観音峠

From Wikipedia, the free encyclopedia

国道9号標識
国道9号標識
座標
観音峠の位置(日本内)
観音峠
北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度 / 35.12250; 135.44056座標: 北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度 / 35.12250; 135.44056
標高 270 m
観音峠
観音トンネル(南丹市側)
所在地 京都府南丹市船井郡京丹波町
座標
観音峠の位置(日本内)
観音峠
北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度 / 35.12250; 135.44056座標: 北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度 / 35.12250; 135.44056
標高 270 m
山系 丹波高地
通過路 国道9号(観音トンネル)
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
観音峠の位置
観音峠の位置
観音峠の
位置
観音峠の位置

観音峠(かんのんとうげ)は、京都府南丹市園部町上木崎町と京都府船井郡京丹波町新水戸との間に位置する標高270メートルの

観音峠は、京都府南丹市園部町上木崎町から国道9号を北上したところにある。分水界(分水嶺)に位置しており、この峠より北は由良川(日本海側)、南は淀川(太平洋側)の水系となる。沿道には、約70本のソメイヨシノ)が植えられている。『西北紀行』( 貝原益軒1713年)が最も古い記録とされている[1]

歴史

観音峠が街道として使われるようになったのは南北朝時代1336年1392年室町時代)とされている。それまでの山陰道西本梅村(現在の南丹市園部町)から天引峠を越えて福住村(現在の兵庫県丹波篠山市)に伸びていた[2]

観音峠を南丹市園部町上木崎町から越えると船井郡京丹波町新水戸で、近世まで水戸峠、水戸野峠、水戸ノ峠、三戸野峠、木崎峠などと呼ばれていた[2]。そのころは上下一里の道のりであった。峠の上に民家があり、ここを嶺といった。1713年正徳3年)成立の『西北紀行』で貝原益軒は「俗にいう山椒太夫中世説経節に登場する長者)が関をすえし所なり」と記している[1]

観音峠の名前の由来は、峠近く(南丹市側)に今もある観音堂で、その傍らに宿もあったという[2]。旅人と観音菩薩に関する伝承がある。

“この峠を通る旅人や馬子が古い草鞋を道に捨てていた。ところが石にあたると、その旅人や馬子が急に腹痛で苦しんだ。そこで村人が石を掘ってみると観音さまの姿を写した石がでてきたので、その石の上に堂を建てて祀ったという。したがって、この観音さまを「湧出観音」とも「生えるぬき観音」とも呼び、それから峠に「観音峠」の名が付いた[3]

観音堂の下手にあったは、江戸時代一里塚(里程の目標とした塚)だった可能性が高いという[4]

現在の国道9号に当たる道は、1877年明治10年)に京都から須知町(現在の京都府船井郡須知町)まで改良開通した。1890年(明治23年)にも道路改修され、ここで正式に「山陰街道」と名付けられた[4]。そのころの道は山越えをしていたが、1933年昭和8年)5月になって観音峠隧道(観音トンネル)の工事が始まり、1935年(昭和10年)3月14日に完成した[2]。開通当初は国道18号の指定で、戦後1952年(昭和27年)に9号となった[4]

トンネル

観音峠隧道(観音トンネル)

通行規制

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI