酒井忠良 (伯爵)
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庄内藩11代藩主だった華族の酒井忠篤伯爵の次男で、最後の藩主酒井忠宝(忠篤の弟)の養子にあたる。幼名は小五郎[1]。1915年(大正4年)の忠篤の死去に伴い、酒井佐衛門尉家20代当主となるとともに、2代伯爵位を襲爵した[2]。富裕な華族で、山形県の多額納税者だった[3]。1947年(昭和22年)8月15日、昭和天皇が戦後巡幸した際には、鶴岡市内の邸宅が御泊所となった[4]。
1950年(昭和25年)、地域振興のため所有する庄内藩主御隠殿及び藩校致道館資料を財団法人以文会(現:致道博物館)を設立の上で寄付。財団顧問に就任した。また鶴ヶ岡城の百間堀跡の広大な敷地を鶴岡市に寄付した[5]。市はその敷地に鶴岡市野球場を整備するなどした。
詩、歌、書を愛し、また磯釣りを好んだ人物として知られ[5]、大岩川村堂岩で二尺六寸二分の赤鯛を釣り上げた際には、長男の酒井忠明の手によって魚拓とされ、致道博物館において展示されている。