観音峠
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座標
北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度座標: 北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度
山系
丹波高地
| 観音峠 | |
|---|---|
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観音トンネル(南丹市側) | |
| 所在地 | 京都府南丹市・船井郡京丹波町 |
| 座標 | 北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度座標: 北緯35度7分21秒 東経135度26分26秒 / 北緯35.12250度 東経135.44056度 |
| 標高 | 270 m |
| 山系 | 丹波高地 |
| 通過路 |
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観音峠(かんのんとうげ)は、京都府南丹市園部町上木崎町と京都府船井郡京丹波町新水戸との間に位置する標高270メートルの峠。
歴史
観音峠が街道として使われるようになったのは南北朝時代(1336年〜1392年。室町時代)とされている。それまでの山陰道は西本梅村(現在の南丹市園部町)から天引峠を越えて福住村(現在の兵庫県丹波篠山市)に伸びていた[2]。
観音峠を南丹市園部町上木崎町から越えると船井郡京丹波町新水戸で、近世まで水戸峠、水戸野峠、水戸ノ峠、三戸野峠、木崎峠などと呼ばれていた[2]。そのころは上下一里の道のりであった。峠の上に民家があり、ここを嶺といった。1713年(正徳3年)成立の『西北紀行』で貝原益軒は「俗にいう山椒太夫(中世の説経節に登場する長者)が関をすえし所なり」と記している[1]。
観音峠の名前の由来は、峠近く(南丹市側)に今もある観音堂で、その傍らに宿もあったという[2]。旅人と観音菩薩に関する伝承がある。
“この峠を通る旅人や馬子が古い草鞋を道に捨てていた。ところが石にあたると、その旅人や馬子が急に腹痛で苦しんだ。そこで村人が石を掘ってみると観音さまの姿を写した石がでてきたので、その石の上に堂を建てて祀ったという。したがって、この観音さまを「湧出観音」とも「生えるぬき観音」とも呼び、それから峠に「観音峠」の名が付いた[3]”
観音堂の下手にあった塚は、江戸時代の一里塚(里程の目標とした塚)だった可能性が高いという[4]。
現在の国道9号に当たる道は、1877年(明治10年)に京都から須知町(現在の京都府船井郡須知町)まで改良開通した。1890年(明治23年)にも道路改修され、ここで正式に「山陰街道」と名付けられた[4]。そのころの道は山越えをしていたが、1933年(昭和8年)5月になって観音峠隧道(観音トンネル)の工事が始まり、1935年(昭和10年)3月14日に完成した[2]。開通当初は国道18号の指定で、戦後の1952年(昭和27年)に9号となった[4]。