送風機の扇風機
  • クモハ351形より移設されたCPおよびMGを搭載

その他、運転台機器の換装整備が実施され、クハ(サハ)1411 - 1430は本形式中最も近代化された仕様を有することとなった。また、運転台強化改造に際しては前面ウィンドウシル下部に鋼板を重ね張り溶接したことから、同工事を施工された車両は前面ウィンドウシルが目立たなくなったことが特徴であった。

451系およびモハ311形・371形と編成された車両

クハ1431 - 1450については、1965年(昭和40年)以降運転台機器の更新・車内送風機の扇風機化・乗務員扉の鋼製化・側窓のアルミサッシ化が順次施工されていたが[注釈 15]、クハ(サハ)1411 - 1430に施工された修繕と比較すると内容が簡略化されており、若干見劣りするものであった。また、雨樋の鋼製化についてはクハ1431 - 1450に対しても後年実施されたものの、屋根部がキャンバス張りのままであった車両については前面雨樋がキャンバス押さえを兼ねた太い形状のものに変更され、外観上の特徴となった。

その他

上記以外の改造としては、車体塗装のディープラズベリーとトニーベージュの二色塗りのいわゆる「赤電」塗装化・ATSの整備および列車無線の搭載・連結器部分への電気連結器の新設が全車を対象に施工されている。

さらに晩年には先頭車前面窓内側に行先表示幕の新設が実施されたが、同工事施工時期は本形式の淘汰時期と重なっていたことから、同工事を施工されることなく廃車となった車両も存在した。また、前照灯のシールドビーム2灯化は本形式に対しては施工されず、前述の通り他社では一般的に行われていた乗務員室の全室化改造も実施されなかった。

晩年

前述のようにクモハ311形・371形および351系・451系の制御車として運用された本形式であるが、編成を組む電動車の編成替えもしくは廃車に伴って余剰となった車両から淘汰されはじめた。

特殊な編成

クモハ311形と編成を組んでいたクハ1431は、1971年(昭和46年)に編成相手が廃車となってからは方向転換の上でクモハ401形(初代)401と編成を組んで運用された。

クモハ451形と編成を組んでいたクハ1447・1448はクハ1651形に置き換えられた後、廃車が進む351系4両編成のうちクモハ357・クモハ360とそれぞれ編成を組んで2両編成で運用された。

廃車

クモハ311形・371形の淘汰・編成替えに伴って、クハ1432・1433・1435・1436が1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)にかけて順次廃車解体され、前述のクモハ401形(初代)と編成していたクハ1431も1973年6月に廃車となり、351系・451系以外と編成されていた車両は消滅した。

次いで351系の短編成化および廃車の進捗に伴ってサハ1411 - 1420・1425・1426が1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)にかけて廃車され、サハ1411形は形式消滅した。2両編成の制御車として運用されたクハ1421 - 1424・1427 - 1430についても1980年(昭和55年)2月までに全車廃車となっている。

さらに451系と編成されていた車両についても、601系クハ1601形を改造したクハ1651形に代替され、1977年(昭和52年)1月以降、2000系と新101系に置き替えられ、順次廃車された。

最末期にはクハ1449・1450の2両が残るのみとなったが、同2両も編成を組む451系クモハ469・470の廃車に伴って1981年(昭和56年)3月31日付で除籍され、本形式は形式消滅した。

譲渡車両

本形式のうち早期に除籍・譲渡された5両を除く40両中、9両が廃車後地方私鉄へ譲渡された。譲渡先は上毛電気鉄道ならびに大井川鉄道(現・大井川鐵道)の2社で、いずれも351系と編成された状態で譲渡されている。

なお、現在は上毛電気鉄道へ譲渡された車両は既に全車廃車となっており、現存するのは大井川鉄道へ譲渡された1両のみである。

上毛電気鉄道

1977年(昭和52年)4月から1980年(昭和55年)10月にかけて、クハ1423・1427 - 1429・1438・1439・1447・1448の8両が譲渡され、同時に譲渡された351系8両とともに2両編成を組んで導入された。クハ30型31 - 38として導入された同8両は、譲渡に際して前部貫通扉を埋込撤去したほか[注釈 16]、無人駅における扉扱いを迅速化する目的で車内客用扉脇に扉開閉スイッチを増設している。なお、車体塗装は編成相手の351系ともども西武在籍当時の赤電カラーのままとされた。

上毛電気鉄道は351系・クハ1411形16両の導入によって雑多な従来車を全て淘汰し、車種の統一を達成した[注釈 17]。導入後は大きな改造を受けることなく運用されたが、経年による老朽化が著しくなったことから、300型(元東武鉄道3000系)の導入に伴い順次代替されて、1990年平成2年)8月までに全車廃車となった。

大井川鉄道

1977年(昭和52年)3月にサハ1426が、351系クモハ365・366とともに譲渡された。同3両は西武在籍当時より編成を組んでいたもので、導入に際しては中央扉を埋めて2扉化されたほか、5000系レッドアローの車内更新に伴って発生したクロスシートを流用し、扉間座席をクロスシートとしたセミクロスシート仕様に車内を改装されている。なお、車番は西武在籍当時同様、サハ1426を称した。

導入後は312形312編成の中間車として運用されたが、3両固定編成は運用上都合が悪かったことから、312編成から外されて長期間休車となったのち、1985年(昭和60年)にお座敷客車ナロ80 2に改造されている。

同車は本形式中唯一現存する車両であるものの、お座敷客車化に際して大改造が施工されているため原形はほとんど残っていない。

車歴

脚注

参考文献

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