認知生態学

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起源 1993年(レス・リアルによる命名)
主要人物 レス・リアル、ロイヴン・デュカス、エドウィン・ハッチンズ、ジェームズ・ギブソン、グレゴリー・ベイトソン
認知生態学
Cognitive Ecology
文脈の中で認知現象を研究する学際的分野
基本情報
分野 認知科学行動生態学生態心理学
起源 1993年(レス・リアルによる命名)
主要人物 レス・リアル、ロイヴン・デュカス、エドウィン・ハッチンズ、ジェームズ・ギブソン、グレゴリー・ベイトソン
関連分野 生態心理学分散認知神経生態学動物認知

認知生態学(にんちせいたいがく、英語: Cognitive Ecology)は、社会的・自然的な文脈の中で認知現象を研究する学際的分野である。

生態心理学認知科学進化生態学人類学の諸要素を統合した視点を持ち、認知エコシステムを構成する諸要素間の相互依存の網の目を解明することを目的とする[1]。脳内の領域特異的モジュールおよびそれが生み出す認知バイアスの概念が、認知生態学的枠組みの中で「制定された(enacted)」認知の性質を理解する上で中心的な役割を果たす。

認知生態学は広義には二つの流れに分けられる。一つは、動物の認知過程がいかに生態学的環境によって形成されるかを問う行動生態学的アプローチであり、1993年にレス・リアル(Les Real)が「認知生態学」という用語を提唱した際に想定した射程に近い[2]。もう一つは、認知を個人の頭蓋骨の中に閉じた現象としてではなく、身体・環境・社会・文化との相互作用の中で立ち現れるものとして捉える認知科学的アプローチであり、エドウィン・ハッチンズ(Edwin Hutchins)らが展開した分散認知・[[状況的認知の理論と深く結びついている[3]

認知生態学は「文脈の中における認知現象の研究」と定義される。この分野が特に照射するのは、認知エコシステムの諸要素が織りなす相互依存の網である。認知科学における分析単位は、従来は要素の固有の属性によって定義されてきたが、認知生態学では諸要素間の動的な相関パターンによって定義される単位へと重心を移す[4]

動物行動生態学の観点からは、認知生態学は認知過程(知覚・学習・記憶・意思決定)が採食・ナビゲーション・配偶者選択・捕食者回避といった生態的文脈においていかに機能するかを探求する。認知能力は孤立した現象ではなく、生物の生態的戦略の不可欠な構成要素として捉えられる[5]

背景・成立経緯

先駆的思想

認知生態学の多面的な性格は、その学際的な歴史的成立過程を反映している。主要な源流として以下の三つが挙げられる。

ジェームズ・ギブソンの生態心理学
アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソン(James J. Gibson, 1904–1979)は、知覚を個人の脳内処理としてではなく、生物と環境との直接的な相互作用として捉える生態心理学(ecological psychology)を提唱した。その核心概念であるアフォーダンス(affordance)は、環境の対象物が生物に提供する行為の可能性を指す。ギブソンは生物は環境から切り離すことができず、その認知的制約は環境との相互作用から生じると論じた[6]
グレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」
文化人類学者・認知人類学者のグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904–1980)は、心と環境の間の情報フィードバックループを考察し、とりわけそのループが意味や周囲への気づきを生成する役割を論じた。彼は「盲人の自己」をどこで線引きするかという思考実験を通じて、認知過程の境界は脳や手や杖のいずれかで恣意的に区切ることはできないと指摘した。この視点は、認知生態学における「実行的(enactive)」認知理解の基礎となっている[7]
ソビエトの文化-歴史的活動理論
レフ・ヴィゴツキーらが発展させたソビエトの文化-歴史的活動理論は、思考・学習・認知が社会的・文化的実践の中に埋め込まれているという視点を提供した。この伝統はエドウィン・ハッチンズの分散認知の直接的な先駆けとなった[8]

「認知生態学」の命名と動物認知研究への展開

1993年、生物学者レス・リアル(Les Real)は論文 "Toward a cognitive ecology" において、認知科学と行動生態学とを架橋する研究領域を「認知生態学」と名付けた[9]。リアルは、行動主義的解釈から内部的な精神操作を重視する認知的アプローチへの転換(「認知革命」)が行動生態学にも適用されるべきだと主張した。その後、ロイヴン・デュカス(Reuven Dukas)が1998年に編著 Cognitive Ecology: The Evolutionary Ecology of Information Processing and Decision Making をシカゴ大学出版局から刊行し、知覚記憶学習意思決定を組み合わせた研究領域としての認知生態学の輪郭を確立した[10]。その後2000年には、ヒーリー(S. Healy)とブレイスウェイト(V. Braithwaite)が Trends in Ecology & Evolution 誌上で認知生態学が実体ある研究分野であることを論証した[11]

認知科学・人類学的アプローチの展開

一方、認知科学・人類学の側からは、エドウィン・ハッチンズ(Edwin Hutchins)が1995年の著書 Cognition in the Wild (MIT Press)において、認知は個人の頭蓋骨の中に収まるものではなく、人・道具・環境・文化的慣行の総体として分散していると論じた[12]。ハッチンズは米海軍艦艇の航海チームを民族誌的に観察し、航路計算がいかに乗組員・計器・海図・手続きの間に分散して行われるかを記述した。この分散認知(distributed cognition)アプローチは、後にハッチンズが「認知エコシステム」と呼ぶ概念の基礎となった[13]

主な内容・特徴

動物行動生態学的アプローチ

認知生態学(動物行動生態学的観点)では、以下の研究テーマが中心的な位置を占める。

採食と意思決定
採食行動において、動物は変動する環境下でリスクに敏感な意思決定を行う。期待値だけでなく分散(リスク)をも考慮した行動の最適化が研究される。デュカスら研究者は、注意の制約が採食効率に与える影響を理論・実験の両面から明らかにしてきた[14]
空間記憶とナビゲーション
食物の貯蔵場所を高精度で記憶する鳥類(コガラ類・カケスなど)の研究は、空間認知海馬 (脳)の進化的関係を解明する上で重要なモデル系となっている。生態的要求の違いが脳の構造的差異をもたらすという「生態的脳進化」仮説の検証に用いられる[15]
鳥類の歌学習
さえずり(Bird vocalization)学習とその神経基盤の研究は、認知生態学的アプローチによって大きく深化した。種ごとの歌レパートリーの多様性、配偶者選択との関係、発達と経験の影響が、神経科学行動生態学の両面から探究される[16]
社会的学習と集合認知
社会的動物集団では、個体の認知能力の総和を超えた集合的認知が生態的手がかりへの応答能力を増幅する。文化的学習の動態モデルは、個体学習による環境追跡と、社会的学習による情報の文化的保存との相互作用を記述する[17]

認知科学・人類学的アプローチ

認知エコシステム
ハッチンズは「認知エコシステム」を、脳・身体・世界にまたがる動的な相関パターンの集合として定義した。文化はこの複雑な認知エコシステムを略記する方法であると論じ、認知の単位を個人の内部から社会・物質・時間の広がりへと拡張した[18]
身体化・状況的・分散認知
ギブソン・ベイトソン・ヴィゴツキーらの三つの先行プロジェクトが育んだ「認知への深く生態学的なアプローチ」は、現代の身体化認知(embodied cognition)・状況的認知(situated cognition)・分散認知(distributed cognition)論の中に新たな形で継承されている[19]
デジタル・テクノロジーと認知生態学
インターネットやAIの普及は、人間の認知エコシステムの構造を大きく変化させつつある。認知生態学の観点から、人工知能への認知依存のリスクや教育的文脈における影響が議論されるようになっている[20]

主要文献

認知生態学の発展を画した主要な書籍・論文を以下に示す。

  1. Real, L. A. (1993). “Toward a cognitive ecology”. Trends in Ecology & Evolution 8 (11): 413–417. doi:10.1016/0169-5347(93)90044-P. PMID 21236214. 
  2. Dukas, R., ed (1998). Cognitive Ecology: The Evolutionary Ecology of Information Processing and Decision Making. Chicago: University of Chicago Press 
  3. Hutchins, E. (1995). Cognition in the Wild. Cambridge, MA: MIT Press. ISBN 978-0-262-58146-2 
  4. Healy, S.; Braithwaite, V. (2000). “Cognitive ecology: a field of substance?”. Trends in Ecology and Evolution 15 (1): 22–26. doi:10.1016/S0169-5347(99)01737-1. PMID 10603501. 
  5. Hutchins, E. (2010). “Cognitive Ecology”. Topics in Cognitive Science 2 (4): 705–715. doi:10.1111/j.1756-8765.2010.01089.x. PMID 25164051. 
  6. Dukas, R.; Ratcliffe, J. M., eds (2009). Cognitive Ecology II. Chicago: University of Chicago Press. ISBN 978-0-226-16936-1 

影響・評価

認知生態学の意義はその統合的アプローチにある。行動を複数の出発点から取り上げることで、動物のナビゲーション・歌学習・配偶者選択・採食行動などに関するより深い洞察が得られ、動物と人間の心理過程の類似性についての理解も進んでいる[21]

一方、「新しい分野」としての独自性に対する懐疑的な見方もある。動物認知に関する学際的研究は、認知生態学以前から心理学行動生態学神経科学にまたがって行われており、新たな「場」というより既存の近接メカニズム研究への関心の復活として位置づける論者もいる[22]

認知科学の側面では、ハッチンズの認知エコシステム論は哲学者アンディ・クラーク (認知哲学者)の「拡張された心(Extended Mind)」論など、21世紀の認知科学における4E認知(Embodied, Embedded, Enacted, Extended)の潮流を先取りするものとして評価されている。また近年、AIの教育への深い統合がもたらす「認知依存」のリスクを認知生態学の観点から分析する研究が蓄積されつつある。

関連項目


母体・隣接分野

  • 認知科学 — 心・知覚・思考・学習・言語などの認知現象を科学的に研究する学際分野。認知生態学の認知科学的アプローチの主要な基盤
  • 生態心理学 — ジェームズ・ギブソンが創始した、生物と環境の直接的相互作用を重視する心理学的アプローチ
  • 行動生態学 — 動物行動の進化的・生態的機能を研究する分野。認知生態学の行動生態学的アプローチの直接的な基盤
  • 動物行動学 — 動物の行動パターンを研究する生物学の一分野(エソロジー)
  • 進化心理学 — 自然選択によって形成された心理メカニズムを研究する分野
  • 認知人類学 — 文化を通じた認知の形成を研究する人類学の分野
  • 神経科学 — 神経系の構造・機能・発達を研究する分野。認知生態学の神経基盤研究と密接に関連
  • 神経生態学

認知科学的概念

  • アフォーダンス — ジェームズ・ギブソンが提唱した概念。環境が生物に提供する行為の可能性を指し、認知生態学の中核概念の一つ
  • 生態心理学 — ギブソンの直接知覚論・アフォーダンス論を核とする心理学的アプローチ

動物行動・生態学的概念

  • 動物認知
  • 最適採餌理論 — 動物が採食において最適化した意思決定を行うとする行動生態学の理論。認知生態学の意思決定研究の重要な基礎
  • 貯食行動 — 食物を貯蔵し後に回収する動物行動。空間記憶と海馬研究の主要なモデル系
  • 社会生物学 — 社会行動の生物学的基盤を進化的視点から研究する分野

哲学・理論的基盤

  • 行動主義 — 観察可能な行動を心理学の研究対象とする立場。認知生態学が乗り越えようとした先行パラダイム

人文系ほか

関連人物リスト

脚注

外部リンク

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