郷司裕
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旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる[3]。
明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり[3]、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
郷司の次男の証言によれば、「(父が)プロの審判員にならなかったのは事業継承のためであった」とのことである[3]。
俳優の高倉健は大学時代の同期である。
審判員引退後は日本高等学校野球連盟にて審判規則委員や理事などを務めた[2]。