谷口耕太郎
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| 選手情報 | |||||||||||||||||||||
| フルネーム | たにぐち こうたろう | ||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | Kotaro Taniguchi | ||||||||||||||||||||
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| 競技 | 陸上競技 (短距離走) | ||||||||||||||||||||
| 種目 | 100m, 200m | ||||||||||||||||||||
| 所属 | 凸版印刷 | ||||||||||||||||||||
| 大学 | 中央大学 | ||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1994年11月3日(31歳) | ||||||||||||||||||||
| 出身地 | 神奈川県綾瀬市 | ||||||||||||||||||||
| 身長 | 184cm | ||||||||||||||||||||
| 体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||
| 引退 | 2023年11月 | ||||||||||||||||||||
| 成績 | |||||||||||||||||||||
| 世界選手権 | 4x100mR : 予選1組4着 (2015年) | ||||||||||||||||||||
| 地域大会決勝 |
アジア選手権 200m : 4位 (2015年) | ||||||||||||||||||||
| 国内大会決勝 |
日本選手権 200m : 6位 (2015年) 4x100mR : 4位 (2016年) | ||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | |||||||||||||||||||||
| 100m | 10秒37 (2015年) | ||||||||||||||||||||
| 200m | 20秒45 (2014年) | ||||||||||||||||||||
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| 編集 | |||||||||||||||||||||
谷口 耕太郎(たにぐち こうたろう、1994年11月3日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒37、200mで20秒45の自己ベストを持つ。2015年北京世界選手権男子4×100mリレーの日本代表、2015年世界リレー男子4×100mの銅メダリストである。
高校生時代まで
神奈川県綾瀬市出身[1]。綾瀬市立北の台中学校、神奈川県立弥栄高等学校、中央大学卒業。凸版印刷在籍。
陸上競技は中学2年時に陸上部の監督から誘われて始め、入部した当初は走幅跳に取り組んでいたが、途中から短距離に転向した[2]。中学3年時には全日本中学校選手権の200mで8位、ジュニアオリンピックの200mで6位入賞を果たしている。
2010年、立弥栄高校に進学。1年時の沖縄インターハイは4×400mリレー、2年時の北上インターハイは4×100mリレーで出場を果たすも、ともに準決勝で敗退した。3年時の新潟インターハイは200m決勝で21秒10(-0.5)の自己ベスト(当時)をマークして橋元晃志(20秒81)と大瀬戸一馬(21秒02)に次ぐ3位に入り、個人種目初出場ながら決勝に進出して表彰台に上った。日本ジュニア選手権の200mは3位と0秒04差の4位に入った。
大学生時代(2013年 - 2014年)
2013年、中央大学に進学。5月に関東インカレの4×100リレー(2走)で優勝に貢献し、リレー種目ながらインカレ初タイトルを獲得した。6月に日本学生個人選手権の200mで2位(1位と0秒06差)に入り、全国タイトル獲得まであと一歩に迫ると、7月7日に神奈川選手権の200mでジュニア日本歴代7位タイ(当時)の記録となる20秒63(+1.8)をマークした。
2014年、1月に肺気胸の手術をした影響で調整が遅れたものの、5月3日に静岡国際の200mB決勝を日本学生歴代10位(当時)の記録となる20秒45(+0.6)で制した[3]。関東インカレでは4×100リレー(4走)と4×400リレー(3走)のリレー種目2冠を達成。9月にはコンチネンタルカップの4×100mリレーにアジア太平洋選抜(日本学生選抜)として出場し、主要国際大会を初めて経験した。日本インカレでは4×100mリレー(2走)で2連覇に貢献し、リレー種目ながら初の全国タイトルを獲得した。
大学生時代(2015年)
- 4月18日、世界リレー の日本代表選考会となった織田記念国際の200mで4位に入り、日本陸上競技連盟から世界リレー日本代表入りを打診をされたが、専門外である4×400mリレーのメンバーとしてだった。そのため、当初は世界リレーと同じ日に行われる静岡国際の200mで2015年北京世界選手権の参加標準記録を突破したいと思い代表入りを断ったが、その後4×100mリレーのメンバーとして日本代表入りの連絡を受けたため、アピールのチャンスだと思い出場することに決めた[4]。
- 5月、世界リレーの4×100mで日本代表と世界大会を初めて経験すると、日本チーム(大瀬戸一馬、藤光謙司、桐生祥秀、谷口)のアンカーを務め、決勝では日本歴代パフォーマンス4位の記録となる38秒20で3位に入った。シニアの世界大会では2008年北京オリンピックの4×100mリレー(銅メダル獲得)以来、日本チーム7年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。関東インカレは4×100mリレー(2走)で3連覇に貢献したが、200mは長田拓也に次ぐ2位でインカレ個人初タイトルを逃した。
- 6月、アジア選手権の200mで国際大会の個人種目に初出場を果たしたが、3位と0秒03差の4位で惜しくもメダルは逃した。2度目の出場となった日本選手権は初めて決勝に進出して6位に入り、日本陸上競技連盟から2015年北京世界選手権の4×100mリレー日本代表に選出された[注 1]。
- 7月、ユニバーシアードで再び世界大会を経験。200mは7位に終わったが、4×100mリレーでは日本チーム(大瀬戸一馬、長田拓也、諏訪達郎、谷口)のアンカーを務め、この種目12年ぶりとなる金メダル獲得に貢献した。トワイライト・ゲームスの100mでは自身初の10秒3台となる10秒37(+1.3)をマークした。
- 8月29日、北京世界選手権の4×100mリレー予選で日本チーム(大瀬戸一馬、藤光謙司、長田拓也、谷口)のアンカーを務めた。日本は谷口にバトンが渡る直前まで決勝に着順で進出できる3位争いをしていたが、3走の長田拓也とのバトンパスが上手くいかず5位に転落した。最後は追い上げてウクライナを抜き、ドイツにもあとわずかと迫ったものの0秒03差の4位に終わり、タイムでも拾われず決勝進出を逃した[注 2]。
- 9月、日本インカレは4×100mリレー(2走)で昨年に続く優勝に貢献。200mは準決勝を全体1位のタイムで通過したものの、決勝は長田拓也に次ぐ2位(0秒14差)に終わり、個人種目初の全国タイトル獲得はならなかった。
- 12月16日、世界リレーの4×100m銅メダル獲得が評価され、他のリレーメンバーとともにアスレティック・アワード(日本陸上競技連盟の年間表彰)の優秀選手賞を受賞した[7]。
社会人時代
2020年9月の練習中に左アキレス腱断裂の重傷を負った[9]。
2023年11月3日、29歳の誕生日に現役引退を表明した[9]。